ホットミルク
静かに双子の部屋の前まで来て、なるべく驚かさないよう控えめなノックをする。
き…と開いた扉の向こうには、安心した顔の次男。踏み入ると嗅ぎなれた金盞花の香り。また庭で摘んできたのか。この子を表すような花だ。さっきは動揺していたが部屋に戻って少しは落ち着いたようで、片割れの元でうつらうつらしている。無理もない、久しぶりに長い時間ひとりきりでいたぶられただろうから。
そっとベッドのふちに腰掛けて、こちらを見つめる4つの碧眼の頭をそれぞれ撫でる。今はもう2人とも手当がすんでいるし清潔な寝巻きを着てここにいる、それだけで心底ほっとした。
「…なんでああなった。何をされた。何か言われたか」
「僕よく覚えていない、でも姉ちゃんを虐めるのをいつもうるさく邪魔するからって。いつも兄ちゃん達が庇って殴られるけど、それじゃ面白くない。小さいものの方が怯えるから面白いんだって」
「わたし、いつもみたいだったし、何も変わったことは無かったよ」
次男の問に返すふたつの幼い声は、昨日のテレビの話題を話すかのようで、何ともないようなのがかえって痛々しかった。
「そろそろあの女が帰るし、ちび共が心配だから俺は今日はここで寝るよ。…客人でも来ない限りありがたくほうっておいていただけるってこったぁないだろうから、対応出来るように。兄貴は?」
「もう兄さん、心配しなくても大丈夫なのに。わたしたちだけでも女ひとりくらいへいき。ねぇ、もう反撃してもいいんでしょ?」
「馬鹿、俺らが色々してるのまだ秘密だって。ばれてないと思うし。お前らが困るんだぞ。なぁ兄貴」
「…様子見だな。お前が1番強いし心配要らないだろうが、あの男が起きてどうするか分からないし。何か今回の事で勘づいたかもしれない。何ともなさそうであればここに戻るから」
「早く戻ってこいよ。おー怖くて眠れねぇ」
にやつきながら双子のあいだにもぐり込んで、ふぁーあ、と欠伸したこいつが1番先に眠りそうだが、何かあれば飛び起きるだろう。任した、と呟き頭をさらとなで、もう目が半分閉じている2人の額におやすみのキスを落としてから扉を閉める。
したに降りると、ソファーに腰掛けため息をついた。まだ帰っていないようだ。花瓶の花が枯れかけている、今日はお手伝いの来ない日だから、これを見る限り朝からあの女はいなかったのか。もしかしたら今日は戻らないかもしれない。そうだと助かるんだが。水でも飲もうと入った誰もいないキッチンで、今日もあいつらに飯を食わせていないことを思い出したが、今戻っても眠っているだろう。子供なら5、6人程度は詰め込めるであろう冷蔵庫は、酒や牛乳など飲み物ばかりで食い物は何も入っていないし、札はまだあるが…この時間では。あいつらを置いて出る訳にはいかない。
「…」
来る。なにか来る。軽い足音が上からそうっと降りて来て、階段を降りたところで立ち止まっている。ぼうっとしていた…危ない。上から降りてきたなにかが、こちらへ来る。あの男が目を覚ました?にしては音が小さい。見つからないように近づこうとでもしているのか?ここに来るつもりらしい。なんでもないように水を汲んで飲む。隙を探していたかのようにすっと間合いを詰められる。なかなかに上手いが驕りすぎだ。
「っ…!!」
ぱっと振り向いて手を翳すと、さっきキスをしたはずのまろい額の下で、ふたつのトルコ石が雫を落としていた。
「ごめんなさい、兄ちゃん、僕」
「あぁ…すまん、誰かと思って、」
驚いて流れたのか、元々流れていたのか、雫はついにぽろぽろと勢いを増していく。焦って抱きしめるが震えは止まらない。小さい細いからだからふわり金盞花の香りがする。今は声を出して泣いても誰にも殴られないのだから、今くらい思い切り泣いても良いのに、いつもの癖で唇を噛み締め、うっく、うっくと耐える。
「…大丈夫、座れ、」
「ごめんなさい兄ちゃん、」
「大丈夫だから…怒ってないから」
座らせて、キッチンであたためたホットミルクのマグを握らせる。後ろからタオルケットで小さいからだごと包み、震えていたそれはやっと膝のあいだで落ち着いた。
「どうした?眠れない?」
「兄ちゃん、僕ね、兄ちゃんに言ってなかったことがあったの。それで…謝ろうと思ったの」
「うん?」
「今日、僕…抵抗してしまって、父が後ろから殴った後、僕技をかけようと…それで轡を噛まされて縛られたんだけど、色々ばれてしまったかと思って…」
「ああ」
「ねぇ、勘づかれたらどうしよう、今までの苦労が。警戒するか、僕たちを放り出すか、それとも…何されるんだろう?組織を使って僕たち消されるかな、ねぇ、」
「こら、焦るな。」
「ごめんなさい…兄ちゃんも姉ちゃんもいっぱい我慢してきたのに、僕のせいで」
「おい。よく聞け。まだ何もわかりはしないし、あいつは頭が空っぽなんだぞ。気づかないかもしれないし、もし気づいたって俺たちなら。今までたくさん色々してきたろ?大丈夫。その時は、その時だ」
「ほんとうに?いきていける?」
「今までだってそうしてきたろ。大丈夫。大丈夫だよ」
指を噛むのをやめさせてマグをもう一度握らせ、怯えないように怖がらないようにゆっくり体で包み込む。そのまま長い事左右に揺れていると、強ばっていた肩から力が抜けて、背中がぽうっと暖かくなり始める。
…生きていける?か。このくらいの歳の子にしては双子たちはませ過ぎているが、俺たちに見せる姿はむしろ歳よりずいぶん幼くあどけなく、従順すぎる、俺たちが間違え道を踏み外せどそのままついてくるだろう。この子達がこんな不安で眠れない程にここは腐っている。腐った所は切り落とさなければ。穢れを知らない澄んだ空色には一点の曇りも許されない。俺が許さない。
決意を固くして抱き直したが、ぬくい塊を抱きしめていたら俺にも眠気が降りてきてしまう。
頭をふって微睡みを追い払い、指が離れかけ傾いていたマグを間一髪救い、すっかり冷えた中身を飲み干して末の子を上に運ぶ。目が腫れないよう濡れ手拭いを瞼に乗せて、もう一度全員にキスしてから部屋の片隅のソファーに身を沈めた。
先程自分が口にした大丈夫は何も根拠がなかったが、何故か本当にそう思っていた。今なら根拠のある大丈夫も口に出来る。
世間から注目され俺たちはもうある程度知名度もある。あいつらも今更捨てられないだろう。捨てられた方が今の扱いよりマシかもしれないが。同じ理由で消されるという選択肢も消える。
警戒される。これは大いにある。だがそれがなんだ。今はよほどあいつより組織の奴らや裏の事情に詳しいし、実力も人脈も全てにおいてこちらが上。手を回すのは赤子の手をひねるより簡単。布石は完璧だ。
いざとなれば師匠に全てを話す。仮にあいつが師匠に命じて、万が一、億が一師匠が敵になっても…俺たち4人なら生き残れる。安心と疲労にゆるりと意識を手放しながら、あぁ、今日は2人も俺に怯えていたな、というようなことを思った。
モノローグ 凪澄 @NAGISUMI
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