第12話

 第2階層は巨大な柱に左右を囲まれた広い柱廊が続く空間になっていた。床や柱は大理石のような素材で作られ、高い天井にはフラスコ画が描かれている。

 通路には途切れることなく発光魔術が灯されており、全体的な見通しは悪くないタイプの階層だろう。だが、左右に聳える柱の奥には、時おり小部屋に繋がる小さな扉があり、場合によってはそこから魔獣や妖精種、あるいは探索者が飛び出してきて襲い掛かってくる可能性もあるとのことだった。そのため、ここでも先頭は必ずロドリックが歩いた。ヘンテリックスとリーリアは、その後ろを続く。


「そんで、紋章、何が変だったの?」


 歩き始めてしばらく、問いかけてきたのはリーリアの方からだった。


「なんだよ、急に、別に興味なんてないくせに」


「心外ね、興味がないわけじゃないわ。アイラ先生もそうだったけど、私も他派の魔術は好きよ。イリーニャ派も、タクチェクタ派も、北方のドルイドたちも、あと、ジルダリア魔術もね」


 リーリアはロドリックにも聞こえるように、語尾を強めた。ロドリックは背中を向けたまま「はいはい、あんがとさん」とぶっきらぼうに答えた。


「魔術ってさ、文化や工夫の歴史みたいなもんでしょ、地域や集団、その時の時世によって趣向が変わる。今はたまたまティティア派が優勢かもしれないけど、それだっていつかは変わるかもしれない。こんなこと、みんなの前で言ったら異端だとか不敬だとか罵られるかもしんないけどね」


 リーリアのその言葉に嘘はないことは、ヘンテリックスも薄々感じていた。歩調を緩めることはなかったが、リーリアが紋章に関しての話題を振ってきたのは同情などではなく、純粋な好奇心からだということも。


「俺が、最初に変だと思ったのは、第一階層の入口付近で見た紋章魔術の跡だ」


 ヘンテリックスは言った。


「ごく最近描かれたというわけでもないのに、その魔術紋章の設計思想は現代のイリーニャ派のものだった。それも、魔力循環の思想を取り入れた、まだ実用にすら至ってない最新式のだ」


「探索者の誰かにイリーニャ派の使い手が居て、その人が描いたとかじゃないの?」


「その可能性も考えた。しかし、派閥に問い合わせて確認してみたけど、初期の探索隊にイリーニャ派から同行したのは一人だけ、そいつは去年ここを去って、そのあと参加した派閥の意見交換会で、初めて魔力循環機構を取り入れた魔術紋章の存在を知った。だからそいつが紋章を描いて回ったってのはあり得ない」


「じゃあ、民間事業移行後の探索者の中に、最先端の紋章魔術を使用できる人間が潜んでいるってこと?」


「たぶん、そう言うことだと思う……」


 ヘンテリックスは、歩いている途中、また柱に描かれた紋章を見つけ、目を細めた。


「中々面白そうな話をしてるじゃないか」


 ヘンテリックスとリーリアの会話に、ちょっとした隙間を見つけ、ロドリックが割り込んできた。


「その紋章魔術ってやつ、至る所に描かれているんだろ? そんなにいくつも描いて、当の本人は何が目的なんだ? 紋章から魔術効果を読み取ることができるんだろ? イリーニャ派のやつらは」


「まあ……読み取ることが、できることもある」


「なんだよ、歯切れが悪りいな兄ちゃん」


 ヘンテリックスは、歯を食いしばった。もうこの紋章を解析し続けて何日が経過しただろうか、それほどの時間をかけても、こんな小さな魔術紋章ひとつ完全に解析できないなど、とてもじゃないが認められなかった。


「おそらく、この紋章魔術は、複数で一つの効果を持つタイプのものだ」


 だからもっと探索を進めないと、全貌を解析できない――言い訳にも似た、苦しい言い分だったが、イリーニャ派の高弟だという自負が、ヘンテリックスにそうさせた。


 ヘンテリックスはイリーニャ派だけでなく、魔術師全体で見ても若い部類に入る。リーリアのように鳴り物入りで魔術会派に入り、若くして功績を上げるような鬼才の魔術師ではなかったが、それでも最年少でイリーニャの高弟になり、更には時間無制限という条件ならば、自分より高度で美しい魔術紋章を書ける者は居ないと公言できるほど、才能に溢れた魔術師でもあった。


「つまり、ヘンテも迷宮の奥が気になってきたってことでしょ」


 苦しい顔で押し黙ったヘンテリックスに、救いの手を差し伸べるかのように、リーリアが杖でヘンテリックスの腰辺りを叩いた。


「まあ、否定はしない」


「だったら早く歩く! 夜警時に入る前に、さっさと次の休息所まで行くわよ!」


 リーリアが器用な杖捌きで、ヘンテリックスの背中をぐいぐい押した。


「もう、分かってるって、そもそも俺が最後尾のはずだろ」


 ヘンテリックスが振り返ったとき、悪戯に笑うリーリアの横顔に、ふと亡き師匠の面影を見た。


 彼女が死んだときも、同じような顔をしていたのだろうか。純粋に魔術に向き合い、魔術を楽しみ、愛したまま終わらせたのだろうか。それならもし彼女が居なかったら、俺は今頃、どこで何をしていたのか。


 胸の奥底で身じろぎをした、黒い感情を、紋章の中に押し込めるように、ヘンテリックスは真っ直ぐ前を見た。

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