第84話 世界 ④

 そこからのニーナの言葉は、とうてい信じられるものではなかった。しかし、彼女が無傷でこの場に存在しているという事実が、どうしてもおれの心に疑義を生じさせた。気が付けば、おれは彼女の話に聞き入っていた。


「燈の馬での最後の探索で、貴方は多くの犠牲の元、ここに辿り着いた。でも目的を果たすことはできなかった。生きた人間を作り出すには何かが足りないと考えた貴方は、どうにかして地上に戻る方法を探し、そして、第3層とこの場所を繋ぐ〝道〟を見つけた」


「道だって? 第3層に、そんな場所なかったはずだ」


「あったじゃない、第3層の西区画に、誰にもその存在意義が分からなかった石碑が」


 ニーナは棺を視線で示し、言った。


「思い出した? あの石碑に、そっくりでしょ?」


 おれは記憶を手繰った。言われてみればそうだったという気もするし、そうでなかった気もする。正直言うと、多少の自己保身はあれど、ニーナの言葉に完全な虚偽はないと感じていた。しかし同時にニーナの誠実さに疑いを持ち始めたことも事実だ。


「もし君の言うことが本当だとして、どうしておれにそのことを教えてくれなかった? 君がちゃんと話してくれれば、誰も犠牲にならずに済んだ」


「黙っているよう指示したのは、貴方よ」


「何故おれがそんなことを?」


「魔術を信じるためだって、貴方は言ってた。地上に戻ってきた貴方は、しばらくして私にジルダリアに帰るから付いて来てほしいと告げた。ジルダリア行きの馬車で教えてくれたのは、この装置のこと、そして生きた人間を作り出せない理由は、魔術の根幹、つまり信じる力が関係しているんじゃないかってこと。それを解決する方法が、貴方の実家にあるって、それで一緒に、マリウス様に会いに行ったの」


「君は、おれの叔父にあったことがあるのか?」


「ええ、直接話したのは、少しだけだったけど、良い方だったわ。貴方のことをよろしく頼むって言われた。でも私、エミリウス家のことは何も知らないの、屋敷に行ったのは初日だけだったし、貴方も国家機密だから多くは語れないって。結局、私はテルム郊外のエミリウス家が所有する別荘で、数日贅沢な暮らしをさせてもらっただけ」


 分かり易い嘘だ。いくらおれに記憶がないとはいえ、大した理由もなく実家に愛人を連れて行くはずがない。おそらくおれに知られたくないことが、ここらへんの話題に隠されているはずだ。


「それだけじゃないだろう。君の口ぶりだと、おれは何か明確な目的を持って、君をテルムに同行させたはずだ」


 正直に言わないと……などと凄む必要もなかった。ニーナはおれの目を見た途端、怯えるように取り繕った。


「別荘に案内された翌日、貴方がやってきて、これからのことについて、かなり細かく指示を受けたわ。貴方を無事パルミニアに送り届けることとか、パルミニアに戻ってからのことも、たくさん」


「例えば?」


「大まかには、貴方の行動の制限と、コントロールを頼まれた。貴方は魔術を成立させるため、記憶の一部を消して、シアが生きていると信じ込まなければならなかったから、外部との連絡はすべて私が執り行うようにって、あとは、計画が失敗しそうなときの緊急連絡先とか」


「おれの行動を裏で君が操ってたってことか?」


「そんなにうまくは出来なかった。貴方は記憶を失う前も後も、すごく我がままで、気まぐれだったもの。でも、どんな手を使ってでも、必ずやれと言われたのは、シアとの合流が叶う、もしくは計画から1年が経過して、失敗したと判断されるまでは、貴方をパルミニアに留まらせること、あとは……主な探索箇所を、第3層に固定することだった。シアが生き返ったら、転送装置を使って第3層に出てくる可能性が高いだろうからって」


「なに言ってんだ。おれが第3層での探索に甘んじなければならなかった理由は、燈の馬の連中とこじれて、第4層での外壁削りが出来なくなったから仕方なくだろう」


「うん……」


「まさか、君が仕組んだのか?」


「私じゃない! いや、私だけど……計画の進捗は、逐一マリウス様に手紙で報告して、指示を仰ぐことになってたの……」


 つまりニーナが実地で裏工作をやったってことだ。


「他には、何を?」


「貴方が書いた手紙を、ジルダリアに届かないようにしたり……」


「それだけか?」


「何か言いたいの? 私、全部貴方のためにやってたのよ」


「テリアとも、手を組んでいたんだろう?」


「組んでたわけじゃない。私はあの人とは違う」


「シェーリや、ユーリのことも、君がやったのか?」


「何のこと? 私の仕事は貴方の精神状態の報告と、シアの戦績報告が主だった。あれはテリアがやってただけ。そもそもマリウス様や記憶を失う前の貴方の方針は、シアの復活と彼女の持つ固有魔術の安定化だった。それが成功したらジルダリアに帰るはずだったの。それを邪魔してたのはテリアよ。だから私、何度も言ってたよね? テリアは信用できないって、ここから逃げようって、でも貴方はいつも私のことなんて、考えてもくれてなかった」


 ニーナは大きな瞳からポロポロと涙をこぼしていた。本当におれが書いた絵だったのであれば、この状況になったとき、おれはおれに、どのように試合の終了を告げるつもりだったのか。その答えは、すぐにわかることとなった。


「信じられないのなら、これを読めばいいわ」


 ニーナはそう言うと、腰に下げたポーチの中から、かなり高価そうな羊皮紙を取り出して、おれに向かって投げつけた。地面に落ちた羊皮紙に手を伸ばし、おれはアイラの顔の上でそれを開く。


 確かにおれの字だった。そこに書いてあったのは、先ほどニーナが語ったことに加えて、保険としてタクチェクタ派にも協力を依頼していることや、その他、様々な緊急連絡先が書き記されていた。


 そして、文の最後に、きっとおれへ向けたのであろう、短いメッセージが記されているのを見つけた。



 〝ルキウスへ、これを読んでいるということは、おそらく俺たちの計画はどこかで破綻し、修正の効かないところまで行ってしまったのだろう。君は今ひどく混乱しているはずだ、まさか自分の記憶を消したのが、自分自身だとは思いもよらなかっただろう。しかしこれにはちゃんとした理由があるし、ある程度の裏付けもあって行ったことなんだ、どうか愚かな俺を許してほしい。それから、身勝手を承知で助言させてもらうが……俺たちは、死者よりも、今を生きている人間に、もっと目を向けるべきだったのかもしれない。少なくとも、俺にとってエミリウス・ロドリックの名は重荷だった。願わくば、新しい君の旅路に、栄光があらんことを〟

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