11-2
新緑祭の日、クルプワの街では、窓という窓から緑色の旗が掲げられ、建物の外壁という外壁には緑色の布が垂らされる。
様々な色調の緑に染まった都市の中、身体のどこかしらに緑色のものを身につけて、あるいは緑の顔料で頬や額に絵を描いて、人々は集い歌い踊る。神々に感謝し祈りを捧ぐ。これより始まる鮮やかな季節が、幸福と繁栄をもたらすものであるようにと。
昼間の主役が平民であるとするならば、貴族の祭りは日没からが本番だ。夜の帳が降りかけたデレスの王宮には、煌びやかな男女を乗せた馬車が次々と来着する。
「テーラナイア前公爵夫人、メルグリンデ様、ご到着――」
別室で待機する、今日の主役の姪たちと別れて、舞踏会会場である王宮の大広間へと足を踏み入れたメルグリンデは、瞬く間に大勢の知己に取り囲まれることになった。
趣味人として知られるメルグリンデは、デレス宮廷の社交界において、王后ドロティーリアの良き友人という立場をしっかりと確保している。どこへ顔を出したとしても、誰かれなく寄ってこられるのはいつものことだが、今日の人の多さは尋常でない。
「おめでとうございます。いよいよ噂の『マイナールの蕾姫』のお披露目ですね」
「ああ、どれほど長くこの日を待ち侘びていたことか!」
「今もみなでアレグリット嬢のことを話題にしていたのですよ」
「『デレスの百合』のご令嬢にして、『マイナールの白百合』の妹姫! さぞかしお美しいお嬢様であらせましょう」
「それはどうもありがとうございます。後ほど改めましてみなさまに、アレグリットをご紹介させて頂きますわね」
興奮気味の公子たちの言葉に、メルグリンデは機嫌よく応じた。今宵は初登城の姫たちが多数参加するとあって、新たな出逢いを求める年若い公子たちは色めき立っている。玉石混じった情報が飛び交う中、既に『マイナールの蕾姫』と渾名されるアレグリットは、注目度も前評判もずば抜けていた。
まだ見ぬアレグリットの話で、メルグリンデの周囲の公子たちはもちきりだが、成熟した美貌と家柄を誇る令嬢たちが気にかけているのは、それよりも姉のグネギヴィットのことである。風評ばかりが先行した、青臭い小娘のことなどは歯牙にもかけぬといった風情で、一時的な協定を結び、徒党を組んでメルグリンデに迫ってくる。
「ところで――、サリフォール公爵様はご一緒にお越しではありませんのね。王都にはいらしてらっしゃると伺ったのですが」
同じ年頃の娘でありながら、グネギヴィットと名を呼ばず、わざわざサリフォール公爵と彼女の身分を強調するところが嫌みたらしい。メルグリンデが口を開こうとするよりも先に、別の令嬢たちもたたみかけるような勢いで、耳障りな声でぺちゃくちゃとさえずり始めた。
「ひょっとして、王后陛下がユーディスディラン殿下の花嫁選びをなさるというお話が、公爵様のお耳に入ってしまったのではございません?」
「まあ! なんてお可哀想!」
「きっとそうですわね。ですから今日は、妹君のお披露目だというのに、ご臨席は叶いませんでしたのね。サリフォール公爵様には、心よりご同情申し上げますわ」
「ほ、ほ、ほ……」
王太子の昔の恋人など、今さらお呼びでないとでも言いたいのか。令嬢たちのくだらない悪意と優越と、その裏にある拭いきれない恐れまでをも見透かして、メルグリンデは扇の下で高らかに哄笑した。
未だ想い出に囚われているのは、メルグリンデの見る限りユーディスディランの方だ。グネギヴィットはユーディスディランとの過去を振り切って、新たなる道を歩き出している――。
王宮の人々は今宵、それを思いもよらない形で知らされることになるだろう。その時に彼女たちが受けるであろう衝撃を思うと、メルグリンデはもう、可笑しくて可笑しくてたまらない。
「あらまあまあ、ご存知ではありませんでしたかしら? グネギヴィットは殿下からのお申し込みをお断りし、自ら望んでサリフォール家の当主に立ちましたのよ。本日はアレグリットだけでなく、サリフォール女公爵のお披露目にもなる日――。こんな大切な日に参らぬ道理がございませんでしょう? それとも何ですか、口さがない雀たちのおしゃべり如きに、手前どものグネギヴィットが臆したとでも?」
刃のような皮肉で切り返しながらも、表情はあくまでもゆったりと荒げることのないメルグリンデは、隣国ヌネイルの社交界をも巧みに泳ぎ渡ってきた、海千山千の古狸である。祖国の宮廷しか知らぬ箱庭育ちの令嬢たちが、何人束になったところで敵うわけがない。
「……そうですの。では、わたくし公爵様をお捜ししてみますわ。是非ともお顔を拝見して、ご挨拶をしたいですもの」
「わたくしも。ごきげんよう、メルグリンデ様」
