花のない星
執行明
第1話
「変装だよ。少しでも人相を変えておいたほうがいいだろ」
頭を丸刈りにした俺を見て驚いているユカリに、俺は優しく説明した。
「いいか。モルジブの軌道エレベーターについたら、すぐカメレオン座行きの旅客船に乗るんだ。ああ、それからこのカバンも持っていってくれ。とても大切なものが入っているんだ」
そう言って俺は、彼女の手にもうひとつ、小さな荷物を押しつける。
「ねえケンジ、やっぱり心細いわ。一緒に行くわけにはいかないの」
「何度も言ってるだろう。奴らは俺たちが夫婦であることなんか、とっくの昔に掴んでいる。二人一緒にいれば、それだけ見つかる確率が高くなるんだ」
泣きそうな顔をしている妻に、俺は言い含めた。
「惑星リーレの支配宙域に入ってしまえば、奴らも手は出せないんだよ。リーレは平和で豊かな星だ。異星からの亡命者受け入れにも積極的で、各惑星から逃げ出してきた難民や政治犯には、花畑で簡単な労働があてがわれるらしい。みんなそこで、のんびりした生活を送っているんだ。俺たちもそこへ行って、ふたり仲良く過ごそうじゃないか。ほんの少しの辛抱だよ」
それじゃ、リーレで落ち合おう。そういって俺は妻にキスして送り出し、俺自身はもう一つ、ガラパゴスにある方の軌道エレベーターに向かった。
それで今、時速二七〇〇キロの反重力バイクに乗り、夜の海上を無灯火で飛ばしているわけだ。
俺はただの心理解析学者だ。サイコンピュータで人間の心理を分析する大学の助教授。まあ人生相談というかカウンセラーというか、実質的には科学を無駄遣いした占い師のようなものと思って間違いない。
それでも学と銘打っている以上、学会なるものを開いて時々集まってみたり、雑誌を発行したりしないわけにはいかない。そして、発行する以上はそれに載せる論文も必要とするし、論文となれば一般的な心理現象について知見を述べねばならない。
もともと人付き合いの嫌いな俺は、人生相談に毎日つきあうよりも、むしろそっちの方が性にあっていた。が、今回は選んだテーマがまずかったのだ。
性の解放は性犯罪の原因ではなく、その抑止因である――
20世紀から言われている説だが、俺はそれを機械的シミュレーションと実験によって、完膚なきまでに証明した。それが災いし、ポルノ根絶を唱えるある婦人団体に狙われる破目になった。しかもまずいことに、世界三大宗教のひとつに数えられるある巨大宗教の信者連中が作っている団体なのだ。
世界三大宗教のうち、いかにもこういう凶行に走りそうなのは2つある。ほら、あれとあれだ。21世紀の人間にだって、なんとなく想像はつくだろう。
俺を追っているのはどっちか? それは言いたくない。言わぬが花だからだ。とにかく、俺はポルノ根絶を掲げる狂信的な宗教団体の信者に追われているのだ。この物語を理解するにはそれだけ分かっていればいいのだ。つまり、自分の宗教が悪役になっていると思わないで欲しいのだ。もう一つの方が悪役だと、どっちにも思っていて欲しいのだ。いいじゃないかクリスチャンだってムスリムだって、ムハンマドだってイエスだって、ガブリエルだってジブリールだって、ジハードだってアーマゲドンだって……
ちなみに順番もちゃんと交代で列挙していることに注目して欲しい。片方だけを常に先に列挙するような、配慮に欠けた真似はしていない。
いや、こんな言い訳を長々と考えているのも、俺がさんざん追われてきて、狂信者というものの恐ろしさが骨身に染みているからなのだ。俺は地球から亡命しようとしている。
俺自身が狂信者に襲われてるだけでこんなに必死に逃げているのだ。このうえ、この物語そのものまでその手の輩に狙われてたまるか。
宇宙時代に入って、というより地球が銀河連邦に加盟して以来、地球の性の解放は爆発的に進行した。宇宙の無数にある種族の性の多様性の前には、地球の変質者など問題にならなかったのだ。ロリコン、SM、同性愛、二次元オタク、そんなものは今では、アブノーマルの内にも入りはしない。科学的に正しい意味での二次元世界の出身種族とも、普通にセックスできるようになったのだ。
