第23話 少女と猛獣

 ゼラが叫ぶと同時に、周囲が光で満たされた。指輪に付けられた黒い宝石の奥底から、溢れるように光が解き放たれる。光はどんどん強くなり、このまま何も見えなくなるほどの光に包まれるのかと思えば、その勢いは急激に衰える。光は弱まり、最終的には指輪の付近がほんのり明るいかどうかといった具合に落ち着いた。

「やった! うまくいきましたよ! 師匠!」

「いちいち喜ぶんじゃない。グリッターリングの操作なんぞ前提でしかないだろう。あとなんださっきのは?」

「決め台詞です。道具を使うにはこれがないとダメでしょう? 一週間かけて考えたんですよー!」

笑顔で語るゼラであったが、対するミントは苦々しい顔をしていた。子供らしいとか、微笑ましいと言えばそうだが、ミントにはそのようなことを楽しんでいる精神的余裕が既に無い。

「……まあいい。ともかく、今は目の前の敵に集中しろ」

口上など言う暇があったら打撃の一つでも入れろと言うのが本音ではあったが、あまり反感を買うわけにもいかないので、ミントはこれに深く言及する事は無かった。


 ランはいつでも飛び掛かれるといった様子を見せつつも、行動を起こさず、その場に待機していた。その視線の先にあるのはゼラではなく、ミントだった。彼はミントの合図を待っていたのだ。ゼラがランの方へと向き直ると同時に、ミントは目で合図を送る。それを受けたランはたちまち口角をつり上げ、拳を振り上げて猛然とゼラに襲い掛かった。


 ランが手にした布の塊が赤く染まる。布の隅々まで真っ赤になり、ぽたぽた音を立てて液体が滴り落ちる。その手でゼラを殴る、というよりは、刃こぼれした斧で薪を割るかのごとく、力任せに叩き付けるように振り下ろす。相当に大振りな攻撃であったので、ゼラはこの一撃を容易に回避する。しかし、脅威は拳本体ではなかった。地面に激突したランの拳から、巨大な火柱が吹き上がったのだ。

「……っ! これがこの人の……!」

直撃は免れたが、かなりの広範囲攻撃だ。近距離戦になって、深く踏み込まれたら避けるのは困難だと判断したゼラは、距離を離し、中距離での戦闘をすることにした。

「殴る動作がトリガーなら、中距離以遠は不得手なはずです!」

ゼラの考えは正しい。実際にランの能力のトリガーは殴ることであり、遠距離攻撃は出来ない。だがしかし、そんな自分の弱点を把握していないランではない。距離を離されても即座に追いかけ、自分のペースを作ろうとする。元が結構な豪邸だったらしいこの廃屋、広いとはいえ室内ということもあり、離せる距離にも限度がある。

「ハハハハハハ! 逃げても無駄だよ!」

離れては詰められの繰り返し。これではらちが明かない。身体の発達具合から、ランの方が体力は上。ジリ貧になればスタミナ切れになるのは恐らくゼラが先だろう。ならば多少強引にでも攻撃をしてしまおうと、ゼラが一瞬足を止めたその時だった。


 今度はランの両手が黄色く染まる。それを打ち合わせると、一瞬、強烈な閃光が発生する。

「うぐっ! 目が……」

この攻撃、ロメリアには見覚えがあった。先のフォセカとの戦いにて、離脱に使用した目眩ましだ。

「ネタが割れてりゃどうってことないんだけど……初見だもんねあの子」

浮かび上がる憐憫の表情。彼が敵でなくて良かったと、心から思うロメリアであった。


 敵の位置がわからなくなったゼラは、数打てば当たる戦法で、前方の広範囲に細い光線を大量に発射する。しかしランは既に背後に回っており、それに気が付いた時にはもう遅かった。

「しまっ……」

振り返った瞬間に腹に拳がめり込み、同時に高圧力の水流がゼラを吹き飛ばした。

「きゃああああ!」

甲高い悲鳴が響くが、構わずランは次の攻撃を仕掛ける為に動く。

「うぅ……くっ……」


 「何あれ……あたし、あんなの見たこと無い……」

観戦中のロメリアは、ランの暴れぶりに驚きを隠せなかった。普段のつかみどころの無い、何か俯瞰しているような態度からは想像もできないような、力の限り暴れ、しかし冷静に獲物を追い詰める。その姿はまるで猛獣のようだった。

