7-2

「来年の新緑祭の舞踏会で、アレグリットの披露目をすることになった」

「へえ。それって、お目出たいことなんじゃあないんですか?」

 耳ではグネギヴィットの声を余すことなく拾い上げながら、ルアンは庭木を支柱で囲い、荒縄をかけて固定してゆく。土で汚れた軍手の下には、ごつごつと節くれ立った、武骨に見えて器用な手指があることを、グネギヴィットは知っていた。


「そう。とても喜ばしいことではあるのだけれど、幸先良く導いてやれるだろうかとわたくしの方が緊張している。それに、王后陛下のご意向でね、来春年頃になる公女の多くが、同じ日にまとめて王宮へ初登城をする予定だ。サリフォール家の名に懸けて、並みいる花の中に埋もれさせてしまうわけにはいかないが、豪奢に飾りすぎるのも見苦しいし……」


 グネギヴィットにしてみれば、父母と兄から後を託された可愛い妹の一大事である。アレグリットの魅力を存分に引き立てるドレスの生地や形、小物や宝飾品の選定はもとより、髪の結い方、香水の調合、唇に差す紅の色一つをとっても気が抜けない。


「その舞踏会には、公爵様も行かれるんですか?」

「勿論。お断りする理由はないからね、喪明けの挨拶も兼ねて出席してくる」

 消極的な返答に、ルアンは自らの肩の後ろを振り返り、グネギヴィットの気色を確かめた。


「しぶしぶって、ご様子ですね」

「……何故そう思う?」

「嫌だ嫌だって、駄々をこねてる時の顔をなさってる」

 想定外なルアンの返答に、グネギヴィットはぎょっとして表情を固めた。今すぐにも鏡を覗いて、自分の顔を確かめてみたい衝動にかられる。


「わたくしのことを、利かん気な子供のように言うのはお前くらいのものだぞ」

「へえ……。そいつはちょっとばかし、光栄ですね、うん」

 ルアンは綻びかける口元を隠そうとして失敗した。理解不能なその反応に、グネギヴィットは片眉を上げる。


「おかしな奴だな。わたくしは皮肉のつもりで言ったものを、どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」

「俺のことは、気にしなくていいです。それよりも、アレグリットお嬢様の晴れ舞台なんでしょうに、公爵様は何で乗り気じゃないんです?」

 緩んだ頬を引き締めながら、ルアンはグネギヴィットを促した。引き戻された話題に、グネギヴィットの眼差しが陰る。


「たいしたことではないよ。王宮主催の舞踏会とあらば、王太子殿下にお会いしないわけにはいかない。少しばかり、それが苦痛でね……」

「ああ、そういった訳ですか」

 それが衆目の集まる中での対面となれば、なおさらに気づまりであるのだろう。徒な運命に引き裂かれた、ユーディスディランとグネギヴィットの再会は、有閑な王宮雀たちの恰好の餌食となるに違いない。


「新緑祭ってことは、これから半年も先の話じゃあないですか。今からあんまり考え過ぎていると、気疲れしてしまいますよ」

 のんびりとしたルアンの助言は優しく聞こえたが、甚だしい誤解を受けている気がして、グネギヴィットは慌ただしく弁解した。


「四六時中、わたくしは別に殿下のことばかりを考えているわけではないのだぞっ」

「そりゃあそうでしょう。何をまた急にムキになってるんです?」

「そんなこと、知るものか。言わせているのはルアンだろう」


 説明のつけられない気持ちに苛々としながら、グネギヴィットはぷいとそっぽを向いた。ユーディスディランとの別れを思えば今でも胸が詰まる。けれども、自分から幕を引いた恋に、いつまでも同じ強さで囚われているのだと、ルアンに思われているとしたら耐えられないのは何故だろう?


