第24話 歪な心
時間にして十数秒。二人の間に一切の音はなく、何もかもが静止したかのようであった。互いに隙を伺うだとか、緊張の糸の切れる瞬間を狙うだとか、そういったものとは全く異なる空間がそこにはあった。
「エミィが喋ったのか……! 余計なことを……!」
掌に穴が空くのではないかというほどに強く拳を握りしめ、歯が砕けるのではないかというほどに強く食い縛る。そんなミントを見てロメリアは目を細め、首を横に振った。
「じゃあなんだ! ランか!? そうだあいつは大体私のことを見透かしているだろうしな! それともなんだ、お前が自発的に気付いたとでも? いいやもう言わなくていい! こうなってしまえば今更何を隠す必要がある? そうさ私は臆病者だ!」
異常に大きな身振り手振りを交えながら、堰を切ったように凄まじい早口で言葉を叩きつける。今のミントは怒り狂うのとはまた違う、狂人の相を垣間見せていた。
「だがなロメリア! お前は私を非難するがな、冷静に考えてみたらどうだ? そもそもだ、そもそも人を殴ることの何が楽しい!? 肉を抉り、骨を砕く感触の何が心地良い!? 何が悲しくてそんなものを私が感じなければならないんだ? ええ? 人となりも知り、痛みを知った上でどうして人を痛め付けられる!? おかしいのはお前らの方だとなぜ気付かない! ……そういえば、アキラのやつはスポーツみたいなものだとも言っていたな? なるほど、そう思えば少しは納得が行くかもなぁ。格闘技は人を痛め付けるのが目的じゃないという理屈があるわけだ。技を磨き、競い合い、お互いを高め合う素晴らしいものだという道理が通るわけだ……私が奴らと同レベルであったならばなあ!! 残念なことに私は子供の豆鉄砲の撃ち合いに持っていけるような得物は持ち合わせていない。言うなれば竹刀でやる剣道に真剣を持ち出すようなもの、豆鉄砲の撃ち合いに実銃のショットガンを持ち出すようなものだ! それをどうやって肯定するつもりだ言ってみろロメリアぁぁぁぁ!!!!」
ミントは相手に一切口を挟む隙を与えず、声が裏返ろうと構わず喋り続け、ロメリアの胸ぐらを掴むと顔を突き合わせて暴風のように叫んだ。
再び硬直と静寂が発生する。しかし今度はそれほど長く続かず、ミントがロメリアを離すと同時にまた早口で喋り始めた。
「私は他人の心なんてものがわかるような人間じゃないがな、お前が今考えていることくらいは簡単に当てて見せるぞ。おそらくお前はこう考えているはずだ。『なんだかんだと言ってはいるが大部分はお前が殴られるのが怖いからだろう』とな。まあ確かにそれはそうだ。誰が好き好んで殴られてやるものか! 仮に私がマゾヒストだったとして、誰彼構わず殴られて悦ぶほど気が狂っちゃいない! で、だ。でだよロメリア。ここまで聞いて私の幸福がお前らの世界には存在しないということは理解できたか?」
目を見開いて肩で息をしながら、ミントは再びロメリアに詰め寄る。顔は赤らんで、汗が垂れ、動いた後には虹色の歪んだ残像が残る。
「はあ……はあ……ああ! 言ったよ! 言ってしまったよロメリア! あぁはは……もはやお前がどこの誰に付こうと勝手だ! どうせお前が何をしようと首を撥ね飛ばすような肝は私には無いんだからな!」
ミントは部屋の隅に転がっていた何らかの動物を象ったと思われる金属製のオブジェを蹴り飛ばした。ミントの足は何の抵抗もなくオブジェを通過し、オブジェは真っ二つに分かれ、三分の一ほどは粉々に砕け散った。かなりの年数放置され、錆びだらけで脆くなってはいただろうが、それにしても異様な壊れ具合だった。
金属片を拾い上げて、握り潰し、地面に叩きつけ、踏み潰す。二回この動作を繰り返した後、ミントはそれを傍観するロメリアの方へと向き直り、再び口を開いた。
「お前はどうする? アキラに告げ口でもしてみるか? ミントというやつが『星滅』の正体だと!」
「そんなことしたってあたしに何のメリットがあるのよ……一応最後まで付き合ったげるわよ。かわいそうだから」
ミントの顔はこれ以上なく険しいが、ロメリアの一言を聞いてほんの僅かに笑みが混じった。
