新兵たち      一〇月六日 一〇一五時

 ノースポート一帯の天気は、これ以上にないくらい平穏であった。雲は太陽が時折隠れる程度で、気温は長袖で動き回るのにちょうどいい。海から吹く風もさほどの強さではなく、散歩にでも出かければ素晴らしい時間を過ごすことが出来るだろう。しかし基地で働く軍人・軍属に、そんな贅沢を楽しむ暇はない。

 そしてその不幸な面々には、当然ながらリチャードも含まれていた。


 主砲である一〇・二センチ連装砲塔の内部は、六名ほどの操作員が入れるようになっている。いまそこには、分厚い生地のツナギ型戦闘服に、白い革手袋とこれまた白の防火頭巾を身に着けた将兵が配置についていた。頭巾の上から『洗面器』、あるいは『スープ皿』という俗称で呼ばれる広いつば付きのヘルメットも被っている。

「目標、二時方向、距離一二〇〇!」

 双眼鏡を指揮官が大声でそう叫ぶと、砲手はすぐさま行動を開始した。ハンドルを操作して砲塔をまわし、指定の方角に達すると動きを止めて報告する。

「照準よし!」

「発射!」

「発射!」

 続けて発せられた号令を復唱しながら、彼女は足元にある発射ペダルを思いきり踏みつけた。だが、砲撃につきものの轟音や閃光、衝撃波の類は発生しない。突き出された二本の砲身が火を噴く様子もなく、砲身最後部の閉鎖機がひらいてそこから金属薬莢式の弾薬が引き出される。

「次発装填! 目標そのまま!」

 指揮官は排出完了を目視で確認すると、新たな命令を部下たちに告げた。ふたりの水兵が新しい砲弾をひとつずつ抱え込み、仲間の手助けを受けつつ汗を流しながら装填する。それが終わると再び砲手へ発射が命じられ、また砲弾が引き出されて同じ作業が繰り返されていった。

「男でも女でも、やる事は変わらんな」

 リチャードは部下たちの様子を眺めながら、そうポツリと呟いた。傍に立つコックスも、そうですねと答えて頷く。

 〈リヴィングストン〉の運用に関わることになった彼らは、その内情を把握すべく各部署を見てまわっている所であった。いまは艦首主砲の左後方から、砲術科員たちの訓練を視察している。開放式の砲塔は後部に覆いがないため、兵たちの動きがそこからでも確認可能だ。

「ウィル、兵たちを見てどう思う?」

「自分が砲を扱ったのは新兵訓練の時以来ですが」

 コックスはそう前置きをして、リチャードの問いに答えた。

「悪くはないですよ。少なくとも、基本は教え込まれているようで安心しました」

「教官は訓練部隊だけでなく、基地に停泊していた艦艇からも交替で派遣されていたらしい。戦時下の新設部隊にしては、かなり丁寧な扱いを受けているな」

 艦長から受け取った日誌によると、二月に人員募集が始まった戦隊はそれがひと段落ついた四月から訓練を開始したとのことだ。艦艇が未就役であったため陸上での教練からはじまり、翌月から順次完成した乗艦を受領して本格的な訓練に移行した。すべての課程が修了し、第一〇一戦隊の編成作業が完結したのは八月の終わりであった。

 砲術科による射撃訓練はその後も続き、五分ほどしてから完結した。動作に多少のもたつきがあったものの、科員の練度は及第点に達しているとリチャードは評価する。

「ただし、装填ペースが通常よりも早い段階で落ちているようだ。おそらく体力面の問題だろう。各自、トレーニングを行うなどして対処するように」

 副長からの訓示を聞いた女性将兵たちは、了解しましたと答えて一斉に敬礼する。リチャードはそれに返礼し、解散を命じてその場を離れようとした。その時、昨日みた検問の姿を視界に捉える。

