第10話

「嘘でしょ……」


 残ったのは風を斬る音だけだった。


 比喩ではない。


 ロドリックは障壁を張るわけでもなく、避けるわけでもなく、ただ、剣を振るっていた。そして、その剣は、確かにシルフの放った風を、今しがた、リーリアたちの目の前で斬ったのだ。


「すげえ、いいもん見れたね」


 おもむろに、ヘンテリックスが立ち上がった。


 ロドリックはそのままシルフに肉薄すると、返す刀で相手の胴体を真っ二つに切り裂いていた。絶命し、枯葉のように地面に舞い落ちるシルフ。だが残ったもう一匹まで倒す力が、ロドリックに残されているかどうかは、疑わしかった。


 剣で魔術を切るという、なんとも信じがたい離れ業だったが、斬れたのはあくまで一枚の風だけ、シルフが放った風の刃は二枚あったのだ。


 処理し損ねたほうの風は、ロドリックの太もも付近を掠め、早くもズボンの左側を血で染め上げていた。それでもロドリックは、まだ恐怖から抜け出せずにいる女魔術師をかばい立つように、もう一匹のシルフをじっと睨みつけていた。


「俺が行くよ」


 その光景が琴線にでも触れたのか、ヘンテリックスが柄にもなくやる気を見せていた。


「いい、私がやる。あんたのは一度使うと、あとが面倒でしょ」


 どちらにせよ、誰かが行かなければならなかった。

 シルフは2匹いた。そして、逃げ惑う探索者たちを追っていたもう一方のシルフは、遊び相手をロドリックに変えたようだ。今や、ロドリックの出方を窺いながら、ゆっくりと彼に近づいている。


「簡易魔術の紋章なら、いくつかポーチに入れてあるけど、これじゃダメかな?」


「無理よ、せいぜい時間稼ぎがいいとこね。もういいから、服着てて、ほんと、馬鹿みたい」


 リーリアはこんな下らないことで、大事な魔術を切り売りしようとするヘンテリックスに呆れながら、杖に体重を預け、よいしょっと立ち上がった。


「あんたは何もしなくていいから、せめてうまく当たるよう、そこで祈ってなさい」


「まさか、こんなところで使うのかい?」


「大丈夫よ、なるべく威力は抑えるから」


 ローブの裾を軽くはたき、大きな杖を両手で構え、リーリアは大きくひと呼吸した。


 さきほどシルフが一匹死んだばかりというのもあって、周囲のエーテルにはまだ十分に余裕があった。リーリアはシルフが強力な障壁を張れないよう、エーテルをできる限り支配下に置いたが、それらのエーテルをすべて魔術に変換することのないように、細心の注意を払いながら詠唱を行った。


 魔術に使うエーテルは、ほんの少しだけ。ここは戸外ではなく、室内だ。遠近感の設定を間違うと、取り返しのつかないことになる。


「天……偽りの……」


 リーリアは、一節、一節、戒めながら、慎重に唱えていく。

 シルフはようやく、自分の置かれている状況に気が付いたのか、半狂乱に騒ぎ立て、リーリアの方に突進してくるも、ヘンテリックスが代わりに張った障壁に阻まれ、リーリアの詠唱を止めることはできない。そうこうしているうちに、すべての準備を終えたリーリアが、少しだけ間を置いて、詠唱の締めに一言。


星屑アストラ


 とたん、広場を隅々まで照らしていた無数の発光魔術が一斉に消え、辺りが暗くなった。かと思えば、リーリアの杖から迸る光の球体が、淡い明かりで広場を照らし始めた。


「いつ見ても綺麗だ」


 無数に散らばる光の球体は、広場の天井付近に張り付き、小さく、淡く、白い輝きで、広場全体に瞬いた。その神秘的な光景に心奪われたのか、ヘンテリックスが息を漏らした。


 だが、美しかったのもつかの間、光の球体はみるみるうちに赤黒く色を変え、広場目掛けて落下を始めた。落下速度は驚くほど遅かったが、それでも力の差を悟って、広場の出口へ向けて逃げ出すシルフを、観念させるには十分だった。


 光の球体は、シルフを追うように、ゆっくりと落下していた。天井から地面までは、およそ4メートルほど、今ようやく半分を過ぎたところだが、最初、拳大だった光の球体は、今やその十倍ほどの大きさになっていた。


「やば、距離を見誤ったかも」


 シルフに向けて落下していく無数の球体を見つめながら、リーリアが呟いた。


「え、それって……」


 ヘンテリックスが困惑の色を見せる。


「ま、まあシルフもちょうど離れてくれたし、あのくらいの位置なら、結果オーライでしょ、多分……」


「いや、あっち側、生き残った探索者たちが、走っていった方向じゃん」


 リーリアの放った小さな光の球体は、気が付けば燃え盛る巨大な火球となっていた。

 星屑とはよく言ったものだ。広場の出口付近に降り注ぐそれは、とてつもない鳴動と共に、すべてを焼き尽くし、そして塵に変えた。


 逃げようとしたシルフも。

 辛うじて生き残り、避難していた探索者までも。

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