敵影あり 同日 一一一九時
ホレイシアは遅めの朝食を食べ終えた後、いくつかの書類に目を通してから床に就いた。万が一に備えて服は着替えず、靴も履いたままである。その『万が一』の事態が発生する、一時間半ほど前のこととであった。
『艦長、羅針艦橋へ至急お越しください!』
徹夜明けにも関わらず、放送による呼び出しを聞いたホレイシアは素早く反応した。飛び起きると防寒具一式を手に取り、制帽を被ってとそのまま部屋を駆け出していく。
「状況は?」
彼女は目的地にたどり着くと、艦長席の前でマフラーを首に巻きながら尋ねた。先ほどまで温かい部屋に横たわっていたその体は、吹き付ける風によって瞬く間に体温を奪われていく。
「船団指揮船より先ほど連絡がありました」上官の疑問に答えたのはリチャードであった。
「読みます。 船団指揮船ヨリ護衛指揮官ヘ 無線通信トオボシキ不審電波ヲ受信セリ。逆探ニヨレバ方位〇五〇カラ発信サレタ模様、距離不明。 以上です」
逆探とは電波探知機のことである。無線やレーダーから発せられた電波を受信し、その発信位置を測定する装置だ。あくまで受信するだけのため、レーダーのように使用者が電波を出さずに済む利点がある。〈リヴィングストン〉にも搭載されているが、性能に違いがあるのかこちらは傍受できていないようだ。
「〇五〇度という事は、船団の右前方ね?」
「はい。現在針路は三五〇ですので、右六〇度方向となります」
リチャードが頷くとホレイシアは「分かったわ」と答え、しばらく無言で身支度を整えていった。コートに袖を通し、手袋をはめたところで彼女は副長のほうを見る。数時間前に部下を茶化した時の面影は、微塵も感じられなかった。
「……副長、意見を。発信元の正体について、貴方の見解を聞きたいわ」
「帝国軍の潜水艦が、我々の存在を司令部に通報したとみて間違いないでしょう。当船団以外に、この海域を航行している王国籍の船舶は現在おりません」
上官の質問に、リチャードは迷うことなく即答した。おそらく、彼の上官もそのことは理解しているだろう。そう考えた彼はホレイシアではなく、周りにいる将兵たちに現状を周知させるべく話を続けた。
「潜水艦は主として目視により標的を探しますので、おそらく船団からそう離れていない位置にいるでしょう」
一般的なイメージとは異なり、潜水艦というものは長時間の水中行動が不得手であった。
潜水艦には通常の化石燃料エンジンとは別に、電動モーターとバッテリーを動力源として積んでいることが多い。主として潜航時の駆動にもちいるため――通常のエンジンを水中で作動させれば、艦内の酸素を消費して乗組員が窒息死する――だが、技術的に未成熟で性能がよろしくなかった。発揮可能な速度は最大でも八ノットで、そのスピードを維持したままだと数時間でバッテリーが空になってしまうのだ。目いっぱい節約しても、フル充電で半日動ければいいほうである。
そのため多くの潜水艦は通常の航海を水上で行い、襲撃時や退避の際など限定されたケースでのみ潜航するようになっている。水上走行時は通常のエンジン(燃費のよいディーゼルを搭載する場合が多い)を用いることができ、また速力も一七ノット前後は出るため、目標を攻撃する場合でもギリギリまで潜らない事がほとんどだ。
「状況にもよりますが、早ければ二〇分、遅くとも四〇分程度で通報艦は攻撃可能圏内にたどり着くはずです。また通報を聞きつけた近隣の艦艇も急行し、おおむね一時間ほどすれば襲撃に加わるものと予想されます」
「私たちが採るべき行動はなにかしら?」
「警戒の強化と、発見した敵の即時撃退です。船団の脅威を一切排除することが、戦隊に与えられた最優先かつ絶対の任務であります」
