恋の骨折り甲斐性無し

@Florence

エメーリャエンコ·モロゾフ翻訳作品。ロシア語の著作をクリミア·タタール語に訳し、それを日本語に訳しました。


「エメーリャエンコ・モロゾフ」だってよ。ヘンテコな名前にも程があるぜ、まったく。ロシア人? みたいな名前だけど、そんな難しいこと俺にはよくわからねえんだ。とにかく、外国人ってことだけはわかる。名前もだけど、何もかもがうさんくさい。いきなり近所に引っ越したと思ったら挨拶周りに来て、あいつ何渡してきたと思う? ローストビーフだぜ、ローストビーフ。お中元かと思ったよ。そしたらこれまた流暢な日本語で「私はエメーリャエンコ・モロゾフです、近くに引っ越してきた留学生です、よろしくお願いします」って丁寧なあいさつしやがるんだから。もう。それで、うちの親が何ヵ国語喋れるだの、好青年だのってのに惹かれて、めでたく俺の家庭教師就任。それで今モロゾフは机に向かってる俺の後ろで本読んでるってわけ。

「勉強は進んだかい?」とモロゾフ。

 そのとき俺は、ノートで隠れるように本を読んでたんだ。バレたら面倒くさい、なんて思った時にはもう遅い。俺のノートと本はあいつの手元に移動していた。

「これは、シェイクスピアか?」

「そんなんどうでもいいだろ! しぇいくすぴあ……だとかなんとか」

「いや、ずいぶんませた本読んでるなあと思って。君確か中学生だろ」

「本読むのに理由なんかいらないだろ。しぇいくすぴあじゃなくても、ぼーどれーるとか、こくとーとかなんとか知らないけどさ」と精一杯のかっこつけをしてやった。俺だって好きでこんなむつかしい本読んでるわけじゃないんだ。普段から本読むわけでもないし。


 学校の課題で、好きなものについて調べましょう、というのがあったんだ。かなりあやふやな宿題だったけど、俺は虫が好きで、いろんな種類の虫について調べようと思った。そこで入学以来初めて学校の図書館に本を借りにいったんだ。

 借りようと思っていた昆虫図鑑はすぐに見つかったよ。そこで貸し出しの手続きをしてもらおうと思ったら、滅茶苦茶可愛い女の子がいたんだ。受付に座ってて、長い髪が眼鏡にかかってたのが印象的だったね。ベタだっておもっただろ? 俺もおもったさ。仲良くなりたいけど、何話せばいいか全くわからない。ここで虫の話でもしようものなら絶対引かれる。そこで苦肉の策として、「ねえ、なんの本読んでるの?」と聞いたんだ。そしたら可愛い、いかにもって声で「シェイクスピア」って言ったんだ。


 俺の話を聞いてたモロゾフはずっとニタニタしてたね。時々、ほうほう、とか、うーむ、なんて偉そうな声出し始めて正直気持ち悪かったよ。

「お前、どうせ変なことでも考えてんだろ」

「む、先生に向かってお前なんて呼び方は駄目だぞ」

「何を考えていらっしゃったんですか、『先生』」

「いや、シェイクスピアにこんな言葉があってね」

「こんな言葉?」

「真の恋の道は茨の道である」



 カット。

 静かな舞台にその一声が響く。

 観客席には監督が一人。舞台にはぼくたち二人。たった三人での予行演習。予行演習、といっても、正確には演習でも練習でもない。何故ならこの舞台には台本が存在しないからだ。

 ぼくが所属している劇団では、定期的に代替わりが行われる。設定された年齢になると、劇団員はそれぞれ次の世代の団員の育成、劇団の広報などの裏方に徹する。そしていざ代が替わると、一つの劇をする。タイトルは世代ごとに異なり、内容も異なる。共通していることは、登場人物が二名、そして台本が存在しないというこの二点だ。

