第3話

 二週間後。頭部は相変わらず立方体のままだった。首から下はさらに彫り込まれ、先週よりずっと写実的になっている。

 その超現実的なアンバランスさに、これはこれで芸術作品として成立しているのではないか、とさえ思いはじめていた。

 流れるような曲線美が生み出す肉感と、直線と直角が生み出す人工的な無機質さ。真逆の要素が一つの作品内に同居している様は、含蓄に富んでいるようにさえ思える。

 これも芸術の在り方の一つなのだろう。だとしたら、そのコンセプトは何だろうか。没個性的な現代人への皮肉か――。あるいは、ギャップが生み出すシュールさか。

 芸術に明るくない私にはさっぱりだ。


 俄かに彫刻への興味が湧きはじめ、その日の夕方には図書館に足が向いていた。

 ギリシャ彫刻とルネサンス期の彫刻に関する本を数冊手にとる。

 興味深かったのは、ギリシャ彫刻の写実性の高さには、人間や肉体を肯定的に捉える古代ギリシャの精神があったことだ。

 古代ギリシャの人々は、神に似せて作られた人間の肉体が美しくないはずがないと考え、人間自身の中に神々の姿を見つめ、そこに究極の美を求めた。

 移ろいゆく一瞬の美を永遠の中に閉じ込め、数学的な正確さで再現された理想的な人体。

 そんな人間の理想像は神々と結び付けられ、それを生み出す彫刻家もまた、神の行為を再現する存在と言えるだろう。

 ルネサンス美術には、そうした人間主義への回帰という側面もあったらしい。


 そこまで調べて、ようやく合点がいった。あの彫像の奇妙な造形が何を意図しているのか、ぼんやりとわかったような気がした。

 体は細部まで徹底してこだわるのに、頭部にはまるで無頓着な背景には、こうした精神性があるのかもしれない。

 奇を衒っているように見えて、その実、肉体の美を極限まで追求したギリシャ彫刻の精神を再解釈しようとしたのではないか。

 それがあの立方体の頭部に表れているのだろう。純粋な肉体美の追求に顔はもはや必要ないということか。


 ぱらぱらとページを捲っていると、ある図版に目が留まった。口元は笑っているのに、目は見開いたままの彫刻が幾つか紹介されている。俗にいう「目が笑っていない」状態だ。

 説明文には、アルカイック・スマイルとある。ギリシャ彫刻の初期に見られる表情のことで、生命観や情感を表現したものらしい。中には瀕死の兵士がこの表情をとっているものまである。

 そのどことなく空虚な雰囲気と不自然さには、例の彫像と相通じる何かがあるように感じられた。


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