第五章「道草」

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 飛ぶように日々は過ぎゆき、シモンリールの面影がたゆたう【北】エトワ州城の中庭には、いつしか春の花が咲き乱れて、暖かな陽光が踊るようになっていた。

 次から次へと運び込まれてくる、仕事や雑事に忙殺されていると、ぽっかりと心を穿った喪失感を思い出さずに済む。疲労は睡眠の親密な友であり、昼間のうちに身体を酷使しておけば、眠れぬ夜に苛まれてしまうことは避けられた。



*****



「公爵様」

 呼びかけられてグネギヴィットは、秘書官に視線を向ける。グネギヴィットがサリフォール公爵家の家督を継ぎ、エトワ州公に就任してから、早いもので二月が経過しようとしていた。

「どうした?」

「はい。王宮より御使者がお見えになられまして、こちらの書簡を公爵様にとお預かり致しました」

 秘書官はそう口上を述べ、捧げ持ってきた趣味の良い文箱をグネギヴィットに差し出した。

「ありがとう。下がっていなさい」 

「はい」

 秘書官は一礼をして引き下がる。期待通りの差出人の名に、グネギヴィットの眼差しは甘く揺らいだ。 そっと胸に抱いてから、人目のない場所で封を切りたかったが執務中のことである。逸る気持ちを抑えて、人柄の偲ばれる筆跡を撫でるように目で追った。


「ああ……」

 その一文に辿り着いたとき、堪えきれずに吐息を漏らしてしまった。予想外の内容に不意を打たれて、 グネギヴィットの心は掻き乱されていた。

「いかがなさいました?」

 エトワ州府の人事は、高級官僚から末端の官吏に至るまで、シモンリールの代からそっくりそのまま引き継がれている。目に見えて動揺しているグネギヴィットに、ローゼンワートが尋ねた。


「本日の午後、王太子殿下がこの州城へお運びになられる」

 喜びと、そして、苦みと。グネギヴィットは二つの想いをきつく噛みしめる。グネギヴィットの心の葛藤を知りながら、ローゼンワートは茶化すように言った。

「それはまた、急なお越しですね。殿下は女心の掴み方をよくよくご存知でいらっしゃる」

「喧しい」

 へらず口を叩くローゼンワートを軽く睨んで、グネギヴィットは州公の椅子からすらりと立ち上がった。

「ローゼンワート、後は任せる。わたくしは殿下をお迎えしなくてはならない」

「承りました。残りの仕事は我々で上手く処理しておきますよ」



 執務室からグネギヴィットを送り出した後、年若い執政官の一人が、心配げにローゼンワートに話しかけた。

「長官、公爵様は王太子殿下にも、今のお姿のまま会われるおつもりでしょうか?」

「構わないだろう。それはむしろ必要なことだ」

「は?」

 間の抜けた表情をする執政官を流し見て、ローゼンワートは皮肉るように唇を歪めた。


「夢見がちな王子様には、目の前にある現実を思い知って頂かなくては。グネギヴィット様は、エトワ州府にもサリフォール家にも欠かせぬ御方。もはや王太子妃にはなれないのだということを」

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