第一章 着任

前日譚       一〇月一日 一三二〇時

 通りを走るバスが停留所に止まったとき、降車すべく席を立ったのは男性の二人組だけであった。

 二〇代前半と思しき彼らは紺色のリーファー・ジャケット――前合わせがダブルの上着を身に着けていた。頭にかぶった白い制帽には、錨と王冠がモチーフの紋章が見える。いずれも『連合王国』海軍が、制服として採用しているアイテムだ。

 二人はポケットから小銭を取り出し、下り口の前に立つ車掌に手渡した。おそらく六〇歳前後と思われる年老いた車掌は、満面の浮かべると右手を挙げて敬礼する。彼らは年上の人物から受けた敬意に対し、はにかみながら返礼して車外に出ていった。

「やっと着きましたね」

 バスが走り去るのを見送った後、二人組の片方が呟いた。ネクタイを締めたシャツの上から、三つボタンの少しくたびれたジャケットを羽織っている。左上腕部にあしらわれた『交差する錨』のエンブレムは、兵曹――王国海軍下士官であることを示す階級章だ。右手には書類鞄を提げている。

「もう少し早く到着できると踏んでいたのですが……。思っていたよりも遅くなってしまいました」

「まあ、まだ時間はあるから大丈夫だろう」

 ウィリアム・コックス兵曹の言葉に対し、リチャード・アーサーは軽く頷きながら応じた。

 リチャードの服装は、ウィリアムのそれとは細部で異なっている。リーファー・ジャケットの仕立ては四つボタンで、生地も下士官用とくらべて良質なものが使われていた。指揮官となるべく教育を受けた、士官だけに許された特注品だ。袖口に縫い付けられた金モールの階級章は、太線二本と細線一本を組み合わせた少佐のそれである。

 リチャードは視線を巡らせると、溜息をついて言った。

「しかし新聞やラジオで聞いてはいたが、本当に酷い有り様だな……」

 停留所が位置しているのは、王国首府たる『王都』――その中心部である。周囲には政府の主だった省庁が置かれ、文字通り王国の頭脳として機能している場所だ。

 だが二人の目に入る風景は、一国の首都とは到底おもえぬものであった。どの建物も火事に遭ったように黒く煤け、所によっては壁が崩れ落ちているのが見える。その欠片は他の様々な瓦礫と共に、穴だらけになった通りの脇にうず高く積み上げられていた。

 これらはいずれも、帝国軍による空襲の爪痕であった。大陸沿岸諸国を軒並み手中に収めた彼らは、対岸の島国であるこの地を次の標的に選んだのである。半年前から始まった空襲はひと月ほど前に終息したものの、王都はいまだ立ち直ることが出来ていない。その影響から二人はここへ来るまでに、かなり遠回りのルートを選択せざるを得なかった。

「それにしても、今回の出頭命令はなんでしょうかね?」

「さあな、俺にもさっぱり分からんよ」

 瓦礫から目を逸らしながら尋ねるコックスに、リチャードは怪訝な表情をしつつ答えた。

 彼の王都訪問は、海軍上層部からの指示に基づいたものである。転属の辞令が届いた際に、「配属先について説明するので出頭せよ」と但し書きがつけられていたのだ。いち士官の人事手続きに際して、首都まで来るように命じるのは珍しい。

「辞令書の通りなら、配属先はごく普通のフネだ。呼び出して説明することなんて、到底あるように見えなかったぞ」

 風で舞い上がってきた土埃を払いつつリチャードが言うと、ウィリアムがハッとした表情で呟いた。

「もしかして、何か極秘の指令が……」

「スパイ小説かミステリーの類か? 筋立てとしては、突飛すぎて面白みに欠けるぞ」

「自分も、そういう面倒なことは御免こうむります」

 呆れ顔で突っ込みを入れた上官に、コックスは苦笑してそう応じた。リチャードは大きく溜息をつく。

「まあ、話を聞けば分かることだ。そろそろ行こう」

「現在時刻は一三二六(午後一時三六分)、出頭予定は一四〇〇です」

「分かった」

 リチャードがそう答えたのを合図に、二人はそれまで立っていた停留所を後にした。通りを進む人の群れ――といっても、平日午後の官庁街であるため数は多くない――と、瓦礫を避けながら彼らは歩いていく。目的地は海軍本部であった。


 すでに書いた通り、リチャード・アーサーは連合王国海軍に所属する軍人である。身長一七〇センチ、体重は七五キロほどで、茶髪と灰色の瞳をもつ二五歳の青年士官だ。今から三年前、この戦争が勃発した直後に兵学校を卒業し、以後昇進を重ねて少佐の階級を与えられている。通常ならば一〇年以上かけて、ようやく得ることが出来る地位だ。