「本気でやれと伝えてあるからな……その様子だと、彼が本気を出す必要がある相手は、大抵ロメリアに任せていたというわけか。まったく……」

ランとロメリアの普段の活動では、ランは小物をいたぶったり、ロメリアが倒した敵への追撃を入れることが主で、あまり目立った戦いはせず、常に余裕を持った行動をしていた。これは単にランがズル賢いだとか、サディストであるだとかではなく、場の全体を見ての慎重な行動が苦手なロメリアを制御する役割を持っていたからだ。しかし今はその必要がない。加えてミントからの直々の指示がある。彼は今、ロメリアが知る彼とは全く別の存在なのだ。


 そんなランの能力は、彼が攻撃寸前に出す液体。色に応じた効果が発生し、赤なら火、黄なら閃光、青なら水流が打撃に合わせて巻き起こる。これにより、ランの攻撃は力任せでありながら多様であり、ひとたび後手に回れば対処が非常に困難となる。そしてゼラは今、まさにその後手に回っている状態なのだ。


 ランは自分の足元に手を着き、陸上競技のクラウチングスタートのような姿勢を作ると、拳を青に染め、これを炸裂させる。水流を使って推進力を得て、体を中に浮かせて高速移動。ゼラに急接近する。体を起こしつつあったゼラを再び殴り倒し、突っ伏したところに連打を叩き込む。

「はあ。お前、面白くないな。弱いし、工夫も無くただ殴られてるだけ。泣き喚かないのだけは誉めてやるけどさ」

「ちょっとラン! あんた手加減くらいしなさいよかわいそうでしょ! そんな子供相手に……」

「それはできないね。何せミントさんが本気でやれって言うんだもの。それに僕の守備範囲にロリータは入っていないんだ。特に躊躇する理由もない」

ロメリアを黙らせ、再び冷たい目でゼラを見下ろすラン。気を失っているのか、まるで抵抗も無い。


 しかしこれに対してもミントは依然眉ひとつ動かさない。時期が早すぎたか、だとか、これ以上は無意味だ、とか、そういう事を言う素振りは一切無い。どれだけロメリアの視線が刺さろうと、そんなものは存在しないとでも言うように、ただただゼラを見つめている。

「黙れ」

ロメリアが何かを言いかけた瞬間、先回りするかのようにミントは言った。

「このまま終わるようなやつなら最初から目を付けはしない」

「勝ちの目があるってこと? 本気で言ってるの?」

「まあ見ていろ」


 ランはゼラの胸辺りを踏みつけ、止めを刺そうとしていた。右手から赤の液体、左手から青の液体、両手を合わせ、その二つを融合、混色し、ランは紫の液体を作り上げた。

「ちょっと過剰気味でも、止めは刺す主義なんだ。勝った気がしないんでね」

両腕を振り上げ、紫の拳をゼラの顔面に叩き込む。するとばりばりと轟音が響き、紫の電撃が発生して辺りを照らし、ゼラの体はガクガクと痙攣した。

「ロメリアが相手すればもうちょっと手加減してくれたかもね」

そう吐き捨ててゼラに背を向けたその時だった。


 一筋の光がランの頬を掠める。振り向くとそこにはゼラが人さし指をランに向けて立っていた。突っ伏しての抵抗などではなく、立っていたのだ。

「ずいぶんと頑丈なことで……」

ランの顔にはまだ余裕が見える。しかし不快感を隠しきれずにいた。口元は笑いつつも、ほんの少しだけ眉間にシワが寄り、再びゼラに歩み寄る歩幅は一回り大きくなっていた。


 観戦席ではミントが珍しく歯を見せて笑っていた。

「あの子には治癒能力が備わっている。吸収した光のエネルギーを使って生物の回復力を高めることができる。そしてそれは自分自身も例外ではない。まず最初にこれを鍛えさせたのは正解だったな」

ミントが言うように、ゼラが回復能力によって耐久力を底上げしているのは事実だが、真に驚くべきは彼女の精神的なタフネスだ。ダメージを減らせるとはいえ、無効化しているわけではなく、当然痛みも全く軽減されていない。肉体的に平気であっても、痛みから降参してしまってもおかしくはない。しかし屈しない。それがゼラの強さなのだ。