地球の敬虔な宗教家という人種にはそれが気に食わなかったらしく、地球純潔キャンペーンだの尊神攘夷運動だのをやりまくったが、一般人は見向きもしなかった。それがますます奴らをいきり立たせたらしい。
「地球の退廃は、性の解放を詭弁を弄して擁護する地球知識人の責任である」
ということになって、片っ端から性の解放論者を暗殺しはじめたのだ。
つまり、地球よりはるかに科学力の進んだ宇宙人たちに喧嘩を売るより、無力なインテリである俺たちを殺して憂さを晴らす方を選んだわけだ。
奴らの宗教にも殺人はいけないという教義はあるはずなのだが、異教徒は悪魔であって人間以下の存在なのだという教義解釈もあるらしい。さらに、悪魔退治にかかわって命を落とした人間はかならず天国に行ける、という新解釈も奴らは作り出した。つまり、無関係の者を巻き込んでもそれは「その人を天国へ行かせてあげた」ことになるらしい。
問題は、その方針転換が、俺の論文発表と重なっていたことだ。
どうせやるならもっと早くやってくれれば良かったんだ。そうすれば、俺だってこんなテーマに手を出したりはしなかった。
俺は生活費を稼ぐついでに、頭の古い連中を、ちょっとばかり小馬鹿にしてやりたかっただけだ。相手がこんな武装を整えた狂信者の巨大な集団だなんて知らなかったんだ。知ってたら、やらなかった。だから俺は悪くない。善良な市民だ。
悪くないから、生き延びていい。
どんな手を使っても。
「ただいま入りましたニュースをお伝えします。モルジブ軌道エレベーターが、何者かによって爆破されました。犠牲者の現在の推定は6万人。判明次第詳細をお伝えいたします」
時計を見ると、ちょうど妻の搭乗予定時刻5分前だ。タイミング的に考えて、確実に犠牲になっただろう。予想通りだ。
最後に見た妻の心細そうな表情を思い出し、俺は薄笑いを浮かべた。
「判明した犠牲者について発表します。」
こういう大規模なテロになると、当局の行動は速い。むろん人間の役人が速いわけはない。税金を湯水のように投入されたロボットが速いのだ。
爆発テロを察知した当局のロボットは、生存者を助けるとともに、発見した死体を片っ端からオート遺伝情報解読機に放り込む。もちろん遺伝情報はすべて地球政府に登録されているから、誰が犠牲になったのかは瞬間的に判明し、電光石火でマスコミにリークされる。
ここで俺が妻のユカリに渡した、あのバッグの出番と相成るわけだ。あのバッグには、変装と称して丸坊主になった俺の髪の毛をぜんぶ入れておいたのだ。もちろんその髪も、犠牲者の四散した肉片にまぎれ、解読機にかけられるはずだ。
テロによる死亡者――俺は公的にそう認められ、報道される。狂信者どもは俺を殺したと安心する。全ては計画通り。そもそも、俺たち夫婦が今夜、モルジブ軌道エレベーターから逃げるという情報を偽名で垂れ込んでおいたのは、俺自身なのだ。そして俺はガラパゴスにあるもう一つの軌道エレベーターから安全に地球を脱出する。
妻と6000名の犠牲者たちには悪いが、これも自分の命を守るためだ。
ニュースが読み上げる犠牲者の名前に、俺とユカリの名前が出てきた瞬間、俺は「やった!!」と叫んだ。うまく行ったのだ。狂信者風に言えば、ユカリは天国へと招かれたことになる。
反重力バイクのハンドルを握る手にも力が入る。はるか彼方に見える、巨大な光の柱が近づいてくる。反重力エンジンよ、あれがガラパゴス軌道エレベーターだ。
「いざ新天地、惑星リーレへ!」
とはいえ、俺がカメレオン座中央宇宙空港から、個人用宇宙艇に乗ってその星へ向かうのと、新たな追っ手が来たのはほぼ同時だった。
執拗な教団のことだ。妻をエサにしたものの、あれだけで完全に追っ手をまけるとは思っていなかった。
が、こうも早いとは……オールトの雲を警備中のリーレ自衛軍に偶然出会えなければ、惑星リーレを見ることさえなく、宇宙の塵になっていただろう。
「地球からの亡命者なら大歓迎ですよ。惑星リーレの花園には地球人の方が不足しておりまして、是非とも来ていただきたいと思っていたんですよ」
そう言いながらも、リーレの入星管理官は俺の体を値踏みするようにじろじろ見ていた。いい気はしなかったが、しょせん俺は亡命者だ。自分の都合で他の星に住まわせろと言っているのに、じろじろ見られるくらいで文句を言える立場ではない。
