第78話 隠世の淵 ③

〝ならざるもの〟の形貌を描写するのは、少々躊躇われる。多くの人は直接見なくとも不快な気分になるだろうし、それによってページを閉じられでもしたら目も当てられないからだ。


 まあ、それでも好奇心旺盛な者のために、さっと概観を説明するなら――


 そうだな、方向性としては第5層に出てきたナックラヴィ―に近いかもしれない。


 全長は10メートル弱ってとこだろうか、体色は浅黒く、顔の半分近くが真っ赤な口に覆われている。毛髪はなく、頭からは角とも触覚とも取れる何かがぶら下がっており、瞳だけが何故か子供のように無邪気に輝いている。そして、体に比べて手足が異様に大きいところも特徴だ。脚は蛙のそれに近く、手はどこかの錬金術師の研究室から拾ってきた、ガラクタをかき集めて作ったような歪な形状だった。


 と、描写はここまでにしよう。もうすぐその不気味な手が、おれを蟻んこみたいに叩き潰すからだ。残った時間は全くあてにならなかった神々に、恨み節を吐くために使うか、もしくは、もう少しばかり有意義なことに充てるとしよう。


 おれは迫りくる腕を迎え撃つように、頭上に向かって剣を突き出した。小さな虫けらであっても、一矢報いることくらいはできるはずだ。エーテルは相変わらず、警鐘を鳴らし続けているし、頭からはニーナの悲しむ姿がこびり付いて離れなかったが、ここがおれの墓場となるだろう。


第一城壁プリモエニア!」


 詠唱が聞こえたのは、歪な腕が切先に影を落としかけたときだった。


 突如として、おれの頭上に展開された、石塁のように組み上がったエーテルの壁。壁の内部には水が満たされており、〝ならざるもの〟から振り下ろされる衝撃で、コポコポと水が動く音だけが響き渡っていた。


 〝城壁モエニア〟それは現在、それぞれの属性ごとにひとつずつ、第一から第四まで存在する最高硬度の障壁魔術の総称だった。使用できる魔術師は、大陸でも数えるほどしかいなく、アイラも、そしてシアでさえも操ることは叶わなかった。


「ロドリックさん! 大丈夫ですか?」


 だからカレンシアが杖を掲げながら駆け寄ってとき、おれは助かったことへの安堵と同じくらい、落胆も感じていた。結局のところ、どこまでいっても彼女は、おれの知る彼女ではないのだろう。


「逃げなくていいのか?」


 おれは言った。


「ほっとけないので」


 カレンシアはおれの手を引いた。


「日頃からの人徳がなせる業かな?」


 おれはカレンシアに引っ張ってもらって、なんとか立ち上がることができた。その間、カレンシアの障壁は〝ならざるもの〟の攻撃を防ぎ続けていた。


「ロドリック、どうして攻撃しなかったの?」


 剣を杖代わりに立つおれに、アイラは困惑を隠せないという様子で詰め寄ってきた。


「わからん、魔力が突然残り僅かになった。何か仕掛けがあるのかも」


「まさか……魔力を奪われてるとか?」


 アイラはそう呟きながら、カレンシアを見た。


「私は大丈夫です、今のところそういう感じはしません。でも、そろそろ、障壁を張り直さないと、破られます……」


「私が時間を稼ぐ」


 アイラはエーテルを杖先に集め始めた。その間も〝ならざるもの〟は、駄々をこねた幼子のようにカレンシアの張った障壁を叩き続けていた。


 障壁にひびが入り、中の水が漏れ始めるまでに、そう時間はかからなかった。そしてそれを待っていたと言わんばかりに、アイラが魔術を構築し始めた。


「氷柱!」


 アイラは〝第一城壁〟から漏れ出した水を利用して、手始めに巨大な氷柱で〝ならざるもの〟の腕を攻撃した。鋭利に尖った氷の先端だったが、上腕部分に当たった瞬間、氷柱は粉々に砕け散った。


 しかし、アイラの真骨頂は、流れるように続く連続魔術だ。アイラはカレンシアの障壁から漏れる水を利用し、立て続けに氷柱を敵にぶつけ続ける。その都度、粉々に飛び散る氷の破片、これこそがアイラの更なる魔術への布石だった。


「氷塊!」


 アイラが詠唱完了の文句と共に、空いた手を掲げ握りしめた。

 その瞬間、空気中に漂う微細な粒子となった氷や、床に転がってその役目を終えた氷の破片が、アイラの動きに呼応するように〝ならざるもの〟を包み込んだ。

 アイラは更に握る拳に力を入れようと、懸命に細腕を震わせる。


「ダメだ、硬いね、こいつ」


 しかし、アイラほどの魔術師でも氷の破片で〝ならざるもの〟を圧殺することは叶わなかったようだ。諦めたアイラは手の平を広げて〝ならざるもの〟を覆っていた氷の塊を広げると、今度はその氷を使って、おれたちの前に壁を張った。


「私が防御を担当する、カレンシアは〝城壁〟じゃなくて〝夜明け〟をお願い」


「わかりました」


 カレンシアはまだ僅かに残っていた〝城壁〟を完全に解除し、杖先にエーテルを凝縮させる。


「ちなみにここまで、私の魔力は、自ら使用した分以上には減ってない」


 アイラはおれに向かって声を張り上げた。向こう側から氷の壁を叩く音が、おれたちの声を覆い隠そうと断続的に鳴り響く。


「ロドリック、ここでもう一度、装剣技を使用するとしたら、メロウの涙からどれくらい魔力を取り出す必要がある?」


「そうだな――」


 おれはメロウの涙の輝きを計りながら答えた。


「この距離からこいつを斬るには、二重装まで装剣技を引き上げなけりゃいけない、となるとおそらく、2割ほどは使うことになる」


「今残ってる量は?」


「7割ほど残ってたはずだ」


 おれはメロウの涙を振ってみた。一見すると何の変哲もないガラス玉だが、振ると中に貯蔵されている魔力が青に輝く。その濃淡によって魔力の残量を計るのだが……今は青というよりは、ほとんど白みがかった光に変化していた。


「嘘だろ、残り半分を切ってる……」


 こんなに使った覚えは無かった。おれは咄嗟に〝ならざるもの〟から少しでも距離を取るように後ずさった。


「じゃあ、あまり無駄使いするのは、やめておいたほうがよさそうだね」


 アイラはおれを当てにするのを止め、自らの氷壁を補強し始めた。


「さっき、尻餅をついたとき、あのときはまだ、7割ほどは残ってた!」


 おれは声を荒げた。勘違いなどではない、何かがおかしい、それを伝えたかっただけなのだが、言い訳がましく聞こえてしまったのかもしれない。


「大丈夫、わかってるよ」アイラは諭すように応えた。


「でも、魔力を吸い取るには、きっといくつかの条件や制限があるはず。じゃないなら、出会いがしらに私たち全員、魔力を空っぽにされてるはずだもん」


 それもそうだ……おれだけが奴の条件を満たしてるのか? おれがやって、アイラとカレンシアがやってないこと、なんだ?


 その間も、アイラは、氷壁に次々と氷の破片を繋ぎ合わせて修復し続けていた。しかしそれも、そろそろ限界のようだ。

 アイラがじりじりと後退し始めたとき、「準備、できました」と、ようやくカレンシアが躍り出た。


夜明けアウロラ!」


 アイラの氷壁が崩れ落ちると同時に、カレンシアが杖を掲げた。


 熱線が〝ならざるもの〟の顔面目掛けて迸る。

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