第四話『第十使徒 正宗皇乃』8

「あァ? つまり、なんだ――俺が同期で何番目に強ェのかって話かァ?」

 カクテルグラスの中に浮いて、霜と区別がつかないくらいにやわらかく崩れかけた氷を、少し揺さぶって。

 目を細めた星野杏寿は、頬杖をついたまま、夢雨塗依の方を向いた。

 ウッドパネルの壁には戦争映画のポスターやペナントが並べられている。派手すぎない程度にミリタリー趣味の、静かなバーだった。檻に押し込められた小樽とでも言うべき形状のストーブが、吐き出しそこねた思いのように赤黒く身の内を燻ぶらせていた。

 そして、ふたりは木目に煙の染み込んだカウンターで、並んでグラスを傾けている。甘く噎せ返るような香りを纏った、感電するように強いアルコールを、舌の上で転がしながら。

 そう――今宵は、鬼百合女学院は家庭科室を占拠改装して開かれた『繚乱』の店舗ではなく。

 海辺の町の冬の夜に、ふたりは繰り出していた。

 忘れられないことはそれほどないが、忘れたいことはそれなりにあったから。

「うん」

 その夜、『繚乱』の男装不良少女たちをほとんど全員駆り出して接客させていたのは、『魔女離帝』親衛隊のとある小班であった。『繚乱』の常連であるアウグスティン恋愛は、部下たちを労う時には大体、自分の名前で自由に飲み食いして遊んでこいと『繚乱』へ送り出す。無口な叛神夜宵を指名して静かに飲むのが好きな恋愛本人が共に訪れることはないけれど、それは彼女なりの、店へのささやかな支援なのだった――そう、塗依たちは受け取っていた。

 そういうわけで、『魔女離帝』の財布の紐を握るアウグスティン恋愛のお墨付きを得た少女たちは、それぞれに男装ホストを侍らせて楽しい夜を満喫していたようだったけれど――突然の召集。どれだけ羽目を外していても一瞬で冷静に戻れるような彼女たちだから、アウグスティン恋愛が選んだ部下なのだろう。いずれにしても、水を被ったように落ち着きを取り戻した彼女たちは風のように引き揚げていってしまい、後には珍しくもアフターの時間を持て余した『繚乱』の少女たちが残されたのである。

 とっとと帰って寝るかと思っていた杏寿を、既に酒の入った夢雨塗依、彼女ならざる彼に成り代わった彼女が誘ったのだ。たまにはふたりで飲まないかい、と。

 結果、ふたつの影がここにある。物憂げな海沿いのバーでグラスを揺らしている。きっと空が白む頃までは。

「ほら、僕はその辺り、さっぱりだからさ。誰が強いのかってのはぼんやりわかるけど、結局誰が誰より強いとかっていうのには疎くて。でもうちの学校の女の子たち、みんな喧嘩談議が大好きだからね。少しくらい付き合えた方がいいじゃないか」

「そりゃ勉強熱心なこった」

 酒の入った夢雨塗依は、杏寿以外の誰にも見られずに飲むときでさえ、ネクタイを肩に回したりはしなかった。彼女ならざる彼という存在は、目が潰れそうなほどに眩しい鎧として、彼女の肉体に纏われていた。

 黒いマスクを指先で僅かにずらし、醜く崩れた歯を見せないように酒を啜る杏寿にとって、遠いと感じることも烏滸がましいくらいに遠い相手であることは論を俟たず。

 ただ、何の因果か、今宵は酒を酌み交わしている――それも初めてではなく。灰として崩れていくだけの運命だった星野杏寿を新しいカタチに塗り固めてここに存在せしめたのが、他ならぬ夢雨塗依なのだ。

「まずは当然、水恭寺と楽土だァな。きひっ、言うまでもねェか」

 灰皿を見つめる。光沢を全面に保ったままの、不思議な形をした灰皿。それがライフル用の弾倉を模したものであることに気付くまでには時間を要した。

 頬杖をついたまま、赤みがかったランプの灯に照らされる塗依の白い頬を見つめながら、杏寿は三白眼を細める。

 他人のことになど、杏寿は別に何ら興味を持っていない。ただ、塗依がそれを望むのなら、拒む理由もまた別になかった。

「それから――小峰に、糺ってとこか。なァんも自慢じゃねェけどよ、中学ン頃の俺ならこの辺りとはタイマンでいい勝負できたんじゃねェか。……あァ、太郎冠者の野郎がもしまだ鬼百合にいやがったら、こいつらか……もしかしたらその上と張り合うタマになってただろうなァ」