「それじゃ、あちらの部屋で裸になって、身体検査と健康診断を受けてくださいね」
俺は言われたとおりにしたが、検査を終えた途端、入星管理官の態度は見違えるように友好的になった。俺の健康がよほど危惧されていたのだろうか。変な病気でも持っているように思われていたか。
管理局が用意したホテルで一泊させてもらい、翌朝、俺は亡命者の就職先になっているという花畑に連れて行ってもらうことになった。
道中、リーレ星人の役人が説明をしてくれる。
「我々の花畑では、宇宙中のあらゆる花を集めているんです」
なるほど、人手がいるわけだ。
「しかしながらリーレでは、花畑は単なる娯楽のための場所以上のものです。銀河をまたにかけた生物サンプルの一大集積所であり、その科学的な価値は計り知れません。一般公開はしておりますが、貴重な種も多いので、育成や警備にも非常に多くの人員を必要とするのです。ですが、この花畑をますます充実させていくことが我々の銀河連邦における主要な役割でありまして……あ、ほら、入り口が見えてきましたよ」
確かに、巨大な植物園といった風情のゲートが見えてきた。色んな宇宙人が開園を待って行列を作っている。まるでテーマパークの入場口だ。
俺たちが車を降りたそのとき。
パァン
銃声がして、俺はとっさに身を伏せた。
音のした方をみると、地球人の女がこちらに銃口を向けていた(この女が顔を隠しているかロザリオを付けているかは、ご想像にお任せする)。入場待ちの観客に紛れ込んでいたらしい。
狙撃が失敗したと分かると、女は警備員に追われるまま、脱兎のように、「花畑」の入り口に駆け込んでいった。
そして……
「ギャアアアアアア!!」
凄まじい悲鳴と、人が倒れるような音がした。
俺たちは警備官とともに、ゲートに駆け込んだ。
が、どうやらあの女が誰かに危害を加えたのではないらしい。気を失っていたのは、あの女の方だった。
一体何が……と思い、俺は初めてその花畑の「中」を見渡して、ぎょっとした。
見間違いだと思い、何度もそれを見直した。だが、間違いなかった。ポルノにヒステリックなあの女が卒倒するのも無理は無かった。
そこは、性器の展示場だった。
地面に無数の宇宙人――地球人に似た種族もそうでないのもいるが――や動物が埋め込まれ、下半身を露出しているのだ。オスもメスもいる。
「おや、何を驚いてらっしゃるんですか? 地球にもおありでしょ? お花畑」
そうか、と俺は思い当たった。
当たり前といえば、当たり前のことだった。花畑は、花を見せるためにある。
そして花とは、生殖器そのものではないか。
俺たち地球人が植物の生殖器を見て楽しむように、植物系種族である彼らは俺たちの性器を鑑賞して喜ぶのだ。
俺はまだ惑星リーレにいる。
「花畑」の地面に固定され、地上に裸の下半身を突き出した格好のまま、上半身だけは地下のスペースで好きなことをしているのだ。重力が調節されているので頭に血がのぼることもない。
慣れてしまえば、地球で机に縛り付けられているのと変わりない。いや、動き回れないだけで、上半身には常にかなりの自由が与えられている。知的な活動にはほとんど支障がないわけだ。外出だって閉園時になればできる。
超光速通信網ももちろん自由に使えるから、銀河中のニュースに触れることもできる――もちろん、どんなに高度な知的活動をしていようと、俺のペニスは地上で無数の宇宙人に鑑賞されてしまっているのだが。
だが、それがなんだというのだ?
宇宙人たちが今、俺の生殖器に向けているのと同じ視線を、地球人たちは地球植物の生殖器官に向けてきたのではなかったか。
最新の地球のニュースが、いま入ってきた。件の宗教が、被子植物の根絶活動をしているらしい。「花も人の性器も同じである」というリーレの発想を、俺を追ってきたあの女が地球に伝えてしまったようなのだ。
奴らは今、世界中で花畑を焼き払いまくっているそうだ。
それならしばらくの間は奴らにも、俺を殺しに来る暇はなくなるだろう。
地球が、花のない星になるまでは。
花のない星 執行明 @shigyouakira
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