「今一番に頭が痛いのは、披露目の折のアレットのエスコート役を決められないことだ。従兄弟たちの誰かにと考えているのだけれど、分家同士は協調を欠いていて、序列がどうの容姿がどうの年齢がどうの品行がどうのと、誰を候補に上げても粗探しをしてくれるものだから、堂々巡りで埒が明かない」

「ははあ、相変わらずお身内で揉めてるってわけですか。お貴族様の親戚付き合いって、つくづく世知辛いもんですよねえ……。そのお役目に当たるのは、お従兄弟の方じゃないと駄目なんですか?」


 相槌を打ちながらルアンは、荒縄と脚立を担いで次の木に向かった。グネギヴィットはその背中を、邪魔にならぬよう付かず離れず追いかけてゆく。

「そのようなことはない。既に縁談が調っていれば許婚の役割だ。反対に、肉親がエスコートしていれば花婿募集の証になる。わたくしは、近親者として妥当な彼らに、アレットの兄代わりを頼みたいだけなのだけれどね……」

 どうしたものやらと零して、グネギヴィットは重く溜め息を落とした。従兄妹同士は婚姻可能な間柄でもある。その事実が利害を生んで、話をややこしくしているらしい。


「この件をいかにして収めるかで、わたくしは当主としてあたうか否かを試されている気がする。……案外その為に、表面上は仲違いをしているふりをして、裏で共謀しているのかもしれないな」

「まさかそんな。お人が悪いことを――」

 ルアンには突拍子もない考えに聞こえたが、グネギヴィットの中で一度芽生えてしまった親族への疑惑は、そう簡単に消えてくれるものではない。

「やると決めれば涼しい顔でやるだろうな。目先の実利を目的として、アレットの後見役を争奪しているのも事実だろうが、サリフォール家は、先祖が狸と陰口を叩かれるような家系だ。人を化かすことならわたくしだって得意だぞ」


 ルアンは地に下ろした脚立に寄りかかり、軽く胸を張るグネギヴィットをまじまじと眺めると、深く得心した表情で頷いた。

「……ああ、そうですよね。確かにみんな騙されていますよね。俺がお会いしている公爵様と、仲間内の話題に上る公爵様とじゃあまるで別なお人だ」


「どう違うんだ?」

「叱られそうだから、言えません」

「言わないなら言わないで叱るぞ」

「前言撤回します。叱られたって、絶対に言いません」

 穏やかともいえる口調ながら、ルアンは頑なに言い切った。

「……そう」


 二人の間には、目には見えない明確な線が引かれている。グネギヴィットは鼻白んだが、ルアンが自戒して押し隠している本心を知れば、憤慨するより途方に暮れたことであろう。



「そういえば、あれって今度は公爵様がなさるんですよね?」

 白けた空気を押し流すようにして、ルアンは尋ねた。

「あれ?」

 幸いにグネギヴィットが反応してくれたので、ルアンはせかせかと話に乗せてゆく。

「あの、年頭の挨拶っていうんですか? 新年の式典でバルコニーから手を振るやつ。今年はアレグリットお嬢様が、さきの公爵様の代わりにおやりになった――」

「ああ、州公の年始顔見世だな。当然わたくしがするよ」


 グネギヴィットこそが、現エトワ州公サリフォール女公爵であると――。それを改めて民衆に知らしめる重要な儀式である。十四歳で社交界に進出し、『マイナールの白百合』と呼ばれるようになってから、父や兄が取り仕切る式典に花を添えてきたグネギヴィットであるが、州公として式の主役を務めるのは初めてのことだ。


「今みたいに、男装でですか?」

 ルアンの素朴な質問に、我が身を顧みてグネギヴィットは苦笑した。服喪を理由に社交と遊興を自粛して、政務と管財と親族会議に明け暮れているうちに、男の衣服が日常着として定着してしまっていた。女性らしい姿で過ごしているのは、何ともはや寝室の中だけではないだろうか。


