第十一章「輪舞」

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 城のことはソリアートンに、州府のことはローゼンワートとバークレイルに任せて、グネギヴィットが王都へと出立したのは、それから三日後のことである。

 都市や町で宿を取り、それ以外にも小休止を挟みながら、馬車で六日の日程である。グネギヴィットだけであればもっと短縮できるのだが、慣れないアレグリットの身体を慮って、のんびりと急がない旅をしてゆくことにした。


 グネギヴィットの馬車に同乗しているのは、アレグリットと、それぞれの腹心の侍女が一人ずつ。初めての長旅にアレグリットは興奮気味で、いつもよりも快活でおしゃべりになっていた。はしゃぎ過ぎて、これからお披露目をなさろうというお嬢様がと、乳母でもある侍女に注意を受けてしょげる様子も可愛らしく、王都へ近づくにつれ緊張の高まりゆくグネギヴィットの心を和ませてくれた。



*****



 デレスは西の隣国ヌネイル、東の隣国トレイクと合わせて、俗に『華の工芸三国』と呼ばれている。

 ヌネイルが精密な時計や自鳴琴オルゴールを、トレイクが薄く滑らかな陶磁器を産する技術を誇るように、デレスが自慢にしているのが美麗な硝子工芸である。

 マイナールも大きく栄えた都市であるが、美しい硝子細工の産地として世界に名を馳せる、王都クルプワの規模は桁違いだ。マイナールや他の主要都市で、硝子で飾られたデレスの街並みを見知っていても、クルプワを訪れた人はまずその華麗さと奇抜さに驚くという。


 王宮や庁舎、大聖堂や貴族の邸の装飾にステンドグラスがふんだんに使われているのは勿論のこと、なんということはない庶民の家にも色硝子が嵌められた窓があって、街並みのそこここにきらきらとした色彩が溢れている。劇場や高級旅館、王室御用達の名店はもとより、下町の八百屋や肉屋の看板までもが洒落た硝子細工でできているのは、世界広しといえどもクルプワぐらいのものだろう。


 クルプワのサリフォール公爵邸は、貴族や資産家の邸宅が集まった、富貴街の中でも一等地にある。当主が不在の間にも寂れた雰囲気が漂っていないのは、世慣れた優雅な管財人が、時々はサロンも開いて遊び暮らしているからだ。



「お久しぶりです、伯母上」

「お帰りなさい、ガヴィ。お待ちしていましてよ」

 当主であるグネギヴィットを愛称で呼び、慕わしげに出迎えてくれた熟年の貴婦人は、テーラナイア前公爵夫人メルグリンデ。グネギヴィットの亡父の長姉である。

 ヌネイルの貴族に後添いとして嫁していたメルグリンデは、先妻が生んだ生さぬ仲の息子に家を継がせた後、余生を故国で過ごしたいと出戻ってきていた。


「以前に会った時よりも、ずいぶんと表情が明るくなったこと。元気になったようで安心しましたわ」

 メルグリンデが姪たちと顔を合わせるのは、シモンリールの葬儀以来である。柔らかく抱擁を交わして、しばし再会を喜び合った後、メルグリンデはそう言ってグネギヴィットの頬を撫でた。

「ええ、わたくしは――」

 振り返るグネギヴィットの視線を追って、侍女に支えられたアレグリットを見つけたメルグリンデは、儚げなその風情に心配げに眉を顰めた。


「まあまあまあ――、アレット!」

「ごきげんよう、メル伯母様……。このように見苦しい姿でお目にかかりまして、申し訳ありませんわ」

 メルグリンデの視線が自分に向いていることに気付くと、アレグリットは侍女から離れ、弱々しく揺らぎながらもドレスを摘まんでお辞儀をした。メルグリンデは赤い顔をしたアレグリットに小走りで寄ると、 挨拶もそこそこにしてその額に手を当てた。


「こちらからは、ごきげんよう、とはとても言えませんわね。アレット、熱が……?」

「少しだけ……」

「少しだけ、ではないだろう?」

 苦しげな息をつくアレグリットを窘めて、よろめきかけるその腕を取りながら、グネギヴィットはメルグリンデに向き直った。

「昨夜からずっと、発熱が続いているのです。早速ですが休ませてやりたいのですが」

「まあ大変! 誰か、アレグリットを早くお部屋にお運びして。サリフォール本家の大切な姫君のお身体です、粗相があってはなりませんよ」



*****



 当主とその妹姫が到着して早々の騒ぎに、サリフォール公爵邸にはすわ一大事、という緊張が走った。

 しかし先代当主のシモンリールも虚弱体質であったので、メルグリンデも邸の使用人たちも、病人の対処にはよくよく慣れている。ぐったりとしたアレグリットを寝室に運び込み、てきぱきと看護体制を整えてしまうと、潮が引いたように落ち着きを取り戻した。


