19-3
社交の場での行動のみ注目していると、それらしい動きはほとんど見受けられないユーディスディランだが、まるで何もしてこなかったかというと、そんなことはない。
何かと制限の多い中、ユーディスディランが、他者の阻害を受けずアレグリットと接近するために、足繁く通っていた場所がある。
王宮の図書室だ。
治世に生かす見聞を広めるため、という目的意識も高く、ユーディスディランはもともとかなりの読書家である。
ユーディスディランが暇を見つけては図書室に入り浸る、というのは、今に始まったことではなく、それを知る人々からは、自由時間の王太子を捕まえたければ、図書室で網を張れ――と言われているほどで、その出入りを不審がられることはない。
実際にそんなことをされては甚だ迷惑なので、というわけでもないが、王宮の図書室には、仕事や自己研鑽で資料や教材が必要な官吏か、王族の許可を得た者或いは遣いを頼まれた者のみ、という利用者の制限がある。
司書たちによって特別書庫で厳重保管されてはいるが、活版印刷が一般化する以前の貴重な写本や絶版本、歴史的な機密文書、王侯貴族の手記や手紙や遺言書、さらには禁書といった類のものまで収蔵されているので、盗難防止の意味が大きい。
そして図書室内では、ユーディスディランの方から声を掛けられない限り、決して王太子と話してはならない、というのが、利用者が強く強く言い渡される使用上の注意であった。
理由はごくごく、単純なもの。ユーディスディランが、読書の邪魔をされるのを、著しく嫌うからである。
*****
ユーディスディランが図書室を訪れると、予想通りアレグリットは、窓際のいつもの席で書物に向かっていた。
書見台に広げられた本とは別に、卓上にはかなり分厚いもう一冊があって、そちらの紙面に指先を這わせながら、手元の紙に何かをせっせと書き付けている。
立て続けに図書室で会って何度目かに、ユーディスディランが尋ねてみると、王后から自由な立ち入り許可を貰っているアレグリットは、その言葉に甘えて、今日のような空き時間や、サリフォール家からの迎えを待つ間、たいてい図書室にいるのだという答えが返ってきた。
幼い頃、兄や乳母にたくさん読み聞かせをしてもらい、また、身体を弱らせた時に、病床で許される楽しみといえば、家族の見舞いか読書くらいのものであったので、絵や手芸も好きだがそれ以上に、無類の本好きになったのだという。
とはいうものの、所詮、十五歳の箱入り姫の趣味である。中身は知れたものだろう、と、ユーディスディランは高を括っていた。自分の行状を十分知り得るであろうアレグリットに、網を張られてしまったかと落胆もしかけた。
その手元にある、本の頁を覗き見るまでは。
姫君たちが話題にするような、恋物語や詩集、占い本、その他淑女必修の教養本や実用書でも眺めているのかと思いきや、そういったものは邸の蔵書で充足しているとのことで、王宮の図書室におけるアレグリットの読書遍歴は、『マイナールの蕾姫』と呼ばれるに相応しい瑞々しさ溢れる容姿からは、まるで想像のつかないものであった。
まず最初に、ユーディスディランを
そんなこんなで、話題に事欠くというようなことはなく、そうしてまた、場所柄をわきまえてひそひそと、内緒話のようにせねばならない会話は親密さを誘うものであり……、アレグリットと図書室で会って話すのが、近頃のユーディスディランの楽しみとなっていた。
いそいそとアレグリットが抱えてくる目新しい本から、触発を受ける一方で、知識量も経験値も、アレグリットを遥かに凌ぐユーディスディランが、固い文章だけではどうにも理解しがたい、という事柄について、噛み砕いて教授してやれる面白さもあった。
ユーディスディランは、アレグリットの一つ前の席の椅子を静かに引いてその向きを変え、窓側の壁を背にして座った。そうして自分も、書架から選んで抜き出してきた書物を開く。
すぐに声を掛けてもよかったが、アレグリットは人の気配に気を取られることもなく、何やら小難しい顔つきをして頭を悩ませているようなので、こちらに気付くまで放っておくことにする。
こういった、余暇の過ごし方、といった点においては、趣味は庭の散策、特技は乗馬という野外嗜好なグネギヴィットよりも、アレグリットとの方が格段に合うのだろうとユーディスディランは思う。
グネギヴィットもよく本を読む方であるが、彼女は読書家というよりも勉強家の印象だ。彼女らしい合理性で、自分が必要とする知識だけをきっちりと選び取り、吸収しているような。
歳が近いせいもあっただろう。今よりさらに若かったせいもあるだろう。グネギヴィットに対しては、好きだという情熱に上乗せして、負けていられない、格好悪いところを見せたくない、という気持ちが、ユーディスディランの中で非常に強かった。
彼女が修めたことを修めていないということがないように、学業にはより一層身を入れたし、修練をさぼりがちであった武芸全般についても、どうしても彼女より上手くなりたいと思った馬術をきっかけにして、近衛騎士たちと腕を競えるまでに上達せしめた。
そうやって、自分を高めてくれたグネギヴィットとの恋は、破れてしまいこそしたが、かけがえの無い経験であったのだとユーディスディランは思っている。たとえキュベリエールの言うように、シモンリールに謀られて落ちた恋だとしても……。
今ある自信も、そして余裕も、高嶺に咲く白百合のような淑女であった、グネギヴィットが身に付けさせてくれたものだ。
一国の王太子として、さらには一人の男として、ユーディスディランには、自分はまあ、そう卑下したものではないだろうという自負がある。
*****
「あ……」
半ば状況を忘れて、手元の本を読みふけっていると微かな声がした。
ユーディスディランがそちらへ視線を向けてみると、後ろの机の書見台の向こうから、黒い瞳と愛らしい花唇を丸く開いた、アレグリットの小さな顔が覗いていた。
「やあ、アレグリット。今日もまた私の徒然に、付き合って頂いて構わないかな?」
「それは……、はい、大丈夫、です」
一度合った目がぱっと逸らされ、アレグリットの白い頬に赤みが差す。
その反応が何を示すのか、ユーディスディランは誤解しない程度にいい大人だ。自分の心は曖昧にしながら、彼女の気持ちを徐々に、徐々に、引き寄せられるようにと仕向けてきた、悪い大人だという自覚もある。
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