 彼が目をこらすと、一〇〇メートルほど離れた桟橋の入口に設けられたそこでは、憲兵が周囲に集まった男性水兵を追い散らしている所であった。その数は一〇人ほどであろう。

 上官の様子を見て、コックスが言った。

「乗組員たちから聞きましたが、ああいう風に野次馬が毎日艦の様子を覗きに来るそうです。検問ができる前は、桟橋の奥にはいってナンパする連中もいたらしいですよ」

「呆れて何も言えんな」

 リチャードは眉をへの字に曲げて、今にも唾を吐き捨てそうな表情をしている。そういった欲求を一概に否定するわけではないが、限度というものがある。時と場所をわきまえるのが、一人前の男子であろう。彼は深いため息をついて、コックスと共に甲板上を歩き出した。

 ふたりは艦橋脇の通路を横切ると、船体中央へつながるラッタルに足をかける。そこを降りる途中、正面から向かってくる四、五人の水兵を見て思わずギョッとした。

 今からトレーニングでも行うのだろう。彼女たちは白いTシャツに、紺色の半ズボンという出で立ちで進んでいた。飾り気皆無の官給品だが、来ている相手が相手のため、目のやり場に困ってしまう。大きく露わになった肌をちらりと目にした瞬間、コックスは慌てて顔をあらぬ方向に逸らした。

 上官の姿に気づいて道をあけ、さっと敬礼する部下たちの横を、ふたりは視線が下に向かないよう注意しながら通り過ぎていった。


 停泊中の艦艇は、二〇〇〇時に終業となる。当直員など一部を除き、乗組員たちは就寝時間の二三〇〇時まで自由に過ごすことが可能だ。だがこの日、少尉クラス以上の者は士官室へ集まるよう、艦長から指示を受けていた。出撃を前にした教育の一環として、新しい副長を講師役に勉強会をおこなうそうである。

 艦首の一角に置かれているこの部屋は、食事や休息などに用いられる士官用のレクリエーションルームであった。現在は艦長のホレイシアにリチャード、兵科ごとに分けられた五つのセクションを統括する大尉たちや、その下で働く少尉、そして軍医をつとめる少尉候補生。あわせて一三名が室内のテーブルを囲むようにして椅子に腰かけている。

「大陸沿岸部の一角に位置する帝国は、周辺諸国への対抗から伝統的に陸軍を重視している」

 士官たちが紅茶や煙草でひと息いれた後、リチャードはそう言ってテーブルをぐるりと見回した。誰もが真剣なまなざしを向けていることを確認し、安堵の気持ちを覚える。

「そのため海軍の整備は遅れがちで、兵力も決して十分なものではない。計算方法にもよるが、我が本国艦隊のせいぜい四分の一ほどだ」

 リチャードは説明を続けた。

「当然ながら、この状況でまともに戦っても勝ち目はない。そこで帝国軍は対王国戦略として、通常とは異なるアプローチを選択した。なんの事かわかるかな?」

「潜水艦による通商破壊ですね」

 ひとりの士官が彼の問いかけに応じた。短い黒髪をボーイッシュに仕立てたその姿を、リチャードは見覚えがあった。

「その通りだ、パークス大尉」

 リチャードはフレデリカ・パークス大尉へ、微笑しながら頷いてみせた。海軍本部で顔を合わせたことがある彼女は、〈リヴィングストン〉の対潜長を勤めている。

「潜水艦を作るには高度な技術を必要とするが、建造コスト自体は意外に安い。大雑把に換算すれば、戦艦一隻分の資材で三〇隻は完成させることが可能だ」

 リチャードはティーカップに両手を添えた。

「情報部の見立てによると、帝国海軍潜水艦隊は七〇〇トンクラスを主力に定め、現在は総勢二〇〇隻ほどの規模となっている。乗組員の休養や訓練、艦の修理といった要素を考慮すると、このうち出撃可能なものは七〇隻といったところだろう。そして」

 そこまで説明すると、リチャードはカップを口元まで持ち上げた。紅茶を一口のんで喉を潤すが、この後の話題を考えると表情が険しくなってしまう。彼はカップをテーブルに置いた。

「この集団が狙うのは、我が軍の艦艇ではない」

 リチャードの口調は重々しく、かつゆっくりとしたものであった。

「彼らの主たる目標は、連合王国が世界に誇る海上交通網である。民間商船を次々に攻撃してこれを沈め、我が国の対外交易、および経済システムを破綻させるのが彼らの選んだ戦略だ」