 立ち上がったゼラに反撃の隙を与えまいと、ランは再び拳を振り上げる。例によって力任せにで大振りな一撃をゼラの頭部目掛けて放つ。ゼラは片手で防ごうとしているが、体力差、体格差からして防げるはずがないかに思われた。

「な……!?」

ランが降り下ろした拳は命中することなく、弾き返されて明後日の方向へと向いていた。何事かとゼラを見る。すると、ゼラの腕をうっすらと光の膜が覆っていたのだ。そう、ミントが使う自己強化と同じように。ギラギラと輝く拳がランの腹にめり込んだ。


 強化したとはいえそこは女児のパンチ、対象をズタズタに引き裂いてしまうミントのような無茶苦茶な破壊力は無い。それでも膝を着かせるには十分な威力だった。

「がっ……」

腹を押さえて膝を地に着けるランに追撃を入れようと、ゼラが構えたその時、手を叩く音が割って入った。

「よし、そこまでだ」

ミントの号令と共に双方戦闘体勢を解き、ゼラはランに手を差しのべた。

「ありがとうございました。立てますか?」

「お気遣いどうも。けど、せっかく手を貸してもらってもこの高さじゃ意味がないかな?」

「そ、そんなに小さくないでしょう! バカにしないでください!」

ひとたび戦闘が終われば、さっきまでの猛獣のごときランの姿はそこには無く、彼はまたいつもの軽口を叩く少年に戻っていた。


 ゼラはミントの下へと駆け寄ると、これでもかというくらいのどや顔で、頭二つ分はあろうかという身長差のミントを見上げる。

「上出来だよ。よく一週間でここまで仕上げた。やはりキミはセンスがある」

ミントはゆっくりとしゃがんで、ゼラの目線に合わせてからそっと頭を撫でた。

「えへへ……」

照れくさそうに、しかし心底嬉しそうに笑うゼラだった。


 ここでロメリアがある疑問を口にした。

「なーんか思ったよりちゃんと師匠出来てるみたいだけどさあ、あの人にそういう知識あったのが意外よね……」

それを聞いたランがロメリアの肩をつつき、何? と振り向く彼女の目線をある一方向へ誘導する。ランが指差した場所にあったのは、ミントのバッグだった。それにいったい何があるのかと歩み寄ってみると、バッグの端から何やら付箋のようなものが顔を覗かせている。 付箋というからには本があるのだろう。バッグの中身を覗いてみると、そこにはおびただしい量の付箋が貼られた、クシャクシャにへしゃげた本が一冊。

『グレない子供の育て方~初級編~』

なる本が入っていた。この時点でロメリアは既に笑いそうになっていたのだが、これをグッと抑える。これ以上は見ない方がいい、見なかったことにした方がいい。そう思えば思うほど、本を開いてみたくなる衝動に駆られる。

(ま、まだゼラちゃんの相手してるみたいだし、ちょっとだけ……)

その判断が命取りだった。付箋が貼ってある一番最初のページを開く。すると……

『反省点は後で! まずは褒めるところから!』

という見出しと、各所に引かれたデタラメに目立つ蛍光ペンのラインが目に飛び込んでくる。その後、ロメリアがこらえていたものが決壊するのに時間はそうかからなかった。

「……ロメリア、お前は残れ。後で話がある」

話がいったい何なのかは、最早言うまでもない。


 ミントはロメリアと二人で廃屋に残り、お互いに向き合って座った。

「他人の鞄の中身を勝手に覗くとはどういう了見だ? よほど育ちが悪いのかお前は?」

腕を組み足を組み、いかにも尊大で高圧的な態度でロメリアを睨むミントだったが、ロメリアはいつになくすました顔で平然としている。

「おい、聞いているのか?」

「聞いてます聞いてます」

いつもならロメリアは肩をすくめてガタガタと震えそうな所だが、どうにもそういう態度ではない。もう少し圧をかけてみるか。とミントは立ちあがり、ロメリアの胸ぐらを掴んで無理矢理立たせ、自分の目と鼻の先まで引き寄せた。

