第83話 世界 ③

「いいえ、貴方の勝ちよ」


 どこから覚えのある声が聞こえたが、おれはすぐには瞼を上げなかった。

 というのもこれも〝ならざるもの〟の策略なのではないかと、疑っていたからだ。希望に縋って目を開いた瞬間、あの悪意に満ちた顔をおれたち脳裏に焼き付け、死の間際において更なる絶望を味合わせようという、悪意に満ちた企みに違いないと。


「ねえ、いつまでそれを見せつけるつもり?」


 しかし、しつこく肩を揺さぶられ、おれはとうとう、観念して目を開けてしまった。


「なぜ、君が、ここに?」


 目に映る光景を、すぐには受け入れられなかった。このタイミングなら尚更、出来過ぎている。おれは一瞬彼女の仕業かと思ってアイラを見た。腕の中で、静かに寝息を立てていた。アイラが見せた幻じゃないとすれば……いったい誰のだ? まさか、本物ってこともあるまいし……。


「第6層に挑んだ探索者が、戻ってきたとたん第5層で暴れてるって聞いて、貴方のことが心配で、居てもたってもいられなくなったの」


「へえ、迷宮は、今どうなってる?」


「第5層から撤退してきたフォッサ旅団の人たちを中心に、第4層の王宮で防衛線を張ってる」


「じゃあ、君はいったいどこからここに来たっていうんだ?」


「彼に頼んだの」


 ニーナは更に後方を指した。振り返って目で追うと、数メートル先に、以前会ったキルクルスのハリードが居た。どういうことだ? こいつがニーナを連れて、助っ人に来てくれたってことか? まさか、こいつら本物か?


「マジかよ……なんで来たんだ、早く逃げろ!」


 おれは隣に立つニーナと、今にも動き出しそうな〝ならざるもの〟を交互に見ながら叫んだ。


「大丈夫よ、何かあったらこの人に頼めって、貴方が言ってたんだから」


「何?」


 おれは困惑を隠せないまま、もう一度ハリードを見た。彼は前会ったときと同じように、口元まで隠れる黒い襟付きのローブを着込んでいた。ローブの隙間から出た手が、まるで人形みたいに、おれに向かって小さくお辞儀し、その後いくつかの印を刻んだ。


「あんたらは第6層の攻略には、いっさい手を貸さないって話だったはずだが?」


 ハリードは顔を横に振って指さした。おれは指の先を追って〝ならざるもの〟に向き直った。今にも動き出しそうだが……まだ、動かない。ふと床を見ると、エーテルで作られた、花のようなものが一面に咲き乱れていた。これは……タクチェクタ派の奥義〝風鳥アプス〟だ。ということは、先ほどおれが綺麗だと感じたエーテルの光は、ハリードが使用した〝鳥花ストレリチア〟だったのか。


 そしてこうしている間にも、花は散り始め、花弁が辺り一面に舞い始めた。


 ――世界コスモス――


 この状態こそが、タクチェクタが誇る大魔術、四つの連なる魔術の三番目、〝世界コスモス〟だった。

 現在おれが知る限り、これを使えるのはタクチェクタ派の開祖だけだ。なぜこの男が奥義を使えるのか、そして何故ニーナと共にここへ来たのか、分からないことだらけだった。しかし、理由はどうあれ、この魔術が閉鎖された空間で、とてつもない効力を発揮するという事実は変わらない。現に〝ならざるもの〟は、時間が止まったように、動きを止めていた。


「お前、何者だ?」


 不信感を露わにしたおれの問いかけに、しかしハリードは何も答えなかった。


「その人、喋れないみたい」


 ニーナが、不憫でしょ? と言いたげにフォローに回った。


「ああ、おれの師匠も話せなかった。昔、仇敵に喉を潰されたらしいからな。タクチェクタ派にはそういう奴も多い。だが、あんたほど若い使い手が居るとは聞いたことがない。おまけに奥義まで使えるだって? タクチェクタ派の高弟であるおれが知らないわけないだろ」


 そしておれはニーナにも続けた。


「それにお前ら、どうやってここへ来た? 第6層から来たのなら、道中の縦穴でどうしてすれ違わなかった? ここまで来るのに、何日かけた? おれに何を隠してる?」


 ハリードは困ったように首を振り続けた。ニーナがそれを見て、観念したように肩を落とし、ゆっくり口を開いた。


「私たちは、第3層から来たの。以前、貴方が開拓したルートよ。そして私も、彼も、貴方の指示に従って、ここに来たの。記憶をなくす前の貴方のね」

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