 薬を飲んだアレグリットが眠りに落ちるのを見届けて、グネギヴィットもそこでようやくほっと息をついた。医師と侍女たちにその看病を任せて、メルグリンデに衣装室へと連れ込まれ、せがまれるまま衣服を改める。

 肌を多く露出させた夜会用の正装をして、グネギヴィットはメルグリンデと二人きりで晩餐の席を囲んだ。食卓に上る話題は自ずと、空いた三つ目の椅子に座っている筈であったアレグリットのことになる。


「着替えて少しは、気分が変わりまして?」

「はい」

 髪は王都の流行だという複雑な型に結い上げ、耳朶にも首にも大きな宝石を飾って、グネギヴィットがここまできちんと装うのは久しぶりのことだ。相手が目上に感じる伯母ということもあり、グネギヴィットの口調も挙措も自ずと丁重なものになる。


「正装をしたガヴィとアレットを、是非とも並べて見てみたいと思っておりましたの。仕方のないことですけれど、お預けというのはいささか寂しいですわね。明日には元気になってくれるといいのですけれど……」

 至極残念そうなメルグリンデの物言いに、グネギヴィットは淡く笑んだ。腹を痛めた子供のいないメルグリンデは、姪たちと過ごす時間をよほど楽しみにしていたのだろう。グネギヴィットの部屋にもアレグリットの部屋にも、温かみを感じる心遣いが行き届いており、今饗されている料理には二人それぞれの好物が含まれていた。


「アレットには初めての旅でしたから、どっと疲れが出てしまったのでしょう。王都にいる間、誘いは多くあるのでしょうが……。必要以上に連れ出すのは考えものかもしれません」

「今日のようにアレットが、熱を出すことはよくあるのかしら?」

 ためらいがちにメルグリンデは尋ねた。グネギヴィットは静かにナイフを動かしていた手を休め、軽く首を振る。


「普段は、それほどは。ただ、マイナールでの生活では、無理をさせること自体が少ないですから……。アレット自身も手芸や手習いをして、大人しく部屋で過ごすことを好むような子ですし、甘やかしてこそいませんが、箱入りにしていましただけに心配で」

「そうですの。シモンの喪が明けたばかりですものね。あなたの気持ちはわかりますけれど、過敏になり過ぎるのも考えものでしてよ、ガヴィ」

「はい……」

 わかってはいても、簡単に割り切れはしない。悄然と目を伏せたグネギヴィットの心情を慮り、メルグリンデは提案した。


「新緑祭での披露目さえ上手くできましたら、後の社交は控え目にしても構いませんのよ。あなたの時にはたくさん会を開き、あらゆる誘いに応じさせて、話題を攫わせたものですけれど、魅せ方は個性に合わせて違えてみるもの。出し惜しみをするならするで、神秘性を煽るのも一つの戦略ですわ」

「戦略、というのは……?」

 メルグリンデの口から飛び出した、アレグリットにはまるでそぐわない言葉に、グネギヴィットは首を捻る。


「勿論、殿方に対しての、という意味です。社交界は女の戦場。女の半生はご夫君によって決まるもの。選り好みをするにはまず、崇拝者の数を集めなくては」

 メルグリンデもまた、典型的なサリフォール家の血族である。柔らかな物腰の下に隠された、その軍師のような強かさに、グネギヴィットはぎょっとさせられる。


「アレットにはまだ、早過ぎるのではありませんか?」

 アレグリットは春の初めに十五になったばかりだ。王侯貴族の政略や、反対に、貧しい村落では嫁ぐこともある年齢だが、男女ともに適齢期は、成人とされる十八歳を迎えてからというのが一般的である。


「愚問ですわね。将来有望な殿方の縁組ほど、さっさと整えられてしまうものです。婚約だけでもしておくのに、時期尚早ということはございませんわ」

 遙か年下の当主に対して、メルグリンデは遠慮なくばっさりと言い捨てた。経験に基づいた意見は重く、グネギヴィットに反論の余地はないが、どうにも感情がついてゆかない。


「それは重々、承知してはおりますが……。あまりに早くアレットを輿入れさせることになってしまっては、わたくし自身が寂しいのです」

「まあ、ほほほ……」

 メルグリンデはしんみりと訴えるグネギヴィットを愛おしげに眺めながら、その日初めて朗らかに笑い、それから厳しく表情を改めた。


「あなたには――、言っておこうかおくまいかと迷っていたのですが、やはり申し上げておいた方がよさそうですわね。此度の新緑祭の舞踏会なのですけれど、演出にかこつけた裏が存在しています」