「はは……かわいそうか……かわいそうか! 私が! あぁかわいそうだな! これ以上なく! お前と意見が一致したのは初めてかもしれないな! あはは……」
対してロメリアの顔はひどく苦々しかった。ミントの言うように、嬉々として戦う自分達の方が変り者であることなど重々承知であるし、彼女の異常な戦闘力を遊びに持ち出してはならないことも理解している。態度や振る舞いの程は兎も角として、一応状況としては彼女は被害者のようなものだということもわかっている。だがそんなことよりも、今ロメリアの心にあるのは、目の前の人間の醜態に対しての憐憫の情であった。
「はは……はぁ…………何してるんだろうな、私……」
天井を仰ぎ見て呟くミントの声は、とても弱々しかった。
ロメリアがふと外に目をやると、日が沈みつつあった。集合をしたのは昼頃。思えば、これほど長い時間ミントと対話をするのは初めてのことだった。
「どれだけ時間をかけて築き上げても、崩れるのは一瞬だ……いやむしろなぜあのままで押し通せると思ったのだろうな。私はキミを脅かすばかりで、一度だって斬りつけられなかった。私が攻撃できるのは、害意と悪意を持った『敵』だけ――悪いことに、あいつらは敵だけど、敵じゃない」
「めんどくさ……全部話しちゃえば?」
すっかり呆れた様子で、ロメリアは前髪を弄りながら投げやりに言う。
「話通じそうなら言っちゃえばいいのよ。『星滅』の正体も、あんたのことも。それをネタにしてやいやい言ってくる連中でもないでしょうに」
「……私は舞台役者じゃない」
「は?」
突拍子の無い言葉に固まるロメリア。この話の流れでどこに舞台役者が出てくるのか。その心中を察したのか、あるいはその反応を見越してか、ミントは間を置かずに続けた。
「舞台だとか映画だとかの上の人物を見てみろロメリア。脚本と言い換えてもいいか。ともかく、ああいうお芝居の世界の住民はどんなだ? きっと多くは徹頭徹尾、首尾一貫。決して矛盾無く迷い、そして苦しむ……設定の話をしているわけじゃない、ああいうのは変わるのが常だ。ああ、だからつまり……彼らの心には矛盾が無いんだよ。それが良い作品だから。そうでなきゃ見辛くなってしまうから」
「何が言いたいの?」
要領を得ないミントの話し方に痺れを切らしたのか、ロメリアが詰め寄って問う。ミントは俯き、目線を外して、そのままくるりとロメリアに背を向けてしまった。
「私の心は矛盾だらけだ……ってことだよ。舞台みたいにはいかない。どこまでも不可解で……混沌としていて理解しがたい……エミィにだって……私ですら…………何も分かっちゃいないんだ…………」
そう言うと、ミントは早足で去ってしまった。一人残されたロメリアは、後を追うこともなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「やあ、トラウマ克服おめでとう。」
聞き慣れた声に驚嘆と同時に嫌悪を感じる。声のした方へ目をやると、窓からランが顔を覗かせていた。
「いつから見てたの?」
「最初からずっと」
「それはまた随分と気合の入った覗きだこと。ここまで来ると病気ね」
語気には露骨な軽蔑の意の込められていたが、ランは意に介さずに微笑を浮かべている。
「……ちょっとこっち来なさい」
促されるままに、ランは窓から部屋の中に入り、ロメリアの元へ歩み寄る。すると突如鈍い音が鳴り響いた。
「……何の真似だよ」
ランは背を床に着け、ロメリアは拳を握っていた。
「こんの悪趣味野郎! 何よ! あれがあんたの言う面白さだっての!? ふざけてんの!? あんな……」
「僕は至って大真面目だよ。あんなの中々お目にかかれないだろ? あれが面白くなきゃ何が面白いのさ? ククク。それとも何? 正義の心にでも目覚めたかい? 心変わりの目まぐるしいやつだな。だったらお前は駅前では耳栓をするのを勧めるよ。何の募金で金ふんだくられるかわからないからね」
そう言いながら埃を払って立ち上がろうとしたところで、急に体が浮き上がる。
「もう一発ぶん殴られたい?」
ロメリアが髪でランを掴んで強制的に立たせ、胸ぐらを掴んで構える。
「そいつは勘弁願うよ。降参」
