第73話 ヴンダール迷宮 最下層 ④

 驚愕だった。アイラの杖の青葉が枯れ落ちるのと引き換えに、ただの肉の塊でしかなかったヴンダールの胸が、上下に動き出したからだ。


「こんなことができるのなら、ダルムントのことも助けてくれたらよかったのに」


「そんなにいい魔術じゃないんだよ、これ」


 アイラはヴンダールを見下ろしながら言った。


「呪歌っていうのは、その者の本質を顕現させる魔術だってのは知ってるよね?」


 当然。おれは頷いた。


「私が初めて呪歌を発動したとき、立ち枯れていた周囲の木が一斉に芽吹いたの。もしかしたら命を司る魔術が顕現したと思って、師匠と一緒に大喜びしたんだ。なんせティティア派からこの魔術を持つ魔術師が輩出されるのは、数十年ぶりのことだったし、現存する魔術師の中では私だけになる予定だったから。でも、そんなにうまくはいかなかった」


「君の魔術の本質は、命ではなかったということか?」


「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」


「判明していないと?」


「そんな感じ」アイラは自嘲気味に鼻を鳴らした。


「私の呪歌、というか魔術の本質は、草木までなら命を吹き返すことができたの、でも動物には、大小関わらず一度も成功しなかった。確かにこうやって死体に呼吸をしているように振舞わせることはできる、でも、どの生物も意識を取り戻すことはなかったの。その理由が知りたくて、この迷宮が発掘されたとき、私は帝国側の調査団の一員として名乗りを上げたってわけ、そして貴方に出会った」


「それでおれが、新たな研究対象になったのか」


 アイラは先日の夜のことを思い出したのか、頬を染めながら目を反らし、杖の先でヴンダールを何度か突っついた。


「やっぱり、起きないね。ここなら、何かが変わるかもしれないって、ちょっと期待したんだけどな」


 ヴンダールが起き上がらないのを念入りに確認したあと、アイラは追いやった二人を呼び集めた。


 ※※※


「閣下! 息を――ああ、素晴らしい! アイラ様、ありがとうございます」


 イグは息を吹き返したヴンダールを抱きかかえながら、アイラに感謝の意を示した。おそらくヴンダールが目を覚ますことはないのだろうが、アイラはおれに黙っているよう目配せした。何も知らないってのは幸福なことだ。いや、どうだろうな……。どちらにせよ、