 その代で一番演技が上手い二名だけで行われる劇。これは劇団が結成された頃からの伝統らしい。ぼくたちの目の前にいる人も監督というよりはただの演技指導員だ。台本が無いと言ってもおおまかな筋書きはある。けどそれは役者二人が綿密ではない、ある程度の打ち合わせをするだけで終わる。話の流れを決めて、その流れに沿って物語を進めていく。ぼくたちの言う台詞によっては物語は打ち合わせとは全然違う方向に展開される。どうやら、物語を思い通りに機能させない、というのが劇団のポリシーらしい。だが、そのポリシーを貫くと当然劇が成り立たない。まず何を言えばいいかわからない。どのような動作をすれば良いかもわからない。そこで、その代で一番演技が上手い二名の登場だ。

 今回の代はぼくが演じる「俺」と家庭教師モロゾフのストーリー。ひねくれて、阿呆だが、どこか憎めない家庭教師は「俺」が恋をしていることをからかい、自身の恋愛体験を話す。「俺」は好きな女の子が本を読んでいることに気づき、その本を読みだす。時折挟まれる「俺」とモロゾフの会話には読んでいる本、ここではシェイクスピアだが、の引用がなされ、「俺」と「女の子」の恋物語もシェイクスピアの作品のようになる。という、古典的な設定に文字通りの古典作品を組み合わせた一種の入れ子構造的な劇だ。

 この劇には大きなポイントが一つある。登場人物が二人、つまり「女の子」は登場しないということだ。物語の主題としては少年のラブストーリーだが、肝心のヒロインは一切登場せず、モロゾフとの会話でしかその関係性は判明しない。これが物凄く難しい。なにせ観客はぼくの台詞でしかヒロインを想像できない。観客の脳内に鮮明なヒロインを思い浮かばせようとするには、演技力だけじゃなく、ぼく自身の語彙力も問われる。まあ、真の役者は全てアドリブでも劇をこなせる、というのがこの劇団の方針にあるからそれは仕方ないことなんだけど。

 モロゾフはタオルで汗をふき、水を飲んでいる。

「むずかしいですね」とぼく。

 彼は飲んでいた水を置き、「君は恋をしたことがあるかね?」と聞いてきた。

 趣味の悪い冗談だと切り捨てたいところだが、今回の舞台では恋愛経験の有無が演技に影響を与えるのは一理ある。一度も恋愛をしたことがない人間は恋する人間を演じることは難しいように感じる。いや、まてよ、一度も恋愛をしたことがないならば、この舞台の「俺」が初恋で、恋という感情を理解してない設定にすれば良いではないか。そこまで気づいてぼくはモロゾフを睨みつける。彼は案の定、ニタニタ笑っていた。ぼくはまだ役と同じ中学生で、彼は大学生か社会人なのは確かだが、流石にこれは舐められすぎではないかと思う。

「ふざけないでくださいよ、後数時間で本番です」

「大丈夫だ。全て上手くいく。なにせこの私天才多言語作家エメーリャエンコ・モロゾフがついているからね」

「あなたの役は家庭教師のモロゾフです。役の胡散臭さを私生活に持ち込むのは役作りとしてわかりますが、作家なんていう役じゃありません」

「いや、僕は作家だよ。少なくとも、この劇においては役者が作家を兼ねている、それはわかるだろ?」

 この人はたまに鋭いことを言ってくる。

「まあ、役者なんてのは影法師だよ。この劇団でも前口上で言うだろ、役者は全て影法師……とかなんとか」

「ああ、確かに毎回言ってますねあれ。何かの引用なんですか?」

「シェイクスピアの引用だよ」

「本当ですか」

「勿論本当だとも。というか今練習してる舞台はそこから着想を得て僕が考えたんだけど、君は何も気づいてなかったのか。今回の前口上は君がちゃんと言えよ。ほら、復唱して、『われら役者は影法師』って」