 中学時代――夢雨塗依と出会う前の星野杏寿。『ダスティミラー』の絶拳と恐れられていた、雷雨のような不良少女。ひた走ることが呼吸だったし、殴り倒すことが鼓動だった。

 それはもう既に風の中に消えた幻影である。

 ここにいる杏寿は、塗依と出会った杏寿だ。絶拳の残滓でしかなかった少女が、新たな色彩に塗り替えられた存在だ。

 水恭寺沙羅。楽土ラクシュミ。小峰ファルコーニ遊我。糺四季奈。そこに並ぶ五傑の残るひとりは、故に、星野杏寿とはなり得ないのだった。

「その下ンなると、もう勝負したって時の運でしかねェやな。俺に言わせりゃ、そんなに実力差もはっきりしねェ――乙丸、養老、羊崎、別市、佐藤……硯屋もギリ入れとくか。ま、そういう層ってわけだ」

 杏寿の傾けるグラスには、ハーブとレモンの香る冷たいカクテル。シルバーブレット――銀の弾丸と名付けられたカクテル。

 窮地からの一発が、不滅の怪異を砕くこともある。そんな逸話に重ねるほど大仰な話ではなく、ただ単に喧嘩とは往々にしてそういうものなのである。

「ああ、なるほどね――うん、僕にもよくイメージできる。やっぱり、動き方に個性がある子たちが多いのかな?」

 乙丸外連のカポエイラや養老案のムエタイに代表されるように、格闘技を基盤にして喧嘩のスタイルを確立している不良少女は少なくない。

「どう、杏寿。特に強いタイプとか、やりにくいタイプとかって……あるものかい?」

「きひっ……覚えとけ、ヌリィ。別にこの学校に限った話じゃねェがよ――誰よりも強い奴らってのは、自分がルールを決められる奴らだ」

 小手先なんざどうだっていいんだわ、と。

 酒に口をつけ、彼女は笑う。あかぎれの少し目立つ手の甲を翳し、歯を隠して。

「不良(おれら)の喧嘩なんざ、結局はこの世で現実に起きてる殺し合いの真似事でしかねェんだよ。どんだけ憎かろうが、実際、俺らァ相手が死ぬまでやれやしねェ。ンなら喧嘩ってのはどこまでやりゃ勝ちなんだ? 失神しようが骨折られようが、うちの学校の大抵の女ァ何日かすりゃシャンとした顔で来てっからなァ」

 塗依のロンググラスの中で、丸みを帯びた氷はぶつかり続ける。どこへ逃げることもなく、ぶつかっては離れて浮かび沈み。

 同じことを、囲われた中で繰り返す。

「折れねェ心が一番強い、なんてくだらねェ話がしたいわけじゃねェ。喧嘩の『勝ち負け』ってのは、要は『相手を屈服させられるか』で、同時に『周りを納得させられるか』でしかねェわけだ。だから――自分が勝ち逃げできるようなルールを譲らねェ奴が、一番強い」

 前髪を水引のように結んだ額に、火照った色を浮かべて。

 遠い星の物語を聞くように、大きい瞳を丸くした。長い睫毛が上下に踊るたびに、煌めく火花が散るようで。

「へえ……なるほど、確かにね……そっか、そういう考え方は、僕も好きかもしれないよ」

 ――ったァく、鈍いっつっても程度があらァよ。

 ――俺ァ端から、「格好良さ」って次元をしっかり持ち込んだテメェみてえな奴の話をしてんだけどなァ?

 もちろん、そんなことを告げたりなどせず。

 彼女は、窓の外の黒い海を見やって、自嘲するように小さく笑うのである。



 エボシラインシステム。

 それは栞という人工人格が、鋼鉄の不良少女たるアルゴリズムが、実装される前からその機体に搭載されていたコードである。

『アタシが――』

 バックグラウンド演算系強制終了。排熱処理機構回転速度上昇。並列リアクター即時全起動。

 早い話が――あくまで人間らしい駆動の延長線上に留められていた栞・エボシラインのマシンスペックを、三分間だけ全解放するのだ。

『相手だ、タコ野郎ォっ!!』

 弾丸のように栞・エボシラインが突っ込んでいったのと時を同じくして、ユ・ミンスは全身の力という力を振り絞って駆けた。震えの止まらぬ手のひらさえ薄く水の張るタイルに押し付け、四足の獣が如くして。彼女の頭の中にはもはや何もなかった。ただこの瞬間ソニアを助け出すことに全てを懸けた、焼けつくような高揚を除いては。