 といっても在学中の成績は中の下程度であり、士官候補生としての彼は可もなく不可もない平凡な存在であった。そんなリチャードがこれほどのスピード出世を果たしたのは、ひとえに戦争が原因である。戦時体制による軍拡へ対応するため、将兵の昇進基準が大幅に緩められたのだ。

 リチャードは少尉になったあと、直ちに最前線へ送られた。時おり耳に入る同期生の訃報に涙を流しながら、戦場における多忙な日々の中で経験と知識を培っていく。少佐となったのは、今年の七月だ。

 転属の辞令をうけとったのはそれから二か月後――いまから二週間ほど前のことである。リチャードは部下であったコックス兵曹を引きぬいて乗艦を後にし、王都へと訪れた。


 海軍本部は連合王国の洋上兵力を指揮する組織、あるいは施設の名称だ。陸軍の軍務省、空軍の航空省とともに軍政・軍令を担う政府機関のひとつであり、内閣の一員たる海軍大臣がトップとして君臨している。古い宮殿のひとつを改装して作られた六階建ての庁舎は、薄汚れているが目立った損傷はなかった。正面に掲げられた国旗と海軍旗が、その健在ぶりを周囲に誇示している。

 リチャードはコックスと共に、正門の前に立つ衛兵に敬礼して本部の中に入っていった。ロビーの奥にある受付で、女性職員に用件を告げて行先を確認する。出頭先は人事局だ。

「人事局でしたら四階にございます。案内をお付けしましょうか?」

「いや、場所さえ教えてもらえれば大丈夫です」

 リチャードは道順を聞くと、コックスから鞄を受け取り待機するよう指示して階段のほうへ歩いていった。

 人事局にたどり着くと、彼は局員に案内されて奥へ進んでいった。軍人・文官問わず多くの職員が働くオフィスを横切り、入口に『人事局長 T・パインコースト』と書かれた個室へ辿り着く。局員に促されて、リチャードはそこに足を踏み入れた。

「少佐、よく来てくれた」

 リチャードが出頭の旨を申告すると、人事局長は書類の置かれた机から立ち上がって返礼した。袖の階級章は、少将のそれである。

「遠慮せずに座ってくれたまえ」

 局長はそう言うと、応接セットのソファを指差した。リチャードが座ると、テーブルを挟んで反対側に腰かけた。

「ここに来るだけでも大変だっただろう。飲み物を用意させているから、しばらく待って貰えるかな?」

「ありがとうございます、閣下。……市街の復旧は、思うように進んでいないようですね」

「これでもマシにはなったよ。本部の近辺も、先週までは瓦礫で車が通れなくなっていたからな。時間はかかるだろうが、きっと元通りになるよ」

「そうであって欲しいものです」

 それからしばらくの時間を、彼は局長と差しさわりのない雑談をして過ごした。本題に移ったのは紅茶が運ばれ、それを飲んでひと息ついてからであった。 

「さて、アーサー少佐。配属先についてだが」人事局長はカップをテーブルに置き、書類を手にして説明をはじめた。「すでに交付した辞令にある通り、きみは一〇月五日付けで駆逐艦〈リヴィングストン〉に、副長として着任することとなっている。六月に完成したばかりの新造艦だ」

 駆逐艦とは、海軍戦力を構成する軍艦の一種である。排水量一〇〇〇~二〇〇〇トンほどの船体に、一〇センチクラスの火砲と魚雷を装備する。万単位のサイズを誇る戦艦や空母に比べれば小さいが、艦隊の周辺警戒や戦闘時の前衛、哨戒といった様々な任務に用いられる汎用艦だ。

「〈リヴィングストン〉は来月、僚艦と共に初出撃を実施することになっている。任務は『連邦』行き輸送船団の護衛だ」

(……初陣としては、少々荷が重い気がするな)

 上官の言葉を耳に入れながら、リチャードは内心で呟いた。

 連邦は大陸北方に位置し、広大な領土を誇る同盟国だ。大陸沿岸諸国でいまだ帝国への抵抗を続ける数少ない勢力であり、政府は彼らに対して援助をおこなっている。王国のほうも緒戦で手痛い損害を受けており、その回復と軍備の拡大に少なからぬ影響を与えるにも関わらず続けられていた。

 問題は王国と連邦を結ぶ海域が、世界でも有数の荒れ海で知られていることだ。ただ進むだけでも大変であり、そのうえ帝国軍による妨害も予想される。新造艦ということは、乗組員の練度も不十分であろうから苦戦は避けられない。

 局長の話は続いた。「きみの知識と経験は、任務を遂行するうえで重要なものとなる。少佐は前の乗艦で、対潜科長を勤めていたな?」

「はい、閣下」

 対潜科とは、対潜水艦戦闘を専門とする部署のことだ。帝国海軍は潜水艦を戦力の中核に据えており、商船を攻撃対象とした通商破壊戦を重視している。そのため彼らと交戦状態にある現在の王国海軍において、対潜科はもっとも重要視されている存在であった。

「軍歴を確認したが、きみは在任中に敵潜水艦と一〇回交戦し、撃沈認定四隻と撃破二隻の戦果を挙げている」局長は書類をめくると、驚きの声をあげた。「……ほお。先月も空母〈イーグル〉の護衛中に、一隻しずめているな。そのノウハウを、部下たちにも教えてやってくれ」

「承知しました、微力を尽くします」

 リチャードは力強く返事をした。

 多少の不安はあるものの、彼にとって今回の転属は決して悪い話ではない。副長は艦長の補佐と実務を担う役職であり、そこで実績を評価されれば更に上の地位――つまり自らが艦長となる道が開ける。軍人として人並みの出世欲がある身としては、願ってもない配置であった。

 しかし、リチャードはこの話に違和感を覚えた。副長は昇進するうえで重要な立ち位置にあるが、それ自体はありふれたものだ。通常ならば辞令を受け取った本人が手続きをするだけで済み、海軍本部に出頭を命じられるのは異例である。

 人事局長はカップを手に取って紅茶を飲み干すと、リチャードの顔をまじまじと見た。

「なぜ海軍本部に出頭を命じられたか、見当もつかないかね?」

「……そうですね。正直に言えば何がなにやら、という気分になっています」

「もちろん、呼び出したのには相応の理由がある。それについては今から説明しよう」

 局長はそう言うと、懐からシガレットケースを取り出して葉巻を二本抜き取った。ひとつをリチャードに渡し、残りを咥えて火をつける。紫煙を漂わせながら葉巻を数回吸ったあと、話を再開した。

「〈リヴィングストン〉は船団に随伴する、第一〇一護衛戦隊の旗艦となっている。戦隊指揮官は旗艦艦長が兼任し、これを補佐する参謀は置かれていない。よって副長である君に、その役目を代行してもらう必要がある」

「自分が、ですか…?」

 自身も葉巻をくゆらせつつ、リチャードは僅かに表情をくもらせた。副長職に加えて参謀まがいの仕事をこなすとなれば、艦内での生活は殺人的といってよいほど多忙になるだろう。

「ただし、こういった措置は小規模な部隊だとさして珍しいことではない。重要なのは、部隊そのものについてだ。着任した際に混乱しないよう、前もって説明するために今日は来てもらったのだよ」

 局長はそこでいったん言葉を切ると、再び葉巻を咥えて煙を吐き出した。

「実は〈リヴィングストン〉を含む戦隊の人員は、特殊な条件で集められた者ばかりでね。その条件の関係から、士官も含めて実戦経験者が皆無なのだ」

「一人も、ですか?」

 リチャードは目を見開いて、驚きの声を上げた。新造艦であっても、通常は古参兵を配置して新兵を教育するものである。戦争中のこのご時世に、全員が実戦経験なしというのは異常というしかなかった。

(つまり、自分とウィルだけで乗組員たちに……いや、戦隊の将兵にアレコレと教えなければならないのか)

 課せられた責任が予想以上であることを、リチャードは今この瞬間に痛感した。だが、何故わざわざ新人ばかり集めたのかという疑問が同時にわき起こる。彼は恐る恐る、目の前に座る上官へ尋ねた。

「その、『特殊な条件』というのは?」

「まあ、実際に見てもらったほうが理解しやすいだろう」

 人事局長は葉巻をテーブルに置かれた灰皿で軽く叩き、燃えカスを落としながらそう言った。

「いま、〈リヴィングストン〉乗り組みの士官が海軍本部を訪れている。用件が終わり次第、こちらに来るよう伝えているので……」

 その時、不意に扉がノックされた。先ほどの秘書が顔を出し、新たな来客がやってきたことを知らせる。

「噂をすれば、だな」

 局長は部屋に連れてくるよう指示すると、リチャードのほうへ向きなおった。

「少佐。くれぐれも驚かないように頼むぞ」

「は、はあ……」

 局長の生真面目な表情を見て、リチャードは困惑しつつ頷いた。さして間をおかずに、ひとりの士官が扉から姿をあらわした。

 その士官は一見したところ、かなり小柄であった。顔立ちも少年のように幼く、大尉の階級章がなければ一〇代と間違えてしまいそうなほどである。リチャードと同じくリーファー・ジャケットを身に着けているが……、よく見るとズボンではなくスカートを履いていた。

「フレデリカ・パークス大尉、ご命令により出頭いたしました」

「……は?」

 目の前で敬礼するその士官は、なんと女性であった。

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