6-3

 その、月夜の庭での邂逅を、ルアンは春の夜の夢と片付けるつもりでいた。

「やっと見つけたぞ!!」

「はい?」

 故に、黄昏の迫る州城の庭で、肩を怒らせたグネギヴィットにいきなり足下から怒鳴りつけられて、ルアンはわけもわからず呆然とした。


「ええと……。俺また公爵様に、咎められるようなことでもしましたっけ?」

 庭木に立てかけた梯子から降り、ルアンはひたすら首を捻った。

 数日ぶりに顔を合わせた、執務室帰りの女公爵は凛々とした男装であった。黒い瞳は強く輝き、あの夜に抱き留めた時のような、儚げな風情はどこにもない。


「大いにね。ルアン、お前は連日、一体どこで何をしていた?」

「何をって、見てのとおりです。州城の庭で真面目に働いていましたよ?」

 ルアンは鳶色の目をぱちくりとさせた。どこでどのような誤解が生じているのかしれないが、仕事をさぼっていたように思われているなら心外だ。


「そうではない。わたくしは具体的に、どの庭で何の作業をしていたのかと聞いているの。この三日というもの、お前を捜す為だけに、わたくしがどれだけの時間を割いたと思っている? いつでもいいと言っていたくせに、骨を折らねば会えないではないか!」

 察しの悪いルアンに、グネギヴィットは苛々と不満をぶつけた。そのわがままな癇癪にルアンは辟易する。


「そんな無茶を言わんで下さい。ここの庭が広いのは、俺のせいじゃありません」

「ここはわたくしの城だぞ。それではわたくしが悪いのか?」

「いえそんなっ、滅相も無いっ……」

 今度は屁理屈をかざしてごね出した。グネギヴィットの扱いに困ってルアンは途方にくれる。


 黒い瞳でねめつけ、しばしルアンを閉口させた後に、グネギヴィットはふと眼差しを和らげて、引き結んでいた口元を緩めた。

「わかっている――、お前に当たってみたところで詮無いことだとね。だけど、愚痴を聞いてもらいたくて、わたくしがお前を捜し続けていたのは本当だぞ」


 その姿を眺めていると、同性に拗ねられているようでおかしな気分だが、声だけを聞いていると、うかつにも骨を抜かれてしまいそうな台詞である。ルアンは照れ隠しに頭を掻いた。

「なら、庭師長を通じて呼び出して下さればよかったのに。俺は公爵様のお部屋に立ち入ることはできませんけど、お庭にだったら伺えます」


 世間擦れしていないルアンの、使用人の鑑のような返答に、グネギヴィットは唇を尖らせた。

「馬鹿を言うな。そのようなことをすれば周囲に漏れてしまうだろう。わたくしがお前と会っていることも、愚痴の内容も」

「はあ……」

 どうやらグネギヴィットは、そのどちらも秘しておきたいらしい。確かに、妙齢の女公爵が、私用で若い庭師を呼びつけたとあれば、どんな醜聞の温床になってしまうかわからない。


「何かいい方法はないものかな……。そうだ」

 グネギヴィットは指先で軽く口元を叩いて、独りごちながらしばらく考えあぐねていたが、不意に視線を戻してルアンに問いかけた。

「ルアン、中庭で、今が見頃の花は何?」

 会話の流れをまるで無視したような唐突な質問である。それでもルアンは、きちんと考えて律儀に答えた。


「そうですね……、今でしたら鬱金香チューリップがいい感じに咲いていますよ」

「悪くないね。わたくしは赤い鬱金香の花が見たいな。どこに行けばいい?」

「あちこちに植えていますけど、南東の日時計がある辺りが多分、纏っていて一番綺麗でしょうね」

 言いながらルアンは、その風景を脳裏に思い浮かべる。赤ばかりでなく白や黄色、紫に橙色といった色とりどりの鬱金香が、日時計の周囲を飾って鮮やかに花開いていたはずだ。


「そう。南東の日時計の辺り――、ね」

「はい」

 グネギヴィットにもその位置が正確に伝わったようである。他でもない、グネギヴィットを喜ばせるために、庭師たちは日夜精勤しているのだ。手塩にかけた庭園に興味を向けてもらえるのが嬉しくて、ルアンはにこにこと笑った。


