第三章「総領」
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幼少の頃から病弱で知られる公爵のことである。急に暑くなったといっては眩暈を起こし、寒くなったといっては熱を出す。大人になって少しは丈夫になったものの、季節の変わり目には必ずといってよいほど体調を崩すので、州都マイナールの臣民は、シモンリールの病気にすっかりと慣らされていた感がある。
州公様がお風邪を召されたらしい。今年もどうやら本格的な冬の到来ですね――などと、城下の民衆の間では、当初は不謹慎にも時候の挨拶のように語られていたほどである。
けれども十日が過ぎ、二十日が過ぎ、一月が過ぎても、シモンリールの快気の報は一向に伝えられず、年若い公爵を慕う人々の不安は、折からの雪のごとくに降り積もっていった。
城内に満ち城下町の活気にまで影響を与えている、不吉なしめやかさを払うようにして、新年を祝う式典は予定通り盛大に執り行われたが、州公シモンリールのみならず、『マイナールの白百合』と呼ばれ人気を博す美貌の令嬢グネギヴィットも、王都での社交の為に不参加とあって、さらなる寂寥感を煽る結果となってしまった。
例年に比べて著しく盛り上がりに欠ける中、兄の名代として一人バルコニーに立った幼いアレグリットの姿だけが、清く可憐な印象を人々の胸に刻んでいた。
州城の南棟にある執務室に、主であるシモンリールが不在でも、州府は業務を滞らせるわけにはゆかない。もとより、エトワ州公サリフォール公爵は国内最高位の大貴族でもある。国府への参加や社交などの理由で城を空けることもしばしばであり、州府は州公抜きでも正しく機能するようになされていた。
州公の留守を預かり、代わりに州政府を組織運営するのは、エトワ州府執政長官ローゼンワートの仕事である。
年齢に十近い開きがあったが、シモンリールとは
州公不在の穴を執政長官が埋めるのは通例のことであるが、此度はシモンリールの先行きの知れぬ長患いが理由とあって、『傍流の若造』が実質的な権力を掌握していることに、彼よりも本家に近い人々は、激しい嫉妬と暗い疑念を抱くようになっていた。
ローゼンワート自身は職権の乱用を避けて、あくまでも当主に忠実な姿勢を崩さずに、急を要する案件に関してのみ、シモンリールの許しを得た上で、アレグリットの手を拝借して州公の印章を押してもらい、決済を下すという回りくどい手順を踏んでいた。
しかし、シモンリールの実妹とはいえ、アレグリットは社交界への披露目も済ませていない成人前の姫である。それが不穏分子の不平不満を逆撫でし、当主シモンリールと総領グネギヴィットに次ぐ公爵家第三位の人物について、見解の相違がある両者の間には、深刻な軋轢が生じつつあった。
*****
「おはようございます、バークレイル様」
「うむ」
エトワ州公の執務室を目指して、今朝も我が物顔で州城に乗り込んできたのは、先代公爵のすぐ下の弟バークレイルである。本家に最も近い血統に驕り、若き公爵の指南役を自負している彼の行く手を遮ろうとする者は、州府の官にはまずいない。バークレイルにとって目障りなのは、忠義面を被って執政長官の座に居座り続ける、ローゼンワート唯一人である。
執務室の手前に設えられた秘書室では、州公の秘書官と共に、ローゼンワート直属の執政官たちが忙しく立ち働いていた。ふんぞり返って尊大に入室してきたバークレイルに、秘書官の一人が作り笑顔でにこやかに歩み寄った。
「おはようございます、バークレイル様。すぐにお取り次ぎを致しますので、しばらくお待ち頂けますでしょうか」
「取り次ぎだと? 奥にいるのはローゼンワートであろう」
サリフォール公爵家での席次は、ローゼンワートよりもバークレイルの方が格段に上である。愛想ばかりがいい秘書官に形式通りの受け答えをされて、バークレイルは目に見えて不機嫌になった。しかし秘書官は、頑なな態度を改めず、どこか誇らしげにすら見える表情で否定してのけた。
「いいえ、本日は、お嬢様もご一緒でいらっしゃいます」
「お嬢様――、またか」
その返答に、バークレイルは苦りきった顔つきになった。年端もゆかぬ少女の存在を必要以上にありがたがる、融通の利かない秘書官を見下して、呆れ果てた口調で言う。
「エトワ州公の印章は、アレグリットにはまだ重かろうて。子供の玩具にしてしまうには、実に勿体ない代物だ。州公の承認を待って、溜まり切った書類が山のようにあるのだろう? 今日こそはこのわしが、代わりに片付けてやろうほどに」
「いえ、あの、そうではなくて……」
言いさす秘書官の言葉には耳も傾けず、強引に執務室の扉を破ったバークレイルは、予想外の光景を目の当たりにしてその場に凍りついた。
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