「……挑発のつもりか。ロメリア」

「うん。大体わかったわあんたのこと。やめたら? こんなクソ真面目な演技」

ロメリアはミントの手をこじ開けて振り払い、服を整える。一方ミントは虚を衝かれたようにその場で固まっていた。


 数秒後、ミントは我に返り再びロメリアを睨む。

「やっぱ人って図星突かれると黙るもんなのねー。うん、やっぱ考えてみりゃそうだわ。あんた、ただクソ真面目なだけでしょ」

「なんだと……!」

「もう一回言ってみろって? 何度でも言ったげるわよ。バーカ! ポンコツ! クソ真面目! ヘタレ!」

ロメリアの態度の急変に呆気に取られるミント。だがそれを表に出してはならないと踏み留まる。しかしそこなのだ。それ自体がロメリアに見透かされているのだ。

「そりゃあ、勝手にバッグの中身を覗いたのは悪かったけど……あれ見たら何て言うか、あんたのこと怖がってるのが馬鹿馬鹿しいっていうか、別に怖がる必要無いんじゃないかって思ってさ。どうせ私の時も、『人を縛り付ける方法』か何かを調べたんでしょ?」

「……………………」

「うぅわ、めっちゃ図星って顔してる……わっかりやす! 思い返してみたら、あんた人によってすごくしゃべり方変えるけど、あれも『この人にはこうして、あいつにはこうで……』ってのをいちいち考えてたんでしょ? そんで律儀に守ってたわけで」

「……っ! だったらなんだ! わ、私の性格を見透かした所で、お前と私の力関係は変わらない!」

ミントは一歩詰め寄って腕を振るい、光を纏わせてロメリアに突き付ける。

「だーからやめなってそういうの……まあ事実ではあるけども」

そう言うと、ロメリアの方からも一歩近付いて、ほとんど密着していると言ってもいいくらいの距離でミントの顔を見上げた。そしておもむろに手を伸ばすと、ミントの左目にかかっている前髪をかき分けて、両目が見えるようにした。

「学校でセンセーとかがさ、よく言うのよ。『人の目を見て話せ、人の目を見て聞け』って。あたし、それがなんの意味があるんだって思ってたのよ」

「……? 何の話だ?」

「訳のわかんないマナーだとか、くっだらない慣習みたいな話かなって思ってたのよ。コトワザだとかにもあるじゃん。『目は口ほどにものを言う』だっけ? んなわけないじゃん、話は音で出来てて、音を出すのは口で、音を聞くのは耳で、目ってそこに関係無いわけで」

ミントは硬直して動けなかった。何故かと問われたら、『何故か』と言う他なかった。腕を掴んで放り投げることも、突き飛ばして腹に蹴りを入れることもできただろうに。ただただ固まって話を聞いていた。

「けどさ、今こうしてあんたの目を見てると、意味がわかる気がする。目ってすごいその人の気持ちっていうか、想いが出るんだなって……あんた、今すっごい怖がってるでしょ。ううん、思い返してみれば今に始まったことじゃない。ずっと、最初から、いっつも怯えてた――」


 ミントはすっかり混乱していた。何故? どうして? こんなにも突然? 自分の姿を見ただけで青ざめていた相手に、突如全てを見透かしたように……誰の入れ知恵か? 考えれば考えるほど、体は石のように固まって動かなくなる。

「……おい」

締まって動かない喉から捻り出した、ひどく歪んだ声だった。

「私が……私がお前の言うような臆病者だったらなんだ……! お前はどうするつもりだ!ロメリアァッ!!」

ミントはロメリアの細い首を掴む。金縛りを力尽くで引きちぎるように動き、泣きじゃくった後のような声で叫ぶ。だがロメリアは怯まなかった。というより、怯みようが無かった。目の前にいるのはもはやただの図体のでかいだけの子供でしかないのだから。

「……ここでどうするつもりだ、とか言っちゃうのがビビりの証拠ね。何の奇跡が起きたって負けやしないやつ相手にさ」

「黙れ……ッ! このクソガキ!」

「……力、全然入ってないけど?」

状況的にはミントが圧倒的に優勢、指の力を少し入れれば窒息させることもできるし、彼女であればそのまま素手で首をねじ切ることもできるだろう。しかしミントは手をほとんど添えているだけのような状態で止まっていた。

「多分だけど……あんた、マジにプッツンしないと人殴れないでしょ? ……少なくとも、見知っちゃった相手には」

ドクンッと、心臓が体を大きく揺らしたような、そんな感覚をミントは感じた。

「手、退けて」

ロメリアはミントの手を難なく首から外し投げ捨てた。ミントの手には一切力が入っておらず、無人のブランコのように静かに揺れていた。

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