第82話 世界 ②

「奇しくも、またここに戻っちまったな」


 おれはアイラの隣に、寄り添うように立ち並んだ。どうにも彼女は格好つけたがる節があるようだから、今回はおれもそれに倣うことにしよう。


「何やってるの、ここで死にたいの?」


 アイラは急激に魔力を使用したからか、目の下に隈をつくり、眼球はひどく充血していた。それに、頬や額の皺など、ずいぶん歳をとったようにも見える。


「君に伝え忘れたことがあったと、思い出してね」


「何? さっさと済ませて、そして消えて」


 その姿をおれには見られたくなかったのだろう、アイラは顔を背けると、拒絶するように言い放った。

 おれはアイラの腰に手を回した。氷は未だ、巨大な球体として〝ならざるもの〟をなんとか拘束していた。つくづく思う、アイラは本当に強い女だ。それは魔術だけの話ではなく、心の在り方としてもだ。こんな状況でも、泣き言一つ漏らさず、誰かのために一人で死ぬつもりでいる。おれにはとても、真似できないことだった。


「最後まで一緒だって、約束しなかったっけ?」


「そんなの知らない」


「ありゃ、悪い、ニーナを口説いた時と混同してたみたいだ」


「最低だね」


 そう言ったあと、アイラはおれにもたれるように体を預けた。意図せず気持ちが伝わったのかと思ったが、そうではなかった。アイラの瞳の赤色が消えかけていた。もはや自分で立つことすら出来なくなったのだ。


「残り時間は、もうあとちょっとみたいだな」


 おれは振り返り、カレンシアがここを去ったことを確認すると、アイラを抱えながら床に座った。


「本当に、いいの?」


 腕の中、今にも消え入りそうな声で、アイラが呟いた。


「いいよ、一緒に死のう」


 アイラは、じろっとおれを睨むと、ため息をついた。


「呆れた。最後くらい、もっと気の利いた言葉、思いつかなかった?」


「例えば?」


「愛してるとか、好きだとか」


「そういったありきたりな言葉は、君が求めるものじゃないと思ったんだが」


「そんなこと、ないよ……」


 そうか。おれは何日も剃ってない顎の髭を触ったり、指の骨を鳴らしたり、鼻をすすった。ここは静かだ。星のような光の粒も、暗闇を美しく彩っている。


「言うなら早くして、時間、もうないよ」


「わかってる」


 だが風景はともかく、こんな状況で愛を語るのは好みじゃなかったし、ましてや女に急かされて言葉にするなんてもっての外だった。つまり今回だけ、今日だけ特別だ。最初で最後のつもりで、おれは口を開いた。


「アイラ、ここまで一緒に来てくれてありがとう、愛してるよ」


 こっぱずかしい沈黙のあと、先に耐えかねたアイラから、かすれた口笛が聞こえた。


「なんだ? もう一度言って欲しいのか?」


「ううん、もう満足。でも、もし奇跡がおきて、私たち、生きて帰れることがあったら、次はニーナの前で、もう一度同じこと言って欲しいな」


 そりゃあ怖い申出だ。でも、どうせおれたち、ここで終わりなんだ。そう考えると、どんな約束したって構わない気がした。いや、構うもんか、口でなら何とでも言える。


「いいぜ、次はニーナの前で、君が愛の勝者だと告げてやるよ」


「わお、言ったね」


 アイラは力なく手を上げた。今にも崩れそうだった氷の球体に、僅かだが力が灯った。


「あと十秒くらい、粘っちゃお」


「諦めが悪いな」


 おれはアイラを後ろから抱きかかえたまま、その冷たい耳に口づけし、頬をすり合わせながら、氷が壊れるのを待った。あるいは助けが来るのを、心のどこかで期待していたのかもしれない。だが、現実はそれほど劇的な展開をおれたちに見せてくれることはなかった。


「あーあ、やっぱだめだ。私の負けか」


 アイラが手を下ろした。魔力が底をついたのだ。〝ならざるもの〟を拘束していた氷塊が、音を立てて崩れ落ちる。


 おれはアイラの目を塞ぐように手のひらを被せ、抱きしめる腕に、少しだけ力を込めた。

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