2-2

 入浴と着替えを終えると、グネギヴィットはソリアートンの采配で強制的に食堂へと送られた。

 夜半近くのことであるので、髪は結い上げず背中に流したまま、身に付けているのは締め付けの少ない部屋着の上にガウンといった寛いだ格好である。身分ある女性が人目に晒す姿ではないので、陰で指揮を執るソリアートンを筆頭に、男性使用人は令嬢に恥をかかすことがないようにと、自主的になりを潜めていた。


「アレグリット様! お待ちを……!」

「いいえ、待ちませんわっ!」

 短く言い争う声が聞こえたかと思うと、激しく音を立てて扉を破り、小さな嵐が食堂に駆け込んできた。

「お姉様っ!」

 グネギヴィットは食事を中断して立ち上がり、年の離れた妹の身体を両手でしっかりと受け止めた。

「ただいま、アレット」

「お帰りなさいませ、お姉様……!」

 幼い頃に亡くした母親に似た、懐かしい芳香がする姉の身体に、アレグリットは感極まったようにしがみついた。


「少し痩せたようだね、アレット。きちんと食事は摂っていたのか?」

「……」

 口ごもり、頷かぬことが答えになってしまった。グネギヴィットは妹の黒髪を優しく撫で付けると、アレグリットの丸みの落ちた頬に手を添えてそっと上向かせた。

「困った子だ。また食を細くして、乳母たちを嘆かせていたのだろう? 兄上を案じてのこととわかっているが、お前もあまり丈夫な身体ではないのに……」

 王家から降嫁してきた、先代のサリフォール公爵夫人は薄命の佳人であった。容姿も気性も、母親からそっくりに譲られたグネギヴィットであったが、その病身までもは受け継ぐことはなく、兄と妹が共通して持つ、淡雪のような繊弱さとは無縁だった。


「一人きりの食事を、味気なく感じていたところだ。少しでも口にできそうなら、今からわたくしの夜食に付き合いなさい」

「はい、お姉様」

 数ヶ月ぶりの姉との再会に気を昂らせながら、アレグリットは従順に頷いた。

 二人の会話を受けて、飛び入りの小さな妹姫の為に給仕が椅子を引く。手早く銀食器とナプキンが整えられて、お湯割りの林檎酒も用意された。



「お兄様にはもう、ご面会を?」

 真夜中の食事ということで、名門公爵家の令嬢姉妹が囲んだのは、質素な食卓である。運ばれてきた牛乳粥を、申し訳程度に幾匙か掬い上げてから、アレグリットは姉に尋ねた。

「いや、早く果たしたいところなのだけれど、もうお休みだというから今夜は控えようかと思ってね。雪でびしょ濡れになって戻ったものだから、兄上やお前のことを案じるよりも先に、自分自身の面倒を見なくては駄目だと、ソリアートンに叱られてしまった」

 答えるグネギヴィットは、既にあらかたの食事を終えて、芳醇な葡萄酒のグラスをゆるりと傾けていた。


「お姉様ったら、それではソリアートンじゃなくても叱りますわ!」

「だけどこの通り、わたくしは元気だから」

「今お元気でも、もしも冷やしたままのお身体でいらしたなら、明日にはきっと倒れられてしまったでしょう」

「そう、かな。そんなつもりはなかったのだけれど、心配をかけたのなら悪かったね」


 妹の鋭い剣幕に、グネギヴィットはたじたじになった。アレグリットは姉よりも六つ年少でもうすぐ十四歳。グネギヴィットが薫り高く咲き誇る白百合の花であるならば、アレグリットはまだ固く花弁を結んだその蕾である。この年の離れた妹に、グネギヴィットは極めて弱く、責められるとどうにも頭が上がらなかった。


「お前は礼拝堂にいたのだってね。兄上の為にお祈りをしていたのか?」

「はい、春の【生命の女神】フレイアには、お兄様のご病気を治して下さいって。冬の【死者の守神】オルディンには、お兄様をまだ、連れて行かないで下さいって」

 神々の名を挙げて、具体的に祈りの言葉を口にしたアレグリットに、グネギヴィットは眉を寄せて尋ねた。


「兄上はそんなにお悪いのか?」

「……はい……」

 俄かに涙ぐみ、言葉を詰めて、アレグリットは匙を下ろすと、胸の前でぎゅっと両手を握り合わせた。

「発作を起こされると、本当に……本当にお苦しそうで……。見ていて辛くて、お可哀想でなりません」

「……そうか。お前にも一人で、心細い思いをさせてしまったね」


 ユーディスディランの誘いを受けて、初めて王都で迎えた冬は、グネギヴィットには目新しく、楽しいことの連続であった。

 王宮の最も晴れやかな場所で、王太子との恋の駆け引きに心震わせながら、華やかな式典や社交界の遊興に明け暮れている間にも、シモンリールの病状は刻一刻と悪化し、アレグリットは小さな胸に辛苦を重ねていたのかと思うと、グネギヴィットは自分自身が腹立たしくてならない。


「お姉様は、こうして帰ってきて下さいました。ですからわたくしは、もう大丈夫です」

 その姉の表情に何を察したのか、澄んだ黒い瞳でグネギヴィットを見つめて、アレグリットは気丈に微笑んだ。

「アレット、お前はまだ子供なのだから、無理はしなくても良いのだよ」

「お姉様こそ、女性にお生まれになられたのだということを、決してお忘れにはならないで下さいませ」

 それはどういう意味なのかと、グネギヴィットが問い返そうとした折のことだ。


「お嬢様!」

 血相を変えた侍女が忙しくやってきた。手にしたグラスを食卓に戻して、グネギヴィットは眼差しを向ける。

「何事だ?」

「お食事中に失礼を致します! ですが――公爵様が――!!」

 取り乱した侍女に、グネギヴィットはみなまで言わせなかった。やにわに立ち上がり、青ざめる妹を促して、兄シモンリールの居室へと急いだ。

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