「裏?」

「そうです。王后陛下のご発案に従い、例年にはない趣向を凝らすことになったのは、ガヴィも知っていますわね?」

「ええ。年頃を迎えた姫君たちを一斉に初登城させ、若葉のような乙女たちと若者たちの輪舞によって、新緑の季節を祝おう――という触れこみでしたね」


 新緑祭の舞踏会は、参加者が一部であれ全身であれ必ずどこかに緑色のものを身に付けて来る以外は通常と変わらない。主催者である国王の入場直後の宣言により、開会するのがデレスの宮廷舞踏会の一般的なやり方だ。

 けれども今年は、王后ドロティーリアの鶴の一声で、この日が披露目となる姫たちを若葉の精に模し、彼女たちとそのエスコート役の輪舞によって、華々しく会を始めようという運びになった。当然グネギヴィットもアレグリットと、その輪に加わり踊ることになる。


「表向きには、そう。ですが、新緑祭まで姫君たちの披露目を控えさせ、逆に間に合わせるよう促進もなさった王后陛下の真の目的は、平たくいえばユーディスディラン殿下のお妃候補の囲い込みですわ。

 殿下がガヴィのことは諦めたとおっしゃりながら、社交の場にはろくにお運びにならず、なかなかに新しい恋を始めようとなさらないものだから……。既知の候補者たちを集めると同時に、目新しい花々の中からも目ぼしい姫を厳選して、殿下のお目が届く範囲に留め置かれようとお考えでいらっしゃいます」


「え……?」

 メルグリンデの言葉に、グネギヴィットは呆然とする。あれから新しい恋をしていない……? ユーディスディランが……?


「あなたには正直、複雑なことでしょうね。ぶつけたつもりはないのでしょうけれど、ガヴィの王宮復帰の日に重なってしまったのは皮肉な話。あなたを男の姿で王宮に立たせるなど、シモンには草葉の陰から恨まれてしまいそうですけれど……。あなたの意思も立場も、明白にしてしまった方が良いものではないかと判断しました。わたくしがあなたの決断に、賛成することにしたのはそういった事情もあってのことです」

「そうでしたか……。ずっとご静観なさっていた伯母上がと、嬉しいながらも不思議に思っていたのですが……」


 王都から送られてきたメルグリンデからの賛意表明は、アレグリットのエスコート役を決める親族会議で大いに効力を発揮してくれた。聞くところによると、メルグリンデは少女時代、弟たちの上に女王よろしく君臨していたものらしく、叔父たちは今も昔も軒並み頭が上がらないようなのである。


「わたくしの口から知らせてしまっても、後から誰かに知らされることになっても、あなたが深く傷つくのではないかと懸念をしていましたが……。もうすっかりと、ふっきれた顔をしていますわね。殿下との恋を忘れさせてくれるような、何か特別なことでもありましたか、ガヴィ?」


 メルグリンデに優しく問われて、グネギヴィットはそっと目を閉じた。ユーディスディランではない、ローゼンワートやシモンリールでも勿論ない、胡桃色の髪をした若者の面影がふわりと瞼に浮かぶ。けれど――。


「……何も」

 瞳を開いて、ごまかすでもなくグネギヴィットは否定した。

「そうですか」

「ええ」

 頷いて、グネギヴィットは穏やかに微笑んだ。今こうして静かな気持ちでいられるのは、間違いなくルアンのお陰だと思う。


 しかし彼との間に、特別なことは、劇的なことは、何一つなかったと断言できる。一年間、けれど限られた日のほんの一時だけ。その長くも短い時間をかけて、心地よい木陰を作る大樹のような庭師が、州城の中庭で花々の世話をしながら、グネギヴィットの話に耳を傾けてくれただけだ。ほとばしるような感情の波を受け止めてくれただけだ。何気なくも温かな、心のこもった言葉を返してくれながら――。


「伯母上、王后陛下のはかりごとを、事前に教えて下さってどうもありがとうございます。これはアレットの為にも王太子殿下の御為にも、新緑祭の夜には腕によりをかけて、完璧な男になりきるしかありませんね」

 きりりとした表情を作ってグネギヴィットが茶化すように言うと、メルグリンデも悪戯っぽく膝を乗り出した。


「それはとても楽しみですわ――と言ってしまっては、シモンに夢枕に立たれてしまいますかしら?」

「かもしれませんね。わたくしは兄上ならばいつでも大歓迎なのですけれど」

 不謹慎な会話に含み笑いを漏らしながら、グネギヴィットとメルグリンデは示し合わせたように酒杯を掲げ、当日の成功を祈って共謀者の乾杯をした。

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