「ええ、ごきげんよう」
負け惜しみを残して、逃げるように去ってゆく令嬢たちを見送りながら、見つけられるものならば見つけてごらんなさいなとメルグリンデは意地悪く思う。
グネギヴィットは今、大広間ではなく関係者以外の立ち入りを禁じた、アレグリット専用の控え室にいるはずだ。おそらくは、参内をした時とは似ても似つかぬ、凛々しい姿に様変わりをして――。
*****
不意に背後から、パンパンと緩慢な拍手の音が響いた。メルグリンデが振り返ると、波打つ金髪を背に流した華麗な青年が、手を打つのをやめ微笑みながら近づいてきた。
「
「ま、悪趣味ですわね。一体いつからご覧になっておいででしたの、ザボージュ様」
貴婦人たちの視線と囁きを集めながらやってきた、このどこか気だるげで華やかな容貌の青年は、
「癇に障る声で、サリフォール公爵様は一緒でないのかと、雀の一羽があなたに尋ねているのが聞こえた時からです。メルグリンデ様、あなたの勇を称え、口付けを送らせて頂いても?」
「ええ」
ザボージュはメルグリンデが差し出した手を取り、その甲にそっと唇を押し当てた。老若を問わず女性受けしそうな優男だが、とりわけ彼が、メルグリンデに恭しく接する目的は明白だ。
「あの見苦しい女どもの真似をするわけではありませんが、グネギヴィット嬢は本当にお越しになるのですか?」
「勿論ですわ」
きっぱりとしたメルグリンデの返答に、ザボージュは頬を崩す。
今話題の蕾姫の方には一分の興味たりとも持っていない。ザボージュの関心は昔から、『マイナールの白百合』グネギヴィット一人に傾けられて いた。
「ところで、例のお話はあの方には――」
「まあまあザボージュ様、せっかちは嫌われますよ」
「せっかちとおっしゃいましたか?」
「そうですわ。ガヴィは王都に着いてまだ数日。今日のことで頭も胸も一杯の様子でしたもの、残念ですがあなたのことは思い出してもいませんよ」
嗜めるメルグリンデに、ザボージュはやるせなく首を左右に振った。それから青灰色の瞳を憂えるように細めて、芝居がかった青色の吐息を漏らす。
「待てるだけを十分に、待ったのですよ、私は……。少年の日の初恋は、あっけなく父君に遮られ、長じてはシモンリールに邪魔をされ、挙句の果てにはユーディスディラン殿下に牽制され出し抜かれて――。諦め眺めているしかなかった、后がねの姫君であらせられたあの方が、しかし今は手の届く場所にいらっしゃる。矢も楯もたまらず、私は今宵あの方の心身を慰撫したく参ったのですよ」
グネギヴィットに寄せ続けた、片道の恋慕が本物である一方で、ザボージュは名うての遊び人で鳴らしている。心身を慰撫、という言葉の響きに好色なものを嗅ぎ取って、メルグリンデは眉を顰めた。
「そのわりには、身辺がいささかも片付いてらっしゃらないようですわね。わたくしはガヴィを、愛人と同列に並べるような婿殿は認めませんことよ」
「伯母君には、どうか誤解なさらぬよう。他のご婦人方との付き合いは、恋しい人に届かぬ傷心を慰める為のもの。あの方に求愛する光栄を頂けるなら、すぐさま全員と手を切ることに致しましょう」
多少なり自己陶酔型で軽薄な嫌いはあるが、ザボージュ・デュ・アンティフィントは、メルグリンデが胸に納めているグネギヴィットの婿候補者の第一位である。
同等の公爵家直系の、家のしがらみからは外れた三男坊。グネギヴィットの崇拝者で、彼女より二つ年長というのもほどよい開きだろう。
そして何より、政治や権力にまるで無関心なその姿勢は、大器を予感させるグネギヴィットに、州政や一門の舵取りを思うさま続けてもらうには、むしろ出しゃばらず、好都合でないかと考えている。
「もうしばらくだけお待ちになって。それに、あなたもまた、今夜のガヴィをご覧になられてから、考え直して下さっても結構ですのよ」
「考え直す? 私がですか? 悲しみにやつれたあの方がいかに変わられておられましょうとも、惚れ直すことはあっても、幻滅することなどないと思いますが」
それはどうだろうか? ザボージュの的外れな誤解に、メルグリンデはいささか困ったような気持ちになる。ザボージュが何年も恋焦がれてきたのは、完璧な猫を被った淑女のグネギヴィットの方だ。男の姿もまたグネギヴィットの本質とはいえないが、本気を出した彼女の化け方は、半端なものではない。
「さ。わたくしの言葉の意味は、後ほどわかりますからお楽しみになさって。あの子の伯母としては……、そうですわね。あなたの百年の恋が冷めぬことを祈りますわ」
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