11-3

 デレス王宮の大広間は、天井高く宮殿の三階部分まで吹き抜けた、一方の壁が鏡張り、庭園に面した窓が総ステンドグラスという、途方もなく豪奢な部屋である。

 贅沢に灯されたシャンデリアの明かりがきらきらしく乱反射し、室内は昼のように明るい。衣擦れの音と人々の会話が波のようにさざめく中を、国王夫妻と王太子の入場を先触れして高らかに喇叭ラッパが 鳴らされた。

 家格の順に並び変わって、人々は恭順に臣下の礼をとった。おっとりとやってきたデレス国王ハイエルラント四世は、妻と息子を左右に侍らせて、一段高い場所に据えられた玉座の前に立つ。


 デレスの国王一家と呼ばれるのは今現在、ハイエルラント四世と王后ドロティーリア、それに王太子ユーディスディランの三人だけだ。ハイエルラント四世にはユーディスディランの上に二人の娘がいたが、王女たちはそれぞれに、友好の懸け橋として東西の隣国へ輿入れして久しかった。


 ユーディスディランが王太子の身で、比較的自由な恋愛と結婚を許されているのは、実にこの姉たちのおかげといえる。国土の南北を深淵な森と険しい山脈に挟まれたデレスにとって、南と北の隣国はあってないようなものであり、国境を接する二国との調和が保たれている今、彼の妃に立てるのは他国の王女よりも、国内の貴族である方が望ましかった。


 両親の横に並べてみると、ユーディスディランは父親よりも母親似――、トレイク王家出身のドロティーリアに似ていることがよくわかる。艶やかな黒髪はデレス王家によく現れる特徴だが、貴婦人たちの胸を焦がせる暗紫色のその瞳、高貴で清々しい容貌は間違いなく母親譲りのものだ。


 そんな息子に国政を預けて、楽隠居を決め込んでいるハイエルラント四世はといえば、威厳よりも親しみを感じさせる型の王である。ユーディスディランが国王代理としての経験を積み、王者の風格を漂わせ始めたのに比例して、ハイエルラント四世のその性質も、どうやら増長されてきたのではないかというのがもっぱらの評判だ。


 ハイエルラント四世は、音に聞こえた好々爺ぶりを遺憾なく発揮して、列席者ににこにこと満面の笑みを振りまくと、胸の前で両手をふわふわと動かしながら、面を上げるよう指示をした。

 ここで国王による開会宣言が行われるのがいつもの流れだが、ハイエルラント四世は機嫌よく微笑みを浮かべたまま、今日はそれ以上を述べることなく着席した。若干遅れてドロティーリアとユーディスディランがそれぞれの席に腰を下ろすのを待って、先ほどよりも派手やかに吹き鳴らされた喇叭の音色が、国王に代わり舞踏会の始まりを告げた。


 人々は国王に尻を向けぬよう気を配りながら、会場を左右に分かれて大広間の入り口を注視した。晴れのこの日に、『若葉の精』の大役をおおせつかった姫君とその相手役たちは、手に手を取って二列に並び、 どきどきと歩み出しの合図を待っている。


 扉の脇に控えていた典礼官がもったいぶったお辞儀をし、捧げ持った巻物をするすると広げてゆく。その手がぴたりと止まったところで、先頭の一組が示し合わせた通りに戸口をくぐった。典礼官は自慢の喉を震わせて、会場全体に向け拝礼をする彼らの名前を朗々と読み上げる。

 紹介を受けた二人は、盛大な拍手が迎える中を国王一家の前まで進み、そこでもう一度拝礼をしてから、また別な典礼官に案内されて立ち位置についた。これが次々に繰り返されて、大広間の中央には、これから始まる輪舞の為の円陣が組まれてゆく。


 十代半ばの少女たちが、慣れないながらも精一杯に淑女ぶり、段取りをこなしてゆくさまはなんとも可愛らしい。『若葉の精の輪舞』という趣向に沿うようどの家でも考慮をしたらしく、エスコート役の公子たちの年齢も通常より低めだ。二人揃っての初登城でのぼせあがったり、ぎくしゃくと固まったりしている組みがいるのもご愛嬌である。

 姫君たちとその相手役の紹介は順調に進んでゆき、そして――。



*****



「サリフォール公爵家、アレグリット姫様――」

 最後に登場したアレグリットの麗質に、会場はそれまでで一番大きく沸き上がった。

 【夏男神の百合】サリュートキュリストは、紋章にも描かれたデレス王家の花だ。サリフォール家の公爵姉妹を百合の花になぞらえるのは、『王家に縁の姫君』という敬意も込められてのものである。新緑祭らしく緑系統の衣服が目立つ中、思い切りよく純白のドレスを纏って現れたアレグリットは、正に白百合の蕾の如くであった。


