第七章「初雪」

7-1

 すぐに飽くかと思われたグネギヴィットの『気晴らし』は、けれどもなかなかにやむ気配がなく、また会う約束を繰り返しながら、なだらかに季節は移ろっていった。


 州公として政を執り、当主として一門を統べるサリフォール女公爵グネギヴィットは、公私を問わず多忙の身である。彼女がルアンと共有してゆくのは、夕刻のほんの僅かな時間だけだ。やむにやまれぬ事情があったり、単なる気紛れであったり、グネギヴィットがルアンのもとを訪れる頻度はまちまちで、三日続けてのこともあれば、十日を越える間が空くこともあった。


 当初はただひたすらに恐縮しきっていたルアンであるが、自分を相手に愚痴をこぼしたり、軽口を叩いたりして、羽を伸ばしているらしいグネギヴィットに馴染んでゆくうちに、彼女との会話を楽しむ余裕が生まれていた。二人は男と女であったが、それ以前に主人と使用人であり、抜き差しならぬ関係に発展する余地のない気楽さがあった。


 共に過ごした時の中で、グネギヴィットは植物の名に詳しくなり、ルアンは政経のことを少しばかり学んでいた。グネギヴィットが思い付く、変わったことはといえば、ただ、それだけのことで。

 心の最も柔らかな場所に潜む火種には、未だ自覚することができないまま、また冬が廻り来ていた――。



*****



 初冬の空は、重くたれこめた雲に覆われていて昼日中でも薄暗い。早い日暮れを前にして、闇の色は濃さを増していた。

 約束の場所で、ルアンは無為に立っていることはない。人待ち顔を悟られぬよう何かしらの作業をしながら、グネギヴィットを迎えるのが常であった。


「寒いな」

「そうですねえ」

 その働き者の背中に、グネギヴィットは近づいて声を掛けた。けれどもルアンは適当な相槌を打つに止まって、紅色の花を綻ばせた山茶花の雪囲いに没頭している。

「主人が寒いと言っているのだから、どうにかしなさい、ルアン」

 誰の影響なのかすっかりと図太くなり、庭仕事の片手間に『気晴らし』の相手を務めようとするルアンに向けて、グネギヴィットは高圧的に言い付けた。


「どうにかって……。さっさとお部屋にお戻りになれば済む話でしょう。いつまでも庭をほっつき歩いてないで、早く建物の中にお入んなさい」

 答えながら山茶花に触れる、ルアンの指先はこの上なく丁重で。庭木よりも、軽い存在のようにあしらわれた気がしてグネギヴィットはむくれた。上面だけのおべっかを使われるよりも、いっそ小気味が良かったが、今日に限ってこの態度は許し難かった。


「何だその言い種は! せっかくこのわたくしが、寒空の下をわざわざ愚痴りに来てやっているというのに!」

「せっかくって……。偉ぶっておっしゃるような内容ですか。誰もそんなこと頼んじゃいませんよ」

「それはそうかもしれないけれど、こうして会うのは久しぶりなのだから、嘘でもいいから、もう少し嬉しそうな顔をして見せたらどうだ!」

 なんとか一段落がついたので、ルアンはそこでようやく仕事の手を休めた。軍手を嵌めた両手をはたいてから、グネギヴィットの癇癪を真正面から受け止める。


「できませんよ」

「どうして?」

「風邪でも引いたらどうします。代る人のない、大事なお身体なのに」

 そう言ってルアンは外套を脱ぐと、ばさばさと豪快に払ってから、グネギヴィットの肩へとぶっきらぼうにうちかけた。

「あんまり綺麗じゃありませんけど、貸してあげますから被ってなさい」


 ルアンの瞳の奥には気遣うような色があり、面倒がられているのではなく、心配をかけているのだと知る。グネギヴィットの高価な香水にはそぐわない、土と藁と汗の臭いが浸みていたが、外套に残されたルアンの温もりは心地よくて、不快に思うことはなかった。


「ありがたく借りておくけれど、ルアンは寒くないのか?」

「俺は頑丈にできていますからね。あなたほどは、寒くない」

 強がることもなくルアンは答えた。大きな外套を胸元で合わせつつ、その浅黒い顔を見つめるうちに、グネギヴィットは恋人に言うような恨み言をぶつけていた。


「何故今日まで、わたくしに会いに来なかった?」

「冬支度で立て込んでいて。……すみません」

 言葉少なに言い訳をして、ルアンは大人しく謝罪した。【北】エトワ州城は雪が深い地方にある。広大な庭を雪から守る準備の為、晩秋から庭師たちは大忙しだった。最も経験の浅いルアンは庭師長に指名され、日々その手伝いで駆けずり回っていたのだ。


 一日も抜け出す隙がなかったわけでもなかったが、グネギヴィットとは現状を伝える手段もないままものの見事に擦れ違い、落ち合えたのは実に一月ぶりのことである。命じられる一方の使用人という立場上、待たされることは多々あれど、まさか彼女が拗ねてしまうほど、待ち兼ねさせることになるとは思わなかった。


「冬……、か……」

 ルアンの答えを受けて、深い感慨を込めグネギヴィットは呟いた。

 ユーディスディランの誘いに心ときめかせながら、王都へと赴いたのはちょうど去年の今頃のこと。あれから早くも、一年が経とうとしているのだと思い起こされる。


「過ぎてしまったことは仕方がない。お前にも事情があるのだろうし、腹を立てている時間が惜しい。それよりも、聞いて欲しいことが溜まっているんだ」

 感傷を断つようにして、グネギヴィットは今ある悩みを手繰り寄せた。ユーディスディランの求婚を退けて、女公爵として生きる道を選んだのは自分自身だ。しみじみと、幸せな思い出の中に逃げ込んでいるいとまはない。


「何かありましたか?」

「まあ、色々とね」

「ってことは、長くなりそうですね。……あの、仕事しながら伺ったっていいですか?」

 初雪を間近に控えて、庭の冬支度は追い込みに入っている。この辺りに植えられている山茶花の雪囲いは、できれば今日中に終わらせてしまいたかったが、またグネギヴィットの機嫌を損ねたくはなかったので、僅かながら遠慮がちにルアンは尋ねた。


「それがお前の本業だものね。いいよ。よきにはからいなさい」

 怒りをすぐしたグネギヴィットは鷹揚に承諾した。

「はい」

 ほっとした様子でルアンは、速やかに作業に戻る。先ほどは、長らく放っておかれた苛立ちから、ついカッとなってしまったグネギヴィットではあるが、庭仕事に精を出すルアンを眺めているのは、決して嫌いではなかった。

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