両手を上げて降参のポーズを取る。さすがにまずいと判断したか、ランの顔から笑みは消えていた。
「……ふん!」
ロメリアは降ろす、というよりは、ほとんど投げ捨てるように乱暴にランを解放した。
「あんた、ミントさんを一体どうしようっての?」
「どうしようも何も、別に何もしないよ? ただ、彼女が辿る道を見たいだけ。まあアイドルの推しみたいなもんだよ。面白がって応援して、何がどうなるかは本人次第ってね」
ランは再び埃を払いながら立ち上がる。ロメリアがどうしようと、彼の本音は依然として見えてこない。ミントの側に居たいのか、戦う様を見たいのか、本人が言うように異様な人間性を楽しんでいるのか……
「そう睨むなって……キミは少し勘違いをしている。僕は別に弱い者が泣きじゃくるのを楽しんでいるわけじゃないんだ。ただの弱虫泣き虫じゃあ僕は惹かれない。重要なのは彼女の強さだよ。なあ、あの情けない姿を見たろう! あれが! あれこそが彼女の強さなんだ! デパートで母親とはぐれた子供もかくやという程の覇気の無さ! 今にも泣きそうな目! そう、だからこそ最強なんだ! 弱さに裏打ちされた強さ! 故に美しいんだ! わかるか!」
「あんたの妙なゲージュツの趣味には毛ほども興味無いわよ。あんたが何考えてるのか知らないし知りたくもないけど、あたしはあの人を助けるからね。邪魔したらただじゃおかないわよ!」
言葉に熱が入るランを払いのけて、ロメリアは立ち去った。妙に力の入ったドタドタとした足音が、徐々に聞こえなくなっていくのをランはただ黙って感じていた。
「……助ける、ねえ? いつまで同じ事が言えるのか、見物だね」
ヒーローとはなんだ? 私はゼラにそう質問した。彼女はこう答えた。ヒーローとは希望であると。では希望とは何か? 彼女はこう答えた。希望とは安心であると。ため息がでるほどに百点満点だ。
「みんなが、この人がいるから大丈夫なんだって思ってくれるのが大事だと思います。今危ないからどうにかするっていうだけじゃダメなんです。どんなに怖くても、苦しくても、大丈夫だって思えるようにしてあげるのが、ヒーローです。それが頼られるっていうことなんです」
ゼラはそう続けた。子供番組の影響にしてはよくできた考えだ。どうやらよほど優秀な脚本らしい。
「どうしてそんなことを訊くんですか?」
「……キミがもし、ちやほやされたいとだか、カッコいいからだとかでヒーローになりたいと言うのなら、そういう答えは出なかったろうな……」
ゼラは頭に疑問符が浮かんだような顔で私を見ている。私は目を背けて続けた。
「ただの目立ちたがりに力は与えられない。ということだよ。ヒーローの心得はあるようで何よりだ」
私がそう言うと、ゼラはにこりと笑いながら頷いた。
安心というワードを聞いて、私はふと親友……エミィのことを思い出した。彼女は何かことあるごとに私に向かって、安心して、大丈夫だよ、と語りかけてきた。思えば、他人と仲良くするのがお世辞にも得意ではない私が、エミィとは一切の壁を作らずに仲良くなれたのは、彼女に対する安心感からだろう。
「…………」
「どうしました?」
「キミを見ていると、どうにも親友と姿が重なってね……すぐに他人のことを心配するお人好しで、人を安心させるのが上手なんだ……」
「じゃあ、その人は師匠のヒーローですね!」
ゼラは嬉しそうに笑い、そう言った。
「……そうだな」
相も変わらず私の心は何一つ整理されてはいない。私は希望を見つけたんだ。ゼラ、キミがいれば、私は晴れて自由の身だ。『星滅』の名はキミに受け継がれ、私が傷付くことも、私が誰かを傷付けることも無い。なんなら個人の良識とローカルルールで成り立っているギークの世界に体系的な秩序をもたらすのも不可能ではない。この子ならやってのけるはずだ。何を暗くなる必要がある。ゼラがアキラ達と対等以上に渡り合えれば……心配事はそこか? いやそんなわけはない。もし現状でアキラより劣るとして、手は打っているのだから……
GLITTER RAGE 萬田 竜星 @Ryusei_Manda
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