第二章「兄妹」

2-1

 【北】エトワ州の州都マイナール。

 針葉樹の林に城壁を抱かれたデレス王国第二の都は、北側の国境として天高くそびえ立つ、【天を担ぐ巨人】アズナディオス山脈の裾野に位置している。


 辺境にある都市の発展を大きく支えてきたのは、デレス王国の重要産業、硝子工芸の材料となる石英の鉱脈である。アズナディオス山脈の山肌を抉って、地道な手作業により採掘される石英は、州政府の管理の下に出荷量と値を統制され、一度全てマイナールに集積されてから、『硝子細工の都』と呼ばれる王都クルプアへと運ばれていた。



*****



 しんしんと降り積もる深い雪の中で、エトワ州城はひっそりと静まり返っている。身を切り裂くような冷気は吐く息を白く染め、人の心の奥までも凍えさせてゆくようだ。

 シモンリールの病に意気消沈し、灯火を失っていたエトワ州城の人々は、予想よりも数日早くにグネギヴィット到着の報を受けて、俄かに活気付いた。


「グネギヴィット様!!」

「ただいま、ソリアートン」

 高価な雪豹の外套を肩からすべり落とし、侍女に受け取らせていたグネギヴィットは、慌しく出迎えにやってきた老執事の姿を認めて淡く微笑んだ。

 王宮で王太子に対面していた、匂うような貴婦人の姿はそこになく、州城の侍女や供をしてきた従者たちに囲まれているのは、凛然たる眼差しをした男装の麗人である。


「これは――、思いの外に、お早いお帰りでいらっしゃいました」

「のんびりと旅を楽しんでこられるような心地ではなかったからね」

 厚い皮の手袋を外して、グネギヴィットは侍女から差し出された大ぶりの浴布タオルと交換をした。

 その姿から察するに、令嬢は王都からの旅に時間のかかる馬車を用いず、自ら馬を駆って帰郷を急いできたのだろう。化粧気のない顔は厳しく引き締まり、首の後ろで束ねただけの長い黒髪は、雪と汗を含んでしっとりと重く濡れている。


「兄上のご容態は?」

 衣服を変えると気持ちも入れ替わるのか問いかける声音は硬い。だがそのどちらの姿も、ソリアートンには馴染み深い一人の令嬢のものだ。

「シモンリール様は、今宵は少し落ち着かれていて、先ほどからお休みでいらっしゃいます」

「そう。妹は?」

「アレグリット様なら、礼拝堂においでの筈です」

「それではまず、あの子の顔を見に行くとしよう」


 濡れた髪を拭うのもそこそこにして、浴布を肩に羽織りながら素早く身を翻したグネギヴィットを、ソリアートンは強い口調で引き止めた。

「なりません! アレグリット様には私どもがすぐにお知らせを致します。そのような酷い格好のまま城内をうろつかれて、あなた様まで床に付かれるようなことになれば、城の者たちがどれほど心痛をするとお思いですかっ!!」

「……済まない、少し焦りすぎてしまったようだ」


 祖父と呼んでも良いような老齢のソリアートンの顔色に、心労による憔悴の色を見て取って、グネギヴィットは素直に謝罪をした。

 改めて侍女たちに注意を払ってみると、自分の帰着に喜色を浮かべてくれながらも、みな心晴れることなく打ち沈んで見える。シモンリールの病状が、いかに深刻に人心を揺るがせているのかを、思い知らされるようだ。


「ご心中はお察し申し上げます。なれど、まずはご自愛のほどを」

「わかった。先に着替えを済ますとしよう」

 周囲の者に動揺が満ちているからこそ、決して取り乱すことなく冷静に自己を保っていなければならない。ソリアートンに答えながら、公爵家の総領としての責任が重くのしかかる肩を、グネギヴィットは指先が白くなるほどきつく掴んだ。


「勿論でございます。早くお身体を温めて頂かなくては。誰ぞ、お嬢様を浴室へお連れせよ」

「はい」

 ソリアートンの命を受けて、手すきの侍女が一人速やかに進み出る。

 待ち望んだ代行のあるじを迎えて、エトワ州城の人々は、恵みの雨を得た庭木のようにほっと息を吹き返していた。

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