「ところでルアン、お前は州府の終業時刻を知っている?」

「はい。終業の鐘の音がこっちまで届きますから」

「ならば話は早い。庭師長から聞き及んでいるかもしれないけれど、政務の後、中庭を散策してゆくのがわたくしの日課だ。明日になるか明後日になるか、もっと先になるかはわからないけれど、時間が取れれば立ち寄るようにするから、ルアンはその日時計の近くで、わたくしが声をかけるのを待っていなさい」


 ごく当たり前の口調で、思いも掛けぬことを命じられ、ルアンは面食らった。笑い顔を中途半端に貼り付けたまま、たった今、グネギヴィットが語った一言一句を咀嚼する。

「……あ、はい……。公爵様が通られる頃合いを見計らって、ていうことでいいんですか……?」

「そういうことだ。そして会えたら、咲き頃の花を頼りにして、また別の目印を定めることにしよう。落ち合う場所をその都度変えてゆけば、まず怪しまれることはないだろう」

 グネギヴィットの眼差しが心を射るようで、ルアンはどぎまぎと落ち着かなかった。彼女の言葉が示唆していることは――。つまりは、それは――。


「この先ずっと、毎日、ってことですか!?」

「そう。天気の悪い日や、州府の公休日、お前の非番の日を除いて。――できない?」

 真剣な面持ちのグネギヴィットに、ルアンは首を縦に振り、それから慌てて横にも振った。諾うことも断ることもできかねる難題に、頭の中がぐらぐらとする。


「どっ、努力はします。けどっ、必ずというお約束は難しいです。公爵様にご都合があるように、庭師には庭師の規律がありますからっ」

 遥か高みの身分にある、女公爵を前にして、よくぞそんなことを生意気に述べられたものだと思う。狡い逃げ口上のように聞えたかもしれないと、後からルアンはひやりとした。


「ならば、無理のない時だけで構わない。誰かに見咎められてしまいそうだったり、所定の場所にお前がいなかったりすれば、わたくしは諦めて通り過ごすようにする」

 対するグネギヴィットは極めて冷静だった。感情的になることなく、あっさりと譲歩した。ここまで話を詰められてしまっては、ルアンは今度こそ、承諾するより他に道はない。

「は、はいっ」


 ふとあらぬ想像をしてしまって、ルアンの頬にかっと熱く血が上る。グネギヴィットは気付いていないのだろうか? 自分たちが先ほどから交わしているのは、まるで人目を忍ぶ恋人同士の会話だ。

「どうかしたのか? 顔が赤いぞ」

 全く気付いていないのだろう……。グネギヴィットは怪訝そうに眉を寄せる。ルアンは頭の中の考えを打ち消すようにしながら、焦りまくって否定をした。

「いえっ! 何でもないです」


「それでは、近いうちにまた来るから。わたくしとの約束があることを、決して誰にも勘付かれぬように」

 グネギヴィットは顔色一つ変えることもなく平然として、ルアンは一方的に止めを刺されてしまった。色気のある関係になったわけでもないのに、身分違いの恋人に訪れを待たされる、か弱い乙女のような役回りを言い渡されて、ルアンはもう、開き直るしかない。


「……はい。何だって聞いて差し上げるって、言い出したのは俺でしたね。言ったことの責任はちゃんと取りますよ」

 ようやく腹を括ったルアンに満足した様子で、グネギヴィットは悪戯っぽく微笑んだ。

「そうだぞ。このわたくしの弱り目を、知っているのはお前一人だ。だから、わたくしがいらないと言うまで、ルアンはわたくしの気晴らしに付き合いなさい」

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