「ソニアっ……!」

「あ……ミン、スちゃ……」

 水音。腫れた唇から漏れる息、混ざり合う。交ざり合う。

 ぼたぼたと鼻血を垂らし虚ろな目で、アイスクリームケースの側壁に叩きつけられたまま動けずにいたソニアは、瞼だけを微かに動かした。

 満身創痍でありながら歯を食い縛ったミンスがそのやわらかさをよく知った手首を掴んだ気配を、栞が察することはない。ただ観測することしかできない機械の身体で、しかし彼女は目というカメラも熱源探知センサーも後方へ向けることはなく、トップスピードのまま殴りかかる。

 繋ぎ止める。糺四季奈の視線を。ただそのためだけに――白兵戦用人型機としての機能を、瞬間的にフル稼働させたのだ。

 右ジャブ、左フック、右ストレート、さらに足の裏から火を噴いての頭突き――ここまで一秒。

「うむうむ、いかにも! 実に余好みのBPMである!」

 ばちん、と肉の擦れる音がする。走り出そうとしている列車を殴りつけてその進路を変えさせようなど、正気の沙汰ではないはずだ。

 そのくらいのことを、糺四季奈は平気でやる。

「熱っつ」

 言いつつも、口の端を歪めていた。

 ミニマルハウスのリズムの中で、彼女の細い腕は、脚は、降り注ぐ隕石雨のような連撃の全てを去なしきっていた。

 払い除けるようにひらりと手足を使う。ほんの微かに掠りさえすれば、勢いの乗った打撃はあらぬ方向を叩く。

 ヒトという種の限界を超えているとしか思えない、反射以上の反応による受け流し。それが、生徒会長<プレジデンテ>の『絶対防御<オートガード>』。

 栞・エボシラインの駆動が人間離れしているのは当然である。人間ではないのだから。

 では――人間である糺四季奈が、それに対応できるのは何故?

『っ……しゃらあっ!!』

 鋼鉄の額を掌底で押し上げられて、頭突きを上に空振った体勢のまま、栞・エボシラインは宙へ浮く。僅かに、靴の裏の噴気口には火花さえ散らして。

 急制動。からの――空中回し蹴り。風圧の煽りを受けて商品棚の文房具がばらばらと落ちる。

 アルゴリズムが肢体の駆動を統御する。生身の不良少女に不可能な動作を、エボシラインシステムは実行させる。

 しかし、肩越しにカメラは捉えた。濡れて顔に貼りつく前髪の向こうで、同じ色をした瞳が栞を見上げている。

 彼女は、彼女だけは、同じ地平に立っている。糺四季奈。無所属の不良少女。喧嘩にまつわる伝説を持たぬまま鬼百合に足を踏み入れ、ただ研鑽を重ねてその名を確固たるものにした狂気なりし英傑のひとり。

「貴様とやるのは初めてだが、なかなか面白いではないか」

 白い腿が跳ね上がる。糺四季奈の足先が、どこまでも伸びてくるように見えた。

「全国各地のボクシングジムとかに! 貴様一台あってほしいなあ!」

 そして、がつんと音を立て。

 サマーソルトキック。

 凡そ実用性のない、宙返りをしながらの蹴り上げ。現実を超越した打点の高さは――しかし現実として目の前にいる人造不良少女への迎撃には、多少、有効であった。

「土曜のお昼に、紹介してもらうといいのである!」

『……誰が!! 便利家電!! だよ!!』

 掠っただけだった。滞空する栞が放つ真横への回し蹴りを、仰向けに後ろへ倒れ込むように体勢を崩してから、足指での踏み切りと腹筋の屈曲だけで自身の体躯を無理矢理に「宙返らせる」――その過程としての蹴り上げは、カーボンとシリコンで形作られた栞・エボシラインの蹴りと直角に交わる形で、ほんの少しその膝裏を擦っただけだった。

 それで十分だった。店内を飛行する栞の身体が、ほんの僅かに傾いた。

「いやいや、褒めているのである。貴様はまあまあ強いし、面白いのであるが」

 四季奈はタイルの床に薄く張った水の上に着地し、曲げた膝のバネをそのまま使って、斜めに跳んだ。

 裸足の裏で商品棚を蹴りつけ、細い腕を伸ばして掴む。栞のなめらかな足首を。

 栞・エボシラインは、現代科学の粋を集めて造られたモノである。

 裸の猿から幾万年、地球人類はここまで到達した。

 だが。

 しかし。

「余よりは、強くない」

 糺四季奈。

 たったひとりの少女の研鑽が、いとも容易く打ち破る――!

