着任        一〇月五日 一二五〇時

「要するに、自分らの任務はお嬢様たちの御守り、という事ですよね?」

 ゲートを抜けた後、ウィリアム・コックス兵曹は歩きながら上官に尋ねた。

 海軍本部への出頭から四日後。リチャード・アーサー少佐はウィリアムと共に、王国北部に位置するノースポート基地に足を踏み入れていた。本土所在の艦艇――一五隻の戦艦、七隻の大型正規空母、四〇隻の巡洋艦ほか三〇〇隻以上――のうち、三割ちかくが拠点としている国内最大の軍港だ。

 二人は着替えや私物を詰めた旅行鞄を手に、鉄道を乗り継いでここにやって来た。行きかう人の群れと車両によって、基地一帯は喧噪に満ち溢れていた。

「その言い回しはどうかと思うが。……まあ、間違っては、無いな」リチャードは重たげな口調で応じた。

 人事局長から受けた説明によると、赴任先は女性志願兵を集めた新部隊であった。駆逐艦を中心に編成された七隻からなる戦隊で、二人は隊員兼教官として着任し、艦の運用と将兵たちの訓練に従事するよう命じられている。

(えらい事になったな)

 リチャードは心の中でそう呟きながら、大きく溜息をついた。

 今回の辞令は彼にとって、驚き以外の何物でもなかった。平時であれば、士官になって三年程度の若造に任せるような仕事ではない。

 そのうえ、将兵たちは前述したように女性ばかりである。リチャードも男であるから付き合い方を心得ているが、あくまで『異性』として見た場合の話だ。部下や上官として、どう接するべきか見当がつかない。軍隊というのは、基本的に男社会なのだ。

 リチャードが思い悩んでいる中で、隣にいるコックスが呟いた。

「それにしても、女性しか乗っていない軍艦なんてどんな感じなんでしょうね。全く想像がつきませんよ」

 彼の口調は、上官とは対照的にかなり明るいものであった。

「……ウィル、随分と楽しそうだな」

「そりゃあ、新しい試みに参加できるんですからね。今後のことを考えると、楽しみでしょうがないですよ」

 コックスは上官の言葉に、朗らかな口調で答えた。どうやらリチャードと違って、配属先についてさほど深刻に考えていないようである。彼は続けて上官に尋ねた。

「しかし、前線勤務に限らなければ、軍は女性を採用していますよね?」

「そうだな、今じゃさして珍しくもない」リチャードは部下の質問に頷いて答えた。

 二人が言及したのは、王国軍内部に存在する女性補助部隊のことであった。戦闘任務に関与しない、様々な後方任務にあてるため設置された組織である。

「じゃあなんで、今さら戦闘部隊にまでその枠を拡大したんですかね? 今だってかなりの人数がいるっていうのに」

「簡単な話だ、ウィル」リチャードは突然足を止め、コックスのほうへ振り向いて言った。「つまるところ、それだけ男の数が足りないのだ」


 戦争が騎士と傭兵のモノであった古き時代、女が戦場に赴くことはそれほど珍しくなかった。多くは世話役として同行した兵士の妻や娘であり、兵士に食料などを売る従軍商人も、しばしば女性であったという。近代倫理観の普及にともない、彼女たちの姿が消えたのは一〇〇年ほど前のことだ。

 その決して古くない価値観に再び変化が訪れたのは、戦争という暴力が途方もなく肥大化したためだ。機関銃や戦車、航空機、そして毒ガスといった『殺人機械』が工場で大量生産され、それらが兵士たちへ――時には民間人にすら――牙を向けたのである。戦争における人的被害は瞬く間に膨れ上がり、たった一日で一〇万人の死傷者が出る事態が、もはやあたり前の光景となる。

 その事実を認識した、各国の政府や軍は衝撃を受けた。犠牲が増えればそれだけ労働人口が圧迫され、社会経済に大きな負担を与えてしまうことに彼らは気づいたのだ。

 なんらかの対処に迫られた有識者たちは、『もうひとつの人的資源』へ着目した。まず労働力を補填すべく、民間における女性の雇用が進められる。時を経るにつれてこの流れは促進し、一部の国では保守派の反対を押しのけて、軍を含む公的機関での採用につながっていった。

 連合王国の場合、この戦争の勃発から先立つこと二年――つまり今から五年ほど前に取り組みを開始した。陸海空の各軍に専門機関が設けられ、入隊者の受け入れや訓練、人事管理などを一手に引き受けている。当初三千人ほどであったこれら女性補助部隊は、戦時体制の移行による拡張や徴兵制の施行(平時の王国軍は志願制を採っていた)、および彼女らへの法令適用によって、年を経るごとにその規模を拡大させていった。