「つまり、メディアが盛んに報じているように……」

 副長の声を遮って、不安げな声を上げたのはジェシカ・シモンズ大尉である。彼女の役職は操艦と、通信機やレーダーといった電波兵装を所管する航海長だ。

「……連中は、私たちを餓死させようとしているのですか?」

「そうだ」

 リチャードは即答し、周囲へ視線をめぐらせた。「この通商破壊戦が王国に対し、どれほどの影響を与えているかは、今更説明するまでも無いな」

 王国にとって通商路の維持は、その命運を左右する死活問題である。資源が乏しい島国のため、外地の友好国や植民地から様々な物品を――各種金属や石油、そして食品に至るまで――輸入する必要があるからだ。

 この通商路を狙った帝国軍の通商破壊戦は、今のところ一定の成果を上げている。昨年だけでも大小あわせて四〇〇隻、三〇〇万トン以上の船舶を撃沈していた。対して王国政府は配給制による民需の統制でとりあえず凌ぎ、その間に海軍を増強することで事態の打開を図っている。L級をはじめとした、戦時急造艦の存在はその端的な一例だ。

「さて。前置きが長くなったが、本題に入っていこう」

 重苦しい空気が漂う室内で、リチャードは椅子の背もたれに身を預けつつ言った。

「今回は我々の主任務である、対潜護衛のあり方について考えてもらいたい。つまり敵潜水艦と相対する際に、何を重視すべきなのかということだ」

「私たちが輸送船団の護衛に投入されるまで、あと一ヶ月を切ったわ」

それまで押し黙っていたホレイシアが、突然口を開いて話を継いだ。

「その際に心がけておくべきことを、是非ともみんなで共有していきたいの。どんな些細なことでも構わないわ」

 再びリチャードが言った。「では、少し考える時間をつくろう。周りの者と相談して構わないので、自分の意見を整理してみてくれ」

 上官の指示に対し、女性士官たちは思い思いの方法をとった。ひとりで紅茶をすすり、あるいは隣同士で語り合いながら、それぞれの見解を形作ろうと努力している。リチャードはホレイシアと共に、その様子を静かに眺めていた。

 しばらくして、ホレイシアが煙草に火をつけ始めた。それにつられて懐に手を伸ばす間に、リチャードはふと思った。

(そういえば、艦長の本職は初等学校の先生だったな)

 今回の発案者は実のところ、彼ではなくホレイシアのほうであった。勉強会というのは軍隊でもよく行われるが、それでもこのタイミングでやるのは彼女の教師という前歴が影響しているかもしれない。自分であれば、作戦準備にかまけて思いつきもしないだろう。リチャードは紫煙をくゆらせながらそう考えた。


「副長、そろそろかしら?」

 短くなった煙草を灰皿に押し付けていると、ホレイシアが小声で尋ねてきた。どうやら意見はまとまったらしく、話し声があまり聞こえなくなっている。リチャードは頷くと、部下たちのほうを向いた。

「では、聞かせてもらおう」

 リチャードがそう言うと、数名の士官が手を挙げた。それを確認すると、彼女たちを順番に指名して発表させる。「安全な航路の選定」「正確な情報把握」「敵艦の確実な撃沈」といった意見が示され、リチャードはホレイシアと共に、それらへじっと耳を傾けていった。

 すべての発表が終わるまでに要した時間は、おおよそ一五分ほどであった。士官室付きの当番兵が新しい紅茶を注いでまわり、それが終わるとリチャードは話し始めた。

「護衛任務の目的は何よりもまず、対象の安全を確保することである。各員が示した見解は、いずれもこれを達成するうえで必要なものばかりだ」

 リチャードの説明は続いた。「しかし、これらをすべて実行できるとは限らない。任務に際しては様々な事情により、数多くの制約が設けられてしまうからだ。その中でも厄介なのは、実際に敵と対峙した時だろう」