『なっ、てっ、てめ』

 エボシラインシステムを回しながら滞空している栞の足首に掴まった四季奈は、大きく弾みをつけて脚を振り上げ、その強靭な腹筋によって背中を丸め両脚で栞の胴をしっかりと挟み込んだ。

 それは、栞によって逆さに吊られているようにも見える姿だったが――黒髪が重力に引かれてふわりと下へ流れる中、にいっと、その唇は歪んでいた。

 けたたましきは破砕音。通常、少女数人にぶら下がられるくらいは何ともないはずの空中機動性能を持つ栞・エボシラインだが――糺四季奈による体重のかけ方が、あまりにもモノを壊すことに特化していた。それだけの話だ。

『がああっ……!』

 アラートが鳴る。それは物理的な音声でなく、栞・エボシラインを動かすプログラムの中に警告が立ち上がるという形で。濡れて滑るタイルに叩きつけられる。

 身体の傾きを、彼女の機構は瞬時に計算して。その結果に基づき、体勢を立て直す判断をする。

 たったそれだけの間も許さず――ばしゃん、と水音も派手に。

 下着姿の四季奈は、取った受身の反動で既に上体を跳ね起こしていた。

「余は蝶である。余は花である」

 足払い。完全に立ち上がるまでもないから。重心を落としたまま足先を差し出し、抉るように引っ掛ける。栞の脚部パーツを。

 尻餅をつく。人の形をした鋼鉄が。その顔面を、すぱんと音を立てて鞭のようにしなる細い脚がしたたか蹴る。

「余、どうにもとまらない……!」

 吹っ飛んだ栞に向かって、四季奈は疾走する。そして、足下の水を飛沫として散らしながら、跳んだ。

 靴底ならざる素足の裏でも。

 関節部に、全体重をかけて飛び乗れば。

 物理的に破壊することくらいはできた。

『な、んでっ』

 ――人間が。

 ――ここまでアタシを超えられるんだよッ……!?

 膝関節部破損。回路の負荷が増大していることを検出し、メイン演算機能のパフォーマンスが低下する。エボシラインシステム起動中でなければ、強制再起動が行われていたはずだ。

 辛うじて足の裏から小刻みにジェットを噴出し、横たわったまま躯体の向きを回転させ、腹と顔を庇う――機能停止に追い込まれないために。

 不良少女としてのアルゴリズムを補助する判断基準を持つために、栞は、機械の身でありながら痛みを「感じる」ように設計されている。部位の損壊が、人体であればどの程度のものであるかに換算され、そういう刺激が加わったという情報を受容すると同時に、演算系のパフォーマンス低下が起こるようになっているのだ。

 もちろん、だからといって泣き叫んだりはしない。

 気が狂いそうなほどに痛い。辛い。苦しい。そういう状態である。

 だが、栞・エボシラインは勝利するための思考を、試行を、やめはしない。

 機械だからではない。

 不良少女だからだ。

 ――さあて。

 ――ここからどうする?

 ――アタシがもし、死んでも負けらんねえ人間だったらよ……!!

