第六章 星空の下(もと)で
その日の夜、千佳と達也の家族は、
千佳の家で、夕食を共にする事になった。昼間、繁から、取引先から「沢山のカニをもらったから」と連絡があり急遽そのようになったのである。
両家が食事を共にすることは、別に珍しいことではなかった。繁と高志は、同級生で、大学も同じだったし、その友情は薄れるどころか、今も無二の親友として、兄弟以上の付き合いをしていたのである。夕食は八時頃から始まり、二人は酒を飲み交わしていたが、繁と違い、高志は酒は好きだが弱く、すぐに顔を紅く染めていた。千佳と達也は並んで食事をしていたが、高志が突然、千佳に向かって、
「千佳ちゃんはいつか、達也のお嫁さんになってくれるんだろ?」
と言って、達也を慌てさせた。千佳にとっても、そのひと言は、とてつもない衝撃だった。間髪を入れずに達也は、
「お父さん、何、バカなこと言ってんだよ。酔うとすぐにこれなんだから………」
「何っておまえ、お父さんは大歓迎だな、千佳ちゃんとなら」
「僕達はまだ中学生なんだよ」
「そんなこと、言われなくてもわかってるよ。だから、何(いず)れって言ってるじゃないか」
「それがいけないって言うの!」
「おかしな奴だなあ。お前、何をムキになってるんだ。それとも他に誰か好きな子でもできたのか?」
それこそが千佳にとって、これ以上ない無神経な言葉であった。
「そんなつまらないこと聞かないでよ」
達也は言ったが、現実を見ている千佳には、達也のその返答も、断定的な否定には聞こえなかった。繁と陽子は、笑って聞いていたが、繁は、
「高志、もう酔ったのか。そんなことを言ってると、達也に嫌われるぞ」
「酔ってなんかいないよ。俺はただ、千佳ちゃんを、達也以外のお嫁さんにはさせたくないんだ」
「なんだお前。それじゃあ今のことは本気で言ったのか?」
「冗談だと思ったのか?」
「当たり前じゃないか。そんな話をこの時期に突然聞いて、誰が本気にするもんか」
「それもそうだが、お前は千佳ちゃんと達也は最高のカップルだとは思わないか?」
千佳は、耐えきれずに、
「やめて。お父さんも、おじさんも」
その話を止めた。陽子も続いて、
「そうですよ。二人を目の前にして、する話ではないでしょう。何ですかもう。お酒の肴なら、まだ沢山ありますから」
達也も多少イラつきながら、
「お父さんの悪いところだよ。酒を飲むと軽口なんだから」
「もういいわ。たっちゃん」
「ハハハ。達也の言う通りだ。それより、お前自身の事はどうなんだ。このままではいかんだろう」
「そうですよ、高志さん。貴方の気持ちは痛いほど分かるけど、お仕事のこともあるし、もうそろそろ自分のことを考えてもいいのじゃないかしら」
陽子も繁も、高志の心の内を知り尽くした上での忠告だった。
「達也の前だが、静江さんのことをいつまでも引きずっていては、これからのお前の人生にプラスになるとは思えないな。再婚のことも含めて考え時だと思わんか?」
「………」
「達也君は、どう思ってるの?」
陽子の問いに、複雑な表情で聞いていた達也は、
「僕は、お父さんが大変だからとか、僕が寂しいだろうからとか、そんな気持ちで結婚するなんて、絶対賛成できない。相手の人にも失礼だし」
「………」
「でも、お父さんに本当に好きな人が現れたら、反対なんてしないよ。喜んでお母さんと呼ぶ」
それは、千佳に新たな感動を与えた。「これが私の好きなたっちゃんなんだ」と。
「達也、いい返事だな」
繁は、称えながら、優しい瞳を達也に送った。
「そうね。達也君の歳ではなかなか言えない言葉ね。なんだかせっかちに考えていた私が恥ずかしいわ」
「いや、繁や、陽子さん、千佳ちゃんにはいつも感謝してるんだ。それに達也もありがとう」
寸前までほろ酔いだった高志の姿ではなかった。
「ただ僕の中では、静江のことは昨日のような出来事なんだ。皆には心配をさせてしまうが、もう少しだけ時間をくれないか」
「いいのよ高志さん。私達がいけなかったの。ごめんなさいね、嫌な思いをさせて」
「陽子さんに謝られると却って辛いよ。僕もこのままではいいと思っていないし、もうすぐ静江の五回目の命日だから、法要を済ませた後で、自分なりのけじめをつけようと思ってるんだ」
陽子たちのおせっかいもあながち無駄ではなかったようである。静江への未練を断ち切ることのできない高志からその言葉を引き出せただけでも、ある意味収穫だった。二人共、決して高志の再婚を急がさせようとしているわけではなかった。年齢的にも男盛りの高志が、このまま、静江をしか愛せないでいるその心が忍びなかったのである。
「お前の一言が、思わぬ深刻な話になってしまったな」
繁は、微笑みを浮かべて言った。
「しかし、ちょうど良い機会だったかもしれん。達也にも俺の気持ちをわかってもらえただろうし、俺も達也の気持ちがわかったんだからな」
高志は快い笑顔をそこに見せた。
「さあ、この話はここまでだ。もう少し飲むか。俺は、明日の夜から長野に行くので深酒はできんが」
その後、繁と高志は打って変わった明るさで、ゴルフや、世相談義に入ったために、千佳と達也はどちらから誘うでもなく揃って庭に出た。夕刻まで影響していた台風も逸れて、今は爽やかな星空だった。ふたりは縁台に並んで腰を掛けて、互いに思い思いの星を見つめていたが、達也が、
「千佳、ごめんな」
「えっ、何が?」
「お父さんの事」
「おじさんの事って?」
「ほら、千佳のこと、お嫁さんとか言って」
「なあんだ。そんなこと気にしてたの?」
「気にするよ。だって普通、子供にあんなこと言わないだろ」
「おじさん寂しいのよきっと」
「だからといって」
「もういいじゃない」
千佳は後ろの毛をかきあげながら、
「それにちょっと嬉しかったかな私」
「えっ?」
達也は驚いて千佳の顔を見た。
「勘違いしないでね。おじさんの気持ちに対してだから」
「そっかぁ。お父さんは千佳の大ファンだからね」
「おじさんが、たっちゃんだと良かったのにね」
千佳は冗談とも取れぬ表現を使った。
「千佳、さっきから何を言ってんだ?」
「さあね。可笑しいね。ひょっとしてお酒の匂いで酔ったのかも」
千佳は笑って言ったが、自分の心を必死になって抑えていた。今のこの素敵なステージが思わず自分の本音をさらけ出しそうで。
「たっちゃん」
「ん?」
「私ね………。ううん、何でもない」
「やっぱり、今夜の千佳はおかしいよ」
達也は怪訝そうに千佳に視線を向けた。千佳は空を見上げたまま、話しをそらして、
「こうして空を見つめていると、微妙に空の景色も変わっていくのね」
「そうだね。僕達が少し見ている間にも、数知れずの星達が、消えたり、生まれたりしてるんだものね」
「あの星の中には、自分の星があるって聞いたけど、本当かしら?」
「分からないけど、三国志の諸葛孔明は、自分の星が消えそうになってるのを見て、自分の死期を悟ったらしいよ」
「そうなんだ、そんな風に星を見ていると、また、違った趣(おもむき)があるね。私の星はどれかしら?」
「ほら、真ん中の一番光ってる星」
達也は指を指して言った。
「たっちゃんのは?」
「その隣かな」
千佳は、達也のその優しい言葉に、空を見つめたまま、思わず泣きそうになった。
しかし、達也はもちろんそれには気づかず、隣りに座っている千佳の心根を察することは出来なかった。
「あっ、流れ星」
二人は同時に声をあげた。
「でも、お願いする間(ま)なんてないわね。もう一度流れないかなあ」
千佳は、無邪気に星の流れた方向を見つめていた。
「千佳、願いごとあるんだ?」
達也は、そんな千佳に向かって笑顔で聞いた。千佳の横顔もまた、わずかに笑みを浮かべて、
「有りますよ、たくさん………。でも流れ星さんにお願いしたいのはひとつだけ」
ひとつだけのお願い事。この世の中で、千佳だけが知る切ない願い事だった。自分の本心を言おうが言うまいが「恋」に変わりはない。千佳は後者を選んだ。というより、兄妹のように育ったその境遇がそれを言えなくしていた。しかし、そうでなかったとしても千佳の性格からして言えたかどうか。
ただ、達也にもそれらしき兆候がなかったわけではない。隣で座っている千佳の横顔は、とばりの中に、星の光を受けて白く輝いていた。二人は幼い頃から、野で、川で、海で、共にに遊んできた。しかし、達也は、かつて、千佳の事を一度も女性(おんな)として意識をしたことはなかった。ただ、今夜の達也は違った。恋の憂いを胸にした女性の香りが、達也を包んでいるかのように。千佳の小さな胸の膨らみ。うなじの白さ。達也が初めて感じる千佳の女性としての美しさであった。早苗との出会いによって、この時期、誰にでも存在する異性への興味を、達也は明らかに感じ始めていた。いわゆる恋の芽生えである。しかし、千佳にとって不幸なことは、その対象が千佳ではなかった事であった。
こうして、二人は、秋の美しい夜を過ごしていたが、この場で二人の思いがひとつに重なり合うことはなかった。そして千佳は思った。こうして、達也とふたりで星を見上げる夜がこれから何度あるだろうか。と
やがて二人は、部屋に戻ったが、達也は、千佳に告げなければならない、大切なことを告げなかった。というより今夜の雰囲気は、達也にそれを告げる機会を与えなかった。そしてそれが後々、大きな問題になっていくことを、今の達也にはわからなかった。
愛と命 @eiki0504
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