 物凄く煽るなこの人。こういう相手は巧みに話をずらして相手の隙をついてそれをからかってくる。対処法は一つだけ。こちらも話を逸らしまくる。

「ところでモロゾフさん、あなたはさっきぼくに恋愛経験の有無を問いましたが、あなたはどうなんですか? 聞かせてくださいよ」

「いいとも、じゃあ、一つ話をしよう」

モロゾフはやけに素直に応じた。

「恋の話だ」


僕は小学生だった。当時はドイツに住んでいてね、君はドイツに行ったことがあるかい? 良い街だよ。ヨーロッパは全体的に雰囲気が良いんだ。冬になるとクリスマスマーケットが開かれて、甘いムードで街全体が包まれるんだよ。入り組んだ路地であなたに出会いたい。なんてね。

ドイツには様々な観光地があるけれど、負の遺産が多いのも否めないな。まあ、それはどうでもいいんだけど。あ、よく食事にジャガイモが出てきた。というか主食がジャガイモといっても過言ではなかったね。ジャガイモ畑のジャガイモをひっこ抜いて、大人から「クソ餓鬼モロゾフ」って呼ばれたことも一度や二度じゃないよ。フランクフルトも美味しかった。子供だからワインは飲めなかったけど、ブドウのジュースも甘くて濃かった。それで当時の僕は、好きな女の子といかにして二人っきりでブドウジュースを飲むかについてばかり考えていたんだ。

好きな女の子はピアノを習っていてね、かなり上手だったんだ。僕は凄くシャイで、女の子と話すのも少し恥ずかしいくらいだったんだよ。それで「ベートーヴェンとか好き?」って聞いたら「すき」って答えてくれて、これにかこつけてアピールするしかないと思ったね。 



それで、その女の子とはうまくいったんですか?

君はベートーヴェンって聞いて何を思いうかべる?

時計仕掛けのオレンジ

そんなんだから君は駄目なんだよ

──答えは運命、運命さ。僕は彼女に運命を感じていたんだ



さっきもドイツには色々な観光地があるって言ったけど、その一つにベートーヴェンハウス、つまりは彼の生家があるんだ。ぼくはピアノを習っている彼女に一つアプローチの方法を思いついた。

エリーゼのためにってのがあるだろ。それを彼女にプレゼントしたんだ。

エリーゼのためには文字通りエリーゼという女性に贈られた恋文だ。曲自体がラブレターの役割を果たすベートーヴェンの曲さ。僕はそれを彼女にプレゼントして全部上手くいくと思った。これで二人でケルン大聖堂に行けるし、ライン川のほとりを散歩できるし、クリスマスマーケットに行って二人でブドウジュースを飲める。まさにハレルヤ!じゃないか。

でもね、駄目だった。つまりね、やり方がまどろっこしすぎて彼女には伝わらなかったんだ。彼女は僕のことをただのベートーヴェンオタクだと思って、それっきり。

ピアノなんてのも親がやらせてただけみたいで、数年後には彼女はギターを弾くようになったよ。彼女と行きたいと思ってたクリスマスマーケットの日に、迷路みたいな路地裏でカートコバーンっぽいロン毛の男とセックスしてるのを見て、全部吹っ切れたさ。ちょいと嫌がらせしてやろうと思って、持ってた空き瓶を壁に叩きつけてやったんだ。あの時の二人の驚いた顔といったら。アハハ。


「なんだか、凄く普通の終わり方ですね」

「そんなもんだよ。君だっていつかこうなる」

「俺は絶対あんたみたいにはならねえよ」

「こら、あんたじゃなくて先生と呼びなさい」

「はいはい、『モロゾフ先生』」 

「よろしい。君にはこれをあげよう」

そういってモロゾフは懐から果汁数パーセントのブドウジュースを僕に渡した。




「われら役者は影法師、」!

  「皆様方のお目がもし、」

    「お気に召さずばただ夢を」

       「見たと思ってお許しを。」

          「夏の夜の夢」

             シェイクスピア

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