第五章「道草」
5-1
飛ぶように日々は過ぎゆき、シモンリールの面影がたゆたう
次から次へと運び込まれてくる、仕事や雑事に忙殺されていると、ぽっかりと心を穿った喪失感を思い出さずに済む。疲労は睡眠の親密な友であり、昼間のうちに身体を酷使しておけば、眠れぬ夜に苛まれてしまうことは避けられた。
*****
「公爵様」
呼びかけられてグネギヴィットは、秘書官に視線を向ける。グネギヴィットがサリフォール公爵家の家督を継ぎ、エトワ州公に就任してから、早いもので二月が経過しようとしていた。
「どうした?」
「はい。王宮より御使者がお見えになられまして、こちらの書簡を公爵様にとお預かり致しました」
秘書官はそう口上を述べ、捧げ持ってきた趣味の良い文箱をグネギヴィットに差し出した。
「ありがとう。下がっていなさい」
「はい」
秘書官は一礼をして引き下がる。期待通りの差出人の名に、グネギヴィットの眼差しは甘く揺らいだ。 そっと胸に抱いてから、人目のない場所で封を切りたかったが執務中のことである。逸る気持ちを抑えて、人柄の偲ばれる筆跡を撫でるように目で追った。
「ああ……」
その一文に辿り着いたとき、堪えきれずに吐息を漏らしてしまった。予想外の内容に不意を打たれて、 グネギヴィットの心は掻き乱されていた。
「いかがなさいました?」
エトワ州府の人事は、高級官僚から末端の官吏に至るまで、シモンリールの代からそっくりそのまま引き継がれている。目に見えて動揺しているグネギヴィットに、ローゼンワートが尋ねた。
「本日の午後、王太子殿下がこの州城へお運びになられる」
喜びと、そして、苦みと。グネギヴィットは二つの想いをきつく噛みしめる。グネギヴィットの心の葛藤を知りながら、ローゼンワートは茶化すように言った。
「それはまた、急なお越しですね。殿下は女心の掴み方をよくよくご存知でいらっしゃる」
「喧しい」
へらず口を叩くローゼンワートを軽く睨んで、グネギヴィットは州公の椅子からすらりと立ち上がった。
「ローゼンワート、後は任せる。わたくしは殿下をお迎えしなくてはならない」
「承りました。残りの仕事は我々で上手く処理しておきますよ」
執務室からグネギヴィットを送り出した後、年若い執政官の一人が、心配げにローゼンワートに話しかけた。
「長官、公爵様は王太子殿下にも、今のお姿のまま会われるおつもりでしょうか?」
「構わないだろう。それはむしろ必要なことだ」
「は?」
間の抜けた表情をする執政官を流し見て、ローゼンワートは皮肉るように唇を歪めた。
「夢見がちな王子様には、目の前にある現実を思い知って頂かなくては。グネギヴィット様は、エトワ州府にもサリフォール家にも欠かせぬ御方。もはや王太子妃にはなれないのだということを」
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