第五章 友情
二学期の中間テストは、初日にわずかなゴタゴタはあったが、四日間の日程で終わり、千佳の予想通りに、クラスの生徒たちは口々に「やばいよ」を連呼していた。その日千佳は掃除当番のために、達也と下校を共にすることはできず、同じ当番だった和代と二人で学校を出た。今日の淡路の空は、南の海上にある台風の影響で風も強く、どんよりと曇っていた。いつも和代と別れる場所に来た時、和代は、いつもと変わらぬ様子で、
「千佳、少し話していかないかなあ」
千佳の表情を伺うようにして誘った。
「うん。いいよ」
千佳は愛想よく答えた。
ふたりは脇道に入り、山道を少し登ったところにある、小さな公園に来て、そこの丸太のようなベンチに並んで座った。ここは、いつもであれば瀬戸の海が一望できる景勝地であったが、今日の海は鉛色の空を映して視界も悪く、高い波が岩で砕け散る、いわゆる男性的な姿だけを見せていた。和代は、両手を上げて背伸びをした後、
「秋深き 隣は何を する人ぞ」と、句を詠んで、
「千佳、この俳句知ってるでょ!?」
と、おもむろに聞いた。千佳は不思議そうに、
「もちろん知ってるわ。松尾芭蕉の俳句でしょ」
「そう。単純だけど、よく考えると、意味深いのよね、この俳句」
「かず、急にどうしたの?」
「千佳、私が今日、千佳を誘った意味、分かってるよね!?」
「………。」
「隣の人って、千佳にとって誰のこと?」
「………。」
和代は、続けて、
「このままでいいの?」
いきなり話を切り出してきた。千佳は少し戸惑った表情を見せたが、和代の言いたいことはすぐに分かった。しかし、敢えてその表情を見せまいと、
「何が………?」
視線を海に向けたまま、苦笑を浮かべて言った。
「池田君と木塚さんのことよ」
「仲良くしてるって事!?」
「そうよ。私、我慢できない。だって木塚さん、転校してきてまだ幾日もたってないじゃない。あれじゃあ、仲良くしろって言われても無理だよ。このままだと、いつか達也くんを木塚さんに取られるよ。あれは、普通の仲良くってもんじゃないもの」
和代は真剣だった。一途なその性格は、誰であろうと、千佳に刃を向けることを許さなかった。
しかし千佳は、
「かずの悪い癖がまた始まったな。言いたいことは分かるけど、少し飛躍しすぎじゃない?たっちゃんはあんな性格だから、木塚さんだって話しやすいんだよきっと」
千佳は、「そうだね」とは言えなかった。
「相変わらず千佳らしい、優等生な言い方だよね」
「………。」
「でも、千佳だって本当は悔しいんでしょ!?」
確かにその言葉は当たっていた。悔しくないはずはない。そして、千佳は、今までの達也との関係を恨んでいた。幼友達が故に、言えないことだってある。純真な千佳の心は、その気持ちを抑えることしか考えられなかったが、それにしても、和代の鋭い感覚は、千佳の心の奥深くを、ズバリ見抜いていた。
「千佳は、達也君のことを好きなんでしょ!?」
和代の小さくて、鋭い声が千佳に響いた。
「………。」
「黙っているところをみると、やっぱりそうなのね」
千佳は沈黙の後、ベンチから立ち上がり、側に咲いている野花を一輪摘んで、
「キレイ。なんて花かしら。でも、ごめんね、摘んだりして………」
そして、和代に振り返り、
「好きよ。大好き!でも、かずが言ってるような意味じゃないわ」
「そうかしら」
「どうして?」
「どうしても………。だって、それくらいのことが分からないなら、千佳の親友だ、なんて言ってられないもの」
「………。」
「千佳は、気づいていないのか、それとも私に隠してるのか、どっちか分からないけど、間違いなく達也君を好きになってると思うわ」
「かずに隠したりしないわ」
「だったら気づいていないのよ」
「言ってる意味がよく分かんない」
千佳に、その意味が分からないはずはなかっが、たとえ親友である和代に対しても、言わなければならない仕方のない嘘だった。
聞きようによれば、おせっかいな和代にも確かな言い分はあった。
「そう。分からなければそれでいいけど、ひとつだけ言っとくね。私達は、千佳と達也君が好きなの。私達にとって二人は、憧れというか、夢だし希望なの。千佳たちの友情が壊れるなんて、考えられないし、どんなことがあっても許さない」
和代の声が微かに震えて、
「千佳はいつだってそうよ。絶対に自分の心を見せようとしない。それは千佳の魅力には違いないけど、場合によるわ。今度のことだって、千佳は何もしようとしないし、私にだって、自分の気持ちを隠そうとしてるもの」
「やめて、かず。私、かずに隠しごとなんてしてないし、たっちゃんとの友情だって壊れてるとは思わない」
「だったら、この場で達也君のこと、好きって言える」
「さっき言ったでしょ」
「ごまかさないで。意味が違うって千佳言ったじゃない」
「かず、どうして、そんなに好きって言葉にこだわるの?」
「こだわるなというほうが無理でしょ。今まで千佳が大切にしてきたものを失おうとしているのよ。それに、このことは千佳だけの問題じゃない。私たちの問題でもあるのよ」
「………」
「千佳、この頃、自分でも変わったと思わない?」
「………」
「達也君にも変に遠慮して、自分を抑えてる。私、そんな千佳の姿なんて見たくない………。こんな優しい千佳なのに。悲しすぎるよ」
和代はついに涙を浮かべてしまった。賢明で涙もろい和代であったが、このような形で千佳に涙を見せるのは初めてである。
「かず………。」
千佳は、制服のポケットからハンカチを取り出して、和代の涙をそっと拭いた。
「かず、ありがとう。かずの気持ちは嬉しいけど、私とたっちゃんは、幼友達なの。それ以上でもそれ以下でもないのよ」
千佳は、和代の友情を熱く感じながらも、切ない心の内をやはり明かすことはできなかった。
「それに、たっちゃんが誰を好きになったとしても、私たちに何も言う権利なんてないもの。それは今までだって、これからだって同じよ」
達也に想いを寄せているのは自分の勝手。達也に何の責任があるというのか。自分が今、和代に本当の心の内を明かせば和代のことだ、きっと達也にも黙ってはいない。自分の言葉ひとつで、達也に嫌な思いをさせることになる。そんなことはできない。千佳の頑なな態度はそこにあった。
「千佳らしいよね、その言い方。それに、私がこんなことを千佳に言うのも変だよね。自分でも分かってる」
だが和代は、千佳の気持ちに対して確信があった。
「千佳が本当の事を言っているとは、私には思えない」
「………」
「確かに千佳の言うとおり、達也君が誰を好きになろうと自由だけど、達也君が千佳の本当の気持ちを知っていれば、こんなふうにはならなかったと思う」
「かず、もういいよ。やめよ」
「ううん、やめない。千佳はいつだって人のことばかり考えているじゃない。千佳。千佳が達也君のことを、いつまでも幼友達なんてつまらないことにこだわっていたら、達也君の気持ちは本当にどこかへ行ってしまうよ。きっとそうなる」
そこまで思ってくれる和代に、千佳にはもう、返す言葉がなかった。確かに千佳は人の心を何よりも大切にした。しかし、それは千佳の感性であり、それこそが千佳の優しさの所以(ゆえん)であった。和代もまた、それ以上は言わなかった。二人はやがて沈黙の中で、白波を立てた瀬戸の海を見つめていた。そしてそれは、二人の目にはなぜか、蜃気楼のように映っていた。和代と別れた後、千佳はひとり思った。この気持ちを、達也に打ち明けてどうなるというのか。今のままなら達也と、いつだって今までどおりに会える。
「言えない。絶対に」
千佳は心で呟いて、フッとため息をつき、家路を急いだ
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