 恥ずかしげに頬を染めたアレグリットの表情は瑞々しく、母親から受け継がれた匂い立つような気品は、他の姫たちと比するべくもない。サリフォール家の威信をかけて、選び抜かれた装いも質の高いもので、 優美に結った黒髪に緑柱石と真珠を連ねた金細工のティアラを載せ、華奢な首には揃いのチョーカーを嵌めて、金糸の縫いとりと房が付いた白いレースの扇を携えていた。


 そのアレグリットをエスコートしているのは、彼女に似た面差しの細身の貴公子だ。こちらはアレグリットとは対象的に、銀糸で刺繍を施した漆黒の衣裳に袖を通し、長い黒髪を銀の紐で束ねて、華やかなレースの襟元に大きな緑柱石のブローチを飾っている。

 女性的で端麗な美貌は一度見れば忘れがたい類のものであり、場慣れた落ち着きは既に社交界の住人であることを意味しているように思える。しかしながら、その黒髪の貴公子が誰とも知れず人々は首を傾げた。見覚えがないこともないような気がする。けれどもだからこそ混乱してしまう。誰? 誰? 誰? 誰――?


 いつまでも明かされぬその人の名に、典礼官の不手際を責めるざわめきが広がった。ただならぬ妖艶さを漂わせた黒衣の貴公子は、拝礼から緩やかに身を起こすと、自分の顔と巻物とを見比べて目をひんむき、 酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせるばかりの典礼官に視線を流した。


「どうした? みなさまお待ちかねでいらっしゃる様子だぞ。決して間違いなどではないから、そこに書いてある通りに読み上げなさい」

「――!」

 聞き覚えのあるまろやかな響きの声に、典礼官は雷に打たれたような心地になった。巻物の末尾に記されていた名前が、嘘でも冗談でもないのだと確信したが、久しぶりに拝謁したその姿は、記憶とあまりにもくい違い過ぎている。


「おっおおおっお相手は――、あっああっ姉君――、サリフォール女公爵グネギヴィット様!!」

 動揺した典礼官の悲鳴のような声は、裏の裏のそのまた裏まで裏返った。宮廷一の美声を誇ってきた彼の、悔いても悔いても悔い切れない一生の不覚である。


「?」

 一瞬間の金縛りにあった後――。

「!!」

 見事な絵画が描かれた、大広間の天井を突き破らんばかりに、人々は驚愕した。恐慌した。そして絶叫した。


 グネギヴィットは荒れ狂う大広間を悠然と見渡した。愕然とした表情の人の群れの間に、メルグリンデのしてやったりなほくそ笑みが見える。

「行こうか、アレット」

「はい、お姉様」

 従順に頷くアレグリットを連れて、グネギヴィットは玉座へと続く緋毛氈ひもうせんの上を颯爽と歩んだ。黒い瞳に晴れやかな光を宿し、紅を引かぬ唇には会心の笑みを上らせて。


 王宮で被っていた猫を脱ぎ捨てるには、グネギヴィットとてそれなりの覚悟が必要であった。しかし一歩、また一歩と歩を進めるうちに、今この場で男に化けていることが快感になってきた。傍目にはどう映っていようとも、グネギヴィットには痛快なばかりで、辛さも無理も恥入る気持ちも微塵もない。


 玉座の前に辿り着いたグネギヴィットとアレグリットは、魂を抜かれたような面を並べている国王一家に向けてしなやかに拝礼した。円陣の一角を占め、踊り前の形をぴしりと決めるその時まで、息の合った姉妹――今日はまるで兄妹にしか見えないが――の動きは、滑らかに優雅で一分の隙もない。



 過去に一度、男装のグネギヴィットに会った経験のあるユーディスディランは、いち早くその場の衝撃から立ち直った。言葉を失くしたままの父王に代わり、やはり呆然としている楽団の指揮者に、物憂げな視線と合図を送る。

「……音楽を」


 王太子の言葉に、楽団員たちははたと自分を取り戻した。指揮棒がさっと振られ、いささか調子外れな円舞曲が流れて、若葉の精たちの輪舞がたどたどしく始められる。

 小さな足でステップを踏む初々しい姫君たち。懸命にリードをする若々しい公子たち。

 大広間の中央で繰り広げられる和やかな見物みものに、騒然としていた人々も少しずつ平静を取り戻していった。気を取り直してじっくりと観賞してみれば、なるほどこれは新緑の祭りにこそ相応しいと、発案者である王后の粋に唸らされる演出である。


 中でもやはり、サリフォール家の麗しい一対は際立った輝きを放っていた。

 百合のように気高く、雅やかでありながら強靭で、緑の渦に埋もれない白と黒の姉妹。それはあたかも、柔らかな緑葉に包まれて、咲き誇るあてやかな花のように――。


「あなたは本当に……、鮮やかすぎる……」

 くるくると廻る舞踏の輪のうちに、グネギヴィットの姿を追うともなしに追いながら、ユーディスディランは深い深い溜め息をついて、王太子の椅子に沈み込んだ。

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