「分かったわ」ホレイシアは頷くと、視線を転じて周囲を一瞥した。
いまこの瞬間、この場にいるすべての将兵が彼女へ注意を向けていた。吹きさらしの羅針艦橋に波風を気にする素振りはなく、上官が間もなく発するであろう命令を待っている。そしてその中には、もちろんリチャードも含まれていた。
「さて、ついに私たちの出番がやって来たわ」
ホレイシアは視線をひと巡りさせてから、部下たちへ静かに語りかけた。艦長というよりは、幼い生徒を見守る教師といったほうがふさわしい雰囲気である。
「色々と不安でしょうけれど、訓練で学んだ事を活かせばきっとうまくいくわ。みんな、頑張りましょう」
「「はい、艦長!」」
上官の呼びかけに、乗組員たちは一斉にこたえた。ホレイシアはそれを見て満足そうに微笑むと、制帽を被りなおして艦長席に腰かけた。
(いよいよだな)
部下と上官を交互に見たリチャードは、心の中でそう呟いた。女性たちが操る軍艦が、おそらく歴史上はじめて戦闘行動を実施する。彼女らがどれほどの活躍を果たせるのか、それは計画を進めた軍上層部にとって重大な関心事であろうし、リチャードにとってもそれは同様であった。
そのような事を彼が考えている間にも、ホレイシアは次々と指示をくだしていった。
「信号員、船団指揮船へ発光信号。 護衛指揮官ヨリ船団司令官ヘ 通報ニ感謝ス。現時刻ヲ以テ電波封止ヲ解除、全船舶ヘ警報ヲ発セラレタシ」
「了解です」
「サリーは電話員と共同で、各部署に装備状況を確認。航海士は燃料の再計算を頼むわ」
「はい」
「分かりました」
艦橋要員にひと通りの指示を終えると、ホレイシアは次にリチャードへ言った。
「副長、戦隊各艦に不審電波の件を通達して。合わせて燃料の残り具合を問い合わせてちょうだい」
「隊内電話を使用してよろしいですね」
「もちろんよ。発見された以上、電波封止を続ける意味はないわ」ホレイシアは答えた。「レーダーも含めて、電子装備の使用をただいまより全面解禁します」
「承知しました」
リチャードは頷くと、海図台に据え付けられた隊内電話用の受話器――近距離用の音声通話装置だ――を手に取り、僚艦たちへ呼びかけた。
「〈リヴィングストン〉より全艦へ。現時刻を以て電波封止を解除する、配置順に感度しらせ。先ほど船団指揮船より、真方位〇五〇に不審電波ありとの通報あり」
『こちら〈ローレンス〉、感度よし』
呼びかけにまず応じたのは、〈リヴィングストン〉の右後方に展開する〈ローレンス〉であった。ここから時計回りに、各艦から受信した旨の報告が送られてくる。リチャードはすべての艦艇から応答があったことを確認すると、燃料状況を報告するよう各艦に伝達した。
報告を待つ間にも、〈リヴィングストン〉は着々と戦闘準備を整えていった。艦橋後部のマストでは船団指揮船に連絡をとるべく信号灯が点滅し続け、電話員が各部署から送られてくる「異常なし」の知らせを当直士官に伝えている。射撃管制装置に備えられた対水上レーダーも、電波の目によって周囲を捜索し始めていた。
そんな中でホレイシアは艦内放送のスイッチを押し、マイクを手にして乗組員たちに呼びかけを行っている。内容は諦観が接近しつつあり、間もなく戦闘が始まるであろうことを全員に周知させるものであった。
リチャードが燃料状況をまとめ終えたのは、その放送が終了したわずかに後のことであった。
「各艦の残燃料が分かりました」
彼がそう言ってメモを差し出すと、ホレイシアは受け取って内容を確認し、何事かを思案しはじめる。その様子を見たリチャードの脳裏に、ある疑問を湧き上がってきた。
「艦長、総員配置は発令されないのですか?」
「もう少し待つわ」
副長の質問に、ホレイシアは顔を上げてそう答えた。