 立ち上がる――ことはできない。脚部への通電パーセンテージが下がっている。

 寝転がった体勢のまま、どこまで機能できるか。エボシラインシステムはどこまで到達できるのか。

「なんでも何も……貴様が順当に無双したら、華麗なる余伝説が物語にならないであろうが」

 しかし。しかし、目の前にいるのは、糺四季奈なのだった。

 栞が栞であることが、今この状況において、非常に不利な相性の構造を生み出す原因となってしまっている。

 しつこいようだが、栞・エボシラインは、人造の不良少女である。

 それは即ち、彼女が拳を握るなら――そういう次元の世界観での喧嘩を相手に押し付けることになる、ということなのだ。

「余は主役であるからなぁ! どうしても! いやどうしても、逆境で燃えるものなのである!」

 目の前に壁を設けられた時こそ、糺四季奈という存在は光り輝く。そういう仕組みの生命体だ。

 そういう主役の星の下に生まれついてなどいない。心を、技を、体を、一途に磨き鍛え続けた結果、彼女は、「なんかそうなった」のである。

「ていうか、そろそろ終わりでいいのであるか? もうやり残したこととかない?」

 ぺた、ぺたと。

 歩み寄ってくる。悪夢で見た怪物のように。

 そもそも、彼女はただコンビニへファッション誌を立ち読みしに来ただけである。

 それが、いつの間にやら下着姿で、びしょ濡れで、店舗は半壊しているけれど。

 どっこい彼女は立っていて――『魔女離帝』特攻隊遊撃班の戦力が実に三人、満身創痍で倒れている。

 吹き荒れる暴風のような彼女だが、しかし、挑まれた側なのだ。理不尽な襲撃を受け、しかし今、完勝という結果を以て格闘の状況を終えようとしている。

 強い。

 糺四季奈が強いことなど、言うまでもない。

 彼女の前で、どこまでも三下揃いの遊撃班が、主役になどなれるはずもない。

「……あたしらじゃ……どうしたって、勝てねーよなー……あんなバケモンにはよー……」

 ユ・ミンスは、血と腫れと零れたワインで赤黒く汚れきった顔で、唇を震わせる。

「ミン、ス、ちゃ……」

 女原ソニアは、彼女の腕の中に抱かれながら、モノクルを取り戻せもせず苦痛に瞼を痙攣させている。

『勝てねえ、な――どうしたって負けだ、こんな喧嘩』

 切り札であるエボシラインシステムは無様なオーバーヒートを迎えようとしていた。浮かべた悔しさと焦燥の混ざる表情は、栞・エボシラインという機体が人間の感情を緻密に再現している証拠である。

「けどよー」

 ただコアントロー・ワンダーだけが、意思疎通のための数取り器を手のひらに握りしめたまま、所在なく立っていた。

 好きではなかったし、仲間とも思っていなかった。暇潰しで他人を虐げるミンスも、それを本気で止めようとしないソニアも、機械的に正論ばかり並べる栞も。

 彼女は何も言わないけれど、ずっと、嫌いだった。

 そのはずだったのに。

「このままなんざ、引き下がれねーからよー……せめて……ワンパン入れて、帰ろうぜー」

 これは、そういう喧嘩であると。

 ユ・ミンスは、ルールを定めた。

『ロー。行ったり来たりになるが――テメエは、今すぐこっから離れろ』

「で、隊長かピカさんか……テキサスの野郎か、だなー……あの三人の誰か、即、呼んできてくれや――あたしらじゃ無理だ。全部話して詫び入れて、収めてもらうしかねえ」

「こんなんばっか、私ら、やっちょるね……そんうち……取り返しつかんこつば、なっとよ……」

 どうして。

 どうして、まず間違いなく負けるのに。既に、半ばまで負けているのに。

 今の傷だらけの彼女たちは、これまでで最も――

「……ま」

 仲間でありたいと、思わせるのだろう。

「交ぜておくんなんし――わっちも、遊撃班でありんす」

 三人が、目を丸くしている。

 ああそうだ、こんなに小気味良いことはない――やられたことをやり返すのではなく、嫌いだった彼女たちの窮地を、こんなに格好良く救うことができるのだ。

 それはまるで、あの日の彼女にとっての絆・ザ・テキサスのような――ヒーローではないか。

 駆け抜ける。この場で唯一、無傷の彼女が。この期に及んで参戦することを、糺四季奈は予期していない。だから、一瞬、遅れる。

 その隙を突くように、すれ違いながらコアントロー・ワンダーは縛り上げた。四季奈の、白く細い両手首を。まるで魔法のように、誰にも知られることなく鍛え上げてきた、ごくごく当たり前の技で。

「『コアントロー』は仮の名。わっちは風魔――北条小田原風魔の里、十五代目の『小太郎』でありんす」

 三人が、ずっと目を丸くしている。

 そうだろう。それはそうだろう。冴えない一介の女子高生だと思っていた同級生が、まさか、東国にて最強たる忍びの末裔だったなんて――

「「『しゃべった』」」

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