 このうち、海軍における組織はWARNS、王立海軍女性補助部隊(Women‘s Auxiliary Royal Navy Service)と呼ばれている。現在の人員数は約三万。各地で事務作業や給食業務、果ては車両運転手にその整備といった多種多様な職種を担っており、その結果として多くの男性を最前線に送ることが出来ている(具体的には三軍あわせて、現在までに一〇万人ほどだろう)。彼女たちはその身を以て、期待された役割を十分に果たしているのだ。

「確かに彼女たちの存在が、大きな助けになっているのは事実だ」

 リチャードはそう言って、さらに話を続けた。

「だが、いくら後方要員を順次女性に置き換えているとは言っても、軍拡と人員消耗が続けば男手はどんどん減ってしまう。ウィル、このまえ王都に行ったとき、若い男性の数が少ないと思わなかったか?」

「……確かにそうですね」コックスは上官の言葉に、少し考えてから頷く。「バスや電車の車掌は老人か女性でしたし、我々みたいな軍人を除けば、街角にも男はさほど居なかったです」

「そうだ。働き手である成人男性が、それだけ社会から消えている事になる」

 コックスが溜息をついた。

「つまりはお嬢様がたへ、今まで以上にお手伝い願う必要があるわけですか」先ほどまで明るかった彼の表情には、曇りが見えている。「男としては、少し情けなく感じてしまいます」

「気持ちは分かるが、今は戦時中だ。贅沢をいう暇はない」

 リチャードは強い口調で応じた。どちらかといえばリチャードではなく、自分自身に言い聞かせているようにも見える。「それより、今後は忙しくなるから覚悟しておけ」

 彼の言うとおり、新しい配属先は多忙を極めるだろう。なにしろ二人だけで、実戦に赴く女性たちに様々なことを教えなければならないのだ。個人的な思いは棚に置いて、全力で取り組む必要がある。

 リチャードは腕時計に目をやった。「無駄話が過ぎたな。先を急ごう」

 そう言うと彼は再び歩き出し、コックスも慌てて後に続いていった。〈リヴィングストン〉への出頭予定は一四〇〇時に設定されており、まだ一時間ほどの余裕がある。


 ゲートにいた衛兵の話によると、配属先のフネは西の岸壁に停泊しているとのことであった。リチャードとコックスはそこを目指して歩いたが、なかなかたどり着くことが出来ない。ノースポート基地はそれ単体で、小さな町に匹敵する広さがあるのだ。

 自力でたどり着くのを諦めた二人は、手近な建物へ駆け込んだ。なにかの事務所らしいそこで事情を話し、乗用車を運転手ごと借り受けることに成功する。目的地である岸壁に到着したとき、時計の針は予定より三〇分後の位置を指していた。

「……なんですか、あれ」

 荷物を地べたに置いたコックスは、すこし遠くを見ながら首をかしげて呟いた。視線の向こうには桟橋がひとつあり、先ほど走り去った車の運転手によれば、そこが乗艦の停泊場所であるはずだ。

「さあな」隣に立つリチャードも、戸惑いの表情を浮かべていた。「あんな所に検問が出来ているなんて、思ってもみなかったよ」

桟橋の手前にはバリケードがあり、入口には憲兵が立って周囲に警戒の眼差しを向けていた。付近を歩く兵たちが、その様子をチラチラと横目で見ている。桟橋自体は他にもいくつかあるが、これほど厳重な警備がおこなわれている場所はその一か所だけだ。

 リチャードとコックスも、こんな光景を目にするのは初めてであった。彼らは不審に思いつつ憲兵のもとへ行き、来意を告げて転属命令書と軍籍手帳を見せる。おそらく事前に連絡があったのだろう。応対した憲兵は書類と二人の顔を一瞥すると、すぐに道を開けてくれた。

 木製の桟橋は、アルファベットの『T』を縦にふたつ重ねたような形をしていた。岸壁との接合部付近には、停泊艦の名前とその位置を記した看板がある。リチャードがそれを眺めていると、コックスが横から話しかけてきた。

「自分らが乗るのは、L級駆逐艦なのですね。他にいるのはコルベットのG級ですか」

「ん? ああ、そうだな」

 リチャードは頷くと、繋留されているフネのほうに目を向けた。桟橋に繋がれているのは、L級駆逐艦四隻にG級コルベットが三隻だ。

 彼らの乗艦となるL級は基準排水量一〇三七トン、全長八五・三メートルで、駆逐艦の特徴である細く長い船体を有していた。荒天時に正面からくる波の勢いを削ぐため、艦首方面の甲板を一段高くした船首楼船型をとっている。前後各一基の一〇・二センチ連装砲や中央部の魚雷発射管一基、それに機関砲座など、様々な装備が艦上に設置されていた。一方で護衛任務用の対潜・対空艦であるG級はひと回り小さく、どちらかといえば太く短いデザインだ。目立つ武装は機関砲を除くと艦首の七・六センチ単装砲のみで、船体は段差のない平甲板型である。

