第85話 ある迷宮探索者 ①

 おれは羊皮紙を閉じると、力なく放った。アイラは、まだ眠ったまま。起きる気配はない。

 きっと誰も彼もが疲れ切っているんだろう。そして誰も彼もが嘘をついている。大小差はあれどな。


 だがおれにはもう、そのひとつひとつを確かめる手段もなければ、気力もなかった。真相がどうであったにせよ、〝俺〟が最後に多くを語らなかったということは、ここがおれにとっての真実の終着点だということだ。


「途中、カレンシアと、すれ違わなかったか?」


「見てないわ」


「そうか」


 おれは〝ならざるもの〟に目を向けた。これからおれたちはどうなっていくのだろうか。カレンシアは無事地上へ戻れるのか、そしておれたちはまた生きてもう一度、地上の光を拝むことができるのか。


 ニーナへの詰問に飽き、意気消沈したおれを待っていたかのように、ハリードが傍へ寄ってきた。

 顔を上げると、ハリードが険しい表情で、印をいくつか結んで見せた。意味はそれぞれ(選べ、帰る、戦う)だ。彼の耳には特に問題がないのは知っていたので、おれは声に出して答えた。


「あとどのくらい〝世界コスモス〟でエーテルを枯渇状態にしておける?」


(10分)


「勝ち目はありそうか?」


(ない、私は)


「おれもだ」


 おれは動かなくなった〝ならざるもの〟を眺めながら、少しの間考えた。もし戦うのであれば、身動きの取れない今が絶好の機会だ。しかし、おれには魔術やアーティファクトなしで、奴に致命傷を与えられそうな秘策は思い浮かばない。だからといって世界コスモスが解けたあとに戦っても、先の二の舞になるだけだ。


「ハリード、仮にこいつを放置したまま、地上へ帰ったら、どうなるかな?」


(夜明け、存在、確定)


「そうか、じゃあいつか、地上へ出てくると思うか?」


(わからない)ハリードは僅かに目を伏せ、首を横に振った。


「できればこの場に留まって、あの謎めいた装置の守護者でも、きどってくれればいいんだがな」


 おれは涙ぐむニーナと、未だおれの胸の中で寝息を立てているアイラを何度か見た。


 いずれにせよ、人はいつか死ぬ。おれがどんな選択をしたところで、誰かに非難されるいわれはないはずだ。


「帰ろう、もう疲れた」


 おれは言った。本当に、疲れきっていた。



 ※※※



 決断してからはあっという間だった。おれはアイラをおぶって、ニーナとハリードの後ろを付いて行った。ニーナがハリードに指示しながら、棺に浮かび上がる光の文字のようなものを操作しているのを見て、おれは改めて、自分が何も知らなかったんだと自覚した。


(私、最後、先、行って)


 ハリードが魔術を維持するために、最後を務めると申し出た。対して一番手はおれだった。一応人払いはしてあるらしいが、第3層に付いたとたん、盗賊まがいの探索者や魔獣に、ニーナやアイラが襲われたら目も当てられないということだった。


「この転送装置は、一人ずつしか乗れないの」


 ニーナに言われ、アイラをハリードに預けると、おれは装置に乗った。不安を感じる隙もなかった。扉が閉じて、ほんの数秒、次開いたときには、見覚えのある部屋だった。

 ニーナの言っていたことは本当だった。ここは第3層の西区画だ。そしておれが乗ってきた転送装置こそ、今の今までその存在意義が謎に包まれていた石碑だった。


 すべては最初からここにあったのか……おれはカレンシアと出会ったときのことを思い出した。おれたちが第3層に居たのも、彼女を見つけたのも、偶然ではなかったというのなら、ここから先は、誰の道を、誰の代わりに歩けというのだろう。


「ね、嘘じゃなかったでしょ?」


 続いて転送装置から現れたニーナが、得意げな微笑みを向ける。


「疑っていたわけじゃないさ」


 対しておれは力なく笑った。


「もしかして、眠い?」


「少し」


 瞼を擦ると、部屋を包む光が少しまぶしく感じた。そして同時に懐かしくもなった。どこかで見たような、発光魔術の輝きだった。


「寝ててもいいよ、すぐハリードさんも来るだろうから」


「だったら余計に踏ん張らないとな、あいつらは信用ならん」


 おれはポーチから強壮剤を取り出し、口に含んだ。記憶を失う前の俺が、もしもの時を託した相手らしいが、だったらどうしておれにハリードの記憶がない? ニーナの話では、おれが消した記憶はシアの死に関する記憶だけのはずだ。だとすると、奴に何かを頼んだ記憶は忘れたとしても、奴自体を忘れているのはおかしい。


 しばらくして転送装置が開き、横たわるアイラが現れた。決めた順番どおりなら、次はハリードの番だ。


 しかし、肝心のハリードは、いくら待てども現れることはなかった。

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