第75話 ヴンダール迷宮 最下層 ⑥

「正直に言うと、私はこの装置で、リックがカレンシアのことを作り出したんだと思ってた」


 いつの間にか眠っていたイグが目を覚ますまでの間、おれたちは装置の近くで一休みすることにした。ダルムントを装置の脇に運んだあと、各々が隠し持っていた非常食を囲み、迷宮での思い出や、噂話の答え合わせ、それよりもっと下らない、下世話な話なんかに花を咲かせた。そして一周回り、今はまた各々の独白の時間になっていた。


「ということは、やっぱりシアはもう、居ないのか……」


 おれは言ったあと、しまったと思いカレンシアをちらりと見た。


「大丈夫ですよ、続けてください」


 その代わり、と言わんばかりにカレンシアは、アイラが隠し持っていたデーツのコンポートをつまんで口に入れた。


「もう、私の好物なのに……まあいいけど」


 アイラはため息交じりに続けた。


「シアはちょうど、貴方がパルミニアに来たくらいから姿を消したって、知り合いの魔術師から聞いたの」


「何て魔術師だ?」


「貴方も知ってるはずだよ、ティロって宮廷魔術師」


「あの、いつも笑顔の太っちょか……元気にしてたか?」


「もう死んだよ。王都テルムで直接貴方の生家を調べたって言ったでしょ。その時にマリウス・エミリウスに殺されちゃった」


「悪いな、叔父は怒りっぽいんだよ。しかし、姿を消した時期が、おれがパルミニアに来た時期と重なるってだけで、シアが死んだってのは無理があるんじゃないか」


「だとしたらシアとカレンシアは同一人物ってこと?」


「その可能性は十分ありうる」


「それならシアが姿を消した時期と、貴方の元に現れた時期の差に、説明がつかないでしょ。それにティロは、最後にシアに会った時、様子がおかしかったとも言ってた」


「様子って?」


「隠世に堕ちそうな気がしたって」


「隠世か……」


 おれは自分が足を踏み入れそうになったときのことを思い出していた。おれのは外的要因による突発的な事象だったため、片足踏み込んだくらいで抜け出すことができたが、これが内的要因によるものなら、一度踏み入れれば、そうそう浮き上がってくることはできない。シアが、隠世に堕ちたのだとすれば、何が原因だ? 魔術の限界を超えようとして、深淵を覗き込み過ぎたとか? そんな素振りは無かったと思うが……。


「くそったれ、もう少し、確かなことが分かる気がしていた」


 こんな場所まで来て、大した真実も得られない。おれは全く役に立たない装置を眺めながら、つい口に出していた。


「イグが目を覚ましたら、聞いてみる? エミリウス家と、カッシウス家が何を企んでたのか。貴方は両家から、どんな役割を担わされていたのか」


 アイラが慰めるように言った。


「そうだな……」


 イグが今更、本当のことを言うとは思えなかった。聞き出すのなら、ヴンダールの呼吸を戻す前にやるべきだったんだ。もう遅い。おれがジルダリアに――テルムに戻ったとしても、真実には届かないだろう。叔父にうまく言いくるめられて、それで終わりだ。


「これから、どうしましょう?」


 重たい空気を纏った沈黙を、カレンシアが引き裂こうと声を上げた。


 これからのことか……おれは漂う偽りの星空を眺めた。漠然とした風景や回想の中から、ふとニーナの言葉が浮かび上がっていた。悪くない、生活かもしれない。すべて捨てて、ゼロから生きるには、持ってこいな気もした。


「おれは、東世界にでも、行こうかな」


「迷宮探索はもういいの?」


「ああ、少し休みたい。向こうで落ち着いたら、実家に手紙でも出してみるさ」


「私も、付いて行っていいですか?」


 カレンシアが新たな世界を思い描いて、目を輝かせていた。


「当然だ、アイラも来るか?」


「どうしよっかなあ、まあ、まずは地上に戻ってからだね」


 アイラは最後のコンポートをつまむと、ひょいと立ち上がった。


「またあの亡霊の群れを潜り抜けるのか、おそらくイグはもう持たないだろうな」


「亡霊の数は、多少減ってると思いたいけどね」


「みんな無事だといいが……」


 おれも立ち上がった。ちょうど後方にある入口付近で、誰かが立ち上がる音がしたからだ。イグが眠ってから約2時間、仮眠時間としてはちょうどいいくらいの塩梅だった。

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