「こういう意見は胸にしまっておくべきでしょうが……。どちらも、随分と貧弱な見かけですね」

「おいウィル」

 コックスの物言いに、リチャードは思わず渋い顔をした。だが、彼の気持ちが理解できぬわけではない。

 L級駆逐艦とG級コルベットは、戦争勃発の直前に設計された戦時急造艦である。海軍の拡張と戦闘による損耗を見越して、少しでも早く、大量に建造することを目指したフネだ。そのためこれらの船体は小さく、武装も決して豊富とはいえない。

 たとえばL級は従来型の駆逐艦(一七〇〇トン、一二・七センチ連装砲三基、四連装魚雷発射管二基)に比べ、排水量は六割で火力も半分ほどである。船体は各所の設計が簡略化され、速力は従来艦の三五ノット(時速約六五キロ)より低い二十七ノット(約五〇キロ)しか出ない。G級にいたっては民間捕鯨船の設計図を流用しているため、軍艦としては脆弱で速度も一七ノット(約三二キロ)と鈍足であった。

 とはいえ、これらの艦艇は王国海軍の大きな助けとなっている。通常の軍艦は年単位の建造期間を要するのに対し、L級、G級ともに半年程度で完成にこぎつける事が可能であるからだ。必要最低限の装備・性能は有しているため、前線での運用も――多少の不満はあるものの――とりあえず問題はない。どんなに優秀な兵器であっても、数がそろわなければ役に立たないのだ。

「失礼しました」

 上官の言いたい事を察したのだろう。コックスは姿勢を正して、謝罪の言葉を口にした。リチャードもそれ以上とがめることは無く、彼は再び看板のほうに視線を向けて艦の配置を確認した。

 看板に書かれた情報によると、配属先である第一〇一護衛戦隊の所属艦は、

L級駆逐艦   〈リヴィングストン〉(戦隊旗艦)

        〈レスリー〉

        〈レックス〉

        〈ローレンス〉

G級コルベット 〈ガーリー〉

        〈ゲール〉

        〈ゴート〉

の以上七隻であった。新しい乗艦――〈リヴィングストン〉の繋留場所は、桟橋のいちばん奥である。リチャードはコックスを従えて歩いていき、間もなく隊司令が座乗していることを示す、司令官旗を掲げた駆逐艦の姿がふたりの視線にはいってきた。

 彼らは舷側に設けられたラッタル(階段)をつたって、〈リヴィングストン〉の甲板に上がっていった。最上部には衛兵が二名、肩にライフルを担いで立っている。

 リチャードたちが目の前にたどり着くと、衛兵たちははライフルを両手でもち、胸の前にまっすぐ突き立てて捧げ銃の姿勢をとった。小柄な体に紺色のセーラー服をまとった女性水兵に、リチャードは敬礼をかえしながら配属先の異質さを実感した。

 リチャードは右手を下ろすと、衛兵のそばにいる少尉へ申告した。

「リチャード・アーサー少佐およびウィリアム・コックス兵曹、本艦への転属命令により着任した。乗艦許可をいただきたい」

「乗艦を許可します。〈リヴィングストン〉へようこそ」女性少尉は微笑みながら答えた。「転属の件は艦長より伺っております。予定時刻を過ぎても姿が見えなかったので、どうしたかと心配しましたわ」

「申し訳ない、移動に手間取ってしまってね」

 相手が異性であるためか、リチャードの謝罪は階級差を感じない丁寧なものであった。その様子を見ていたコックスが、声を殺して笑っている。リチャードは続けて言った。

「艦長室への案内を頼めるだろうか。 着任の挨拶をしておきたい」

「承りました、手すきの者を呼びますね」

 少尉はそう答えると、衛兵のひとりに人を集めるよう指示した。しばらくして三人の水兵が集まり、リチャードたちは二人に手荷物を預ける。そして残ったひとりの先導で、艦長室へと向かっていった。


 艦長室は前部主砲の後方にある、三層からなる艦橋構造物の一階部分に置かれている。リチャードとコックスは入室すると直立不動の姿勢をとり、部屋のあるじに敬礼すると着任の旨を報告した。