「いや、ドレスを着るよ。何も知らない民衆を驚かせてしまうだろうし、祝賀の席ぐらいでは、盛装をして欲しいとアレットがねだるものだから」

「そうですか。じゃあ久しぶりに、女性の公爵様にお目にかかれるってわけですよね。今からたっぷりと楽しみにしておきますよ」

 のほほんと笑いながらルアンがそんなことを言うので、面映ゆくなったグネギヴィットはくるりと彼に背を向けた。


「そろそろ行くよ。今日はすっかりと長居をしてしまったな。ルアン、次回はどこにすればいい?」

 ルアンは急いでグネギヴィットに歩み寄り、脱ぎ落された外套を受け止めた。無造作に返されたほの温かい外套から、ふわりと芳しい移り香が漂う。


「……次のお約束はできません、公爵様」

 いけないと思いながらもルアンの目は、グネギヴィットの白い襟足に吸い寄せられてしまう。弾かれたように振り返った黒い瞳にねめつけられて、抱いてはいけない劣情に気付かれたかとぎくりとした。


「使用人のお前が、主人であるわたくしに何故たてつく?」

 いや違った。ルアンの言葉を受けて、グネギヴィットは冷やかに怒っているのだった。けれどもそれはそれで、ほっと胸をなで下ろせるような状況ではなく。


「この空の様子じゃあ、明日明後日には多分、初雪が降ります。前の公爵様は雪の庭を散策した次の日から、熱を出して寝込まれてしまったんだって聞いています。あなたはそうやって男の格好でいらっしゃると、前の公爵様にそっくりで……。

 だからみんな、不安なんです。くしゃみ一つされただけでも、あなたが考えてらっしゃる以上に周囲の方々は心配をするでしょう。俺だってそうです。もしもまた一月も、すれ違うことになったらって考えると気が気じゃない」


 一言一句を言い聞かせるようにして、ルアンは懸命に訴えた。会いたくないわけではないのだ。グネギヴィットにはただ、もっと自身の健康のことを気遣って欲しい。重責を負い、激務に追われる身体は細くて、ルアンの目には脆く、心許なく映るのだ。


「ルアンは、狡いな……。兄上のことを引き合いに出されては、わたくしはわがままを言えなくなってしまうだろう」

 冬の終わりに儚く散った、シモンリールを思い起こしながら、グネギヴィットは拗ねたようにぼやいた。


「仕様がないな。わたくしの身を案じてくれているものを無下にはできないし、それに雪の上には足跡が残ってしまうものね。わたくしとお前だけの秘密を、秘密じゃないものにする、動かせない証拠が」

「……はい」


 わたくしとお前だけの秘密――。その何気なく紡がれた言葉が孕む、そこはかとない甘さにルアンは動揺する。いくら裏を返したところで、深い意味などありはしないのに。

 けれどもその秘密を今ここで、終わらせてしまわない為にルアンは続けた。

「春になるまで時間を置いて、それでもまだ『気晴らし』が必要だったら……。ご面倒ですけど、また俺を捜して下さい」


 ルアンの密やかな願いは知らず、グネギヴィットはくすりと笑った。

「まるで数カ月先の隠れん坊の誘いだね。ルアンはわたくしを、捜そうとしてはくれないの?」

「『気晴らし』をなさるもなさらないも、公爵様のお気持ち次第です。俺から声は掛けられませんから、隠れん坊の鬼にはなれません」


 それでも彼女が、見つけやすい場所にいようとしてはしまうのだろう。グネギヴィットには思いもよらぬことであろうが、ルアンは彼女に大きな弱みを握られてしまっている。

「そう。では、仕方がないからわたくしが鬼になってあげる。愚痴も弱音も泣き言も、明日から目一杯に溜めておくことにするから、ルアンは今から覚悟しておきなさい」


 ああ、全くもってこの人は――。

 ルアンは頭を抱える。とんでもなく、困った人だと。その無自覚な殺し文句で、どれだけ心の内をかき乱し、勘違いさせて……、喜ばせてくれれば気が済むのだろう?


「ルアン、また何を笑っている?」

「いえっ、何でもないですっ」

 これがその年最後の密会となった。

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