「戦闘は長丁場になるでしょうし、今のうちに休める子はゆっくりさせておきたいの」
総員配置は名前の通り、全乗組員を配置につかせる命令の事だ。これによって艦は臨戦態勢に突入するが、いったん発動されれば解除されるまで休むことが許されない。そして解除されるのは戦闘が終了したときであり、いつになるかは不明である。
「そういう事でしたら、了解しました」
上官の意図を理解したリチャードが頷くと、ホレイシアは新たな命令を彼に示した。
「燃料にいちばん余裕のある、〈レックス〉に不明目標を捜索させます」
燃料を多く残している艦を選んだのは、それだけ余分に活動することが可能だからだ。その点を考えずに動かすと、燃料不足で連邦にたどり着けない艦が出る恐れがある。彼女が指名した〈レックス〉は船団の右後方、〈リヴィングストン〉から見て一〇海里ほど離れた位置にいる。
命令を聞いたリチャードは、艦長に目を向けると彼女に言った。
「……もう一隻派遣すべきだと考えます。近隣に展開している〈ゲール〉をつけましょう」
「警戒網の穴が大きくなるわよ」
「申し訳ありませんが、我が戦隊の練度は決して十分ではありません」上官の疑問にリチャードはそう答え、更に意見を続けた。「二隻の連携によって敵艦補足の成功率を底上げし、手早く撃退することをまずは優先すべきだと考えます。警戒網については、まだ五隻いますので配置変更によってある程度は対応できます」
「具体的には?」
「後衛左翼の〈ゴート〉を、〈ゲール〉の配置である右翼後方に移動させます。また左翼後方の〈ガーリー〉と共に、更に一海里ほど後方に動かして船団後方を警戒させましょう。一隻あたりの担当範囲は広くなりますが、やむを得ません」
「分かったわ、それで行きましょう。各艦にそう伝えてちょうだい」
「了解です」
ホレイシアが了承すると、リチャードは再び受話器を手にして僚艦たちへ腹案を伝達する。
ひと通りの作業が終わると、彼は双眼鏡を構えて後方の船団本隊へ目を向けた。一見するとその様子はこれまでと同様で、隊列を維持したまま低速で洋上を進んでいる。
だが、おそらく内実は正反対であるだろう。船員たちは不意にもたらされた警報によって大わらわになっているはずだ。攻撃に備えて見張り員の数を増やし、沈没したときに脱出する時間を稼ぐべく、船内各所の隔壁を閉じ始めているだろう。生き延びるために、今から出来る限りの事をせねばならぬのだ。
一方で、第一〇一護衛戦隊の動きは目に見える形で活発化していた。リチャードの手にする双眼鏡には、船団後方で針路を変え始めた二隻のフネが写っている。遠距離のため豆粒のような船影しか見えないが、捜索を命じられた〈レックス〉と〈ガーリー〉に違いない。
そのうちに、当直士官のフーバー大尉が声をあげた。
「艦長、各部署異常なし。機関も全力発揮可能とのことです」
「ありがとう、サリー」
報告を聞くと、ホレイシアは笑みを浮かべて頷いた。
〈レックス〉から「ソナーに反応あり。数は一隻」との知らせがもたらされたのは、それから約三〇分後の一一五七時であった。
ホレイシアは僚艦たちに向けてオールウエポンズフリー――全兵装使用自由の命令を発し、〈レックス〉には〈ゲール〉と共同で目標を追撃。可能であれば撃沈するよう伝えた。続いて船団指揮船へ敵発見の旨を急ぎ通報し、同時に王国本土の海軍本部にも、現在の一座標とともに次のような電文を送った。
『NA一七船団護衛指揮官ヨリ海軍本部ヘ 本船団ハ敵潜水艦ト接触、攻撃ヲ受ケツツアリ。第一〇一護衛戦隊ハ、全力ヲ以テコレヲ迎撃セントス』
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