「ホレイシア・ヒースです。二人とも、よく来てくれました」

 〈リヴィングストン〉艦長であるホレイシア・ヒース中佐は、リーファー・ジャケットを身に着けて室内に立っていた。背丈はリチャードたちとさして変わらず、年齢は多少上のようだ。茶色の瞳と金髪の持ち主で、長めの髪を後ろで団子状にまとめている。

「本日は出頭が遅れてしまい、誠に申し訳ありません」

 リチャードが謝罪の言葉を伝えると、彼の新しい上官は微笑みつつ答えた。

「この基地は広いし、初日だから大目に見ておくわ。次があるときは気をつけなさい」

「はっ、ありがとうございます」

「さて、挨拶はここまでにしておきましょう」

 ホレイシアはそう言うと、二人へソファに腰かけるよう促した。

「二人を迎えることが出来て、私は心から嬉しく思います」リチャードたちが座ったのを確認すると、ホレイシアが話しはじめた。「もう知っているでしょうが、第一〇一戦隊は来月の連邦行き輸送船団に参加します。実戦経験者である貴方たちが、その知識とノウハウを存分に発揮してくれるよう期待しているわ」

「分かりました。副長として、出来る限りの事をさせていただきます」

 リチャードが了承の旨を伝えると、ホレイシアは彼らの任務について説明した。通常勤務の傍ら、隊員たちへの教育に取り組むべしとのことである。特にリチャードは、士官たちに対する講義を担当するよう命じられた。

「副長には戦隊の日誌と、士官名簿を後で渡しておきます。参考にしてちょうだい」

「……了解です。早急に訓練計画を作成いたします」

 リチャードは僅かに間をおいて頷いた。教官の仕事は未経験だが、任務である以上はやらねばならない。

「頼むわね」ホレイシアは新しい副長にむけて、そう言いながら微笑むとコックスのほうを見た。

「コックス兵曹、貴方の専門はソナーだったわね」

「はい、艦長」ウィリアムは元気よく返事をした。

 音波をもちいて水中を探索するソナーは、敵潜水艦を捜索する際に重要な存在である。ウィリアムは下士官としては若手であるものの、この装置の扱いに習熟していた。

「兵曹には副長とおなじく、教官として戦隊の対潜技能向上につとめてもらいますが……。それとは別に、本艦の先任下士官となってください」

「自分が、ですか?」

 上官が発した言葉に、コックスは思わず目を丸くした。これは艦内最古参の下士官が任じられる役職で、水兵と他の下士官の規律を保持し、現場の視点から艦長を輔佐することを任務としている。本来は一〇年以上勤務する、兵曹長が選ばれるものだ。

「自分の階級はまだ兵曹で、そもそも入隊から七年程度の若造です。そんな大役がつとまるとはとても……」

「私たちの軍歴は、もっと短いわよ」困惑するウィリアムの言葉を聞くと、ホレイシアはすかさず反論した。「ほとんどが二~三年だし、WARNS創設時の古株でも五年程度です。実戦に至っては、経験している人なんて誰もいないわ」

 彼女はそう言うと、ソファから身を乗り出した。驚いて体をのけ反らせるコックスを、直視しながら話を続ける。

「だから私たちにとって、貴方の存在はとても貴重なのです。先任下士官として、〈リヴィングストン〉の軍律の維持に是非とも貢献してください」

「……分かりました。いち下士官として、微力を尽くします」

「ありがとう、助かるわ」ホレイシアは満面の笑みを浮かべて謝意を表した。

 その後の会話は一〇分ほどで終了し、二人は艦長室を後にした。他の乗組員には終業前の点呼時に、紹介するとのことである。

 リチャードはコックスと別れると、兵の案内で自分に割り当てられた部屋を目指した。艦橋の二階にある、四メートル四方の個室だ。

 自室にはいったリチャードは上着を脱ぐと、ネクタイを緩めて備え付けのベッドに腰かけた。室内にはこのほかに、机とクローゼットが一つずつ置かれているだけである。

 リチャードは誰もいない部屋の中で深く溜息をつくと、その場で大きくうなだれた。その身に課せられた責任の大きさを、いま改めて実感している。今まで補助部隊で勤務していた女性兵士たちを、コックスと二人だけで教育しなければならないのだ。彼女らが戦場で成果を上げるか否か、それが自分たちの手腕にかかっている。

 移動の疲れが出たのだろう、しばらくするとリチャードは猛烈な眠気を感じはじめた。

(悩むのは後だ。すこし休もう)

 リチャードはそう心の中で呟くと、ベッドに倒れ込んで目を閉じる。彼は数秒もせずに、すうすうと寝息をたてはじめた。

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