 彼はそこまで言うと、ホレイシアのほうを向いた。

「特に複数の艦が来襲した際には、艦長、あなたの手腕が試される事となります」

「……狼群戦術ね?」

 難しい顔をする上官に、リチャードは黙って頷いた。

 狼群戦術とは平たく言えば、潜水艦による待ち伏せ戦法だ。最低でも三隻、多いときは二〇隻前後の攻撃チームが予想針路上に展開し、目標を発見し次第、全力をもってこれに襲い掛かるというものである。帝国軍が輸送船団を攻撃する際の常套手段であり、これまでの多大な成果の原動力となっている。群れを作って獲物を追いまわす、狼の狩猟スタイルが名称の由来だ。

「狼群戦術では多くの場合、参加艦艇のいずれかが、目標を発見することで戦闘を開始します。発見艦は通報のうえで襲撃を実施し、以後はそれを聞きつけた僚艦たちが駆けつけてくるのです。時間差を置いて、四方から船団へ続々と襲い掛かってくるわけですね」

「なるほどね」

 感心するホレイシアをよそに、リチャードは部下たちへ目をやりながら説明を続けた。

「これを迎撃する際、護衛側は次の二点に注意する必要がある。ひとつ目は戦力の配分、ふたつ目は交戦時間だ。そうだな……。ハワード大尉、理由は分かるか?」

 副長から指名されたのは水雷長――魚雷の管理、運用を担当するエリカ・ハワード大尉であった。彼女は少し考えたあと、自信なさげな表情をしつつ答えた。

「……兵力不足に陥るかもしれない、という事でしょうか」

 リチャードは「その通りだ」といって頷いた。

「過剰な戦力の投入、および長時間の交戦によって手持ちの艦艇が目減りし、後に続く敵への対処が困難になる可能性がある。一方の潜水艦を叩いている間に警戒網が緩み、その隙をついて新手が別方向から攻撃をかけてくるのだ。これを防ぐには投入すべき戦力を見極め、なおかつ手早く撃退して次に備えねばならない」

「ひとつ、質問してもよろしいでしょうか?」

 そう言って手を挙げたのは、砲術長のサリー・フーバー大尉だ。

「『手早く撃退』と言われましたが、そうそう簡単に出来ることなのでしょうか?」

 敵艦を探知する手段は、乗組員による目視、レーダー等の電波兵器、そしてソナーといったものが存在している。前二者は水上の物体にのみ有効なため、攻撃時は潜航していることの多い潜水艦に対しては、ソナーが主たる役目を果たすことになる。

 しかし、その作業は決して簡単ではない。なにしろ目視できない物体を、音波の情報だけを頼りに探さねばならないのだ。砲術長の懸念はもっともである。

「別に、敵艦を沈める必要はない」部下の不安そうな声に対し、リチャードは言った。「既に説明したように、我々の任務は護衛対象の安全確保だ。優先すべきは襲撃の阻止であって、敵を撃沈してスコアを稼ぐことじゃない」

 彼の言葉に反応したのは、ホレイシアであった。

「つまり、撃沈に固執すべきじゃないということ?」

「そうです。撃沈できればそれに越したことはないですが、警戒や予備兵力の確保を疎かにしてしまっては元も子もありません。引き際を見極めることも重要です」

「それはそれで、簡単とは言えないような気がするわ」

 ホレイシアは苦笑しながらそう呟くと、紅茶を飲みはじめた。

(思っていたほど、悪いものではないな)

 自身もカップを手に取りつつ、テーブルを見回しながらリチャードは思った。士官たちは積極的に発言しており、またその内容も、概ね基本を押さえている。短い教育期間のあいだに、学ぶべき事をしっかりと学んできたようだ。素人に毛が生えた程度ではと不安になっていた彼にとって、嬉しい誤算である。


 講義が終了し、士官たちが解散したのは消灯前――二三〇〇時ごろのことであった。以後もこういった活動は継続し、リチャードはコックスと協力しながら、各艦を巡って乗組員たちへの教育をおこなっていく。〈リヴィングストン〉艦内の管理や出撃にむけた準備など、本来の業務も疎かにはできない。

 第一〇一護衛戦隊が初出撃を迎えるまでの一ヶ月を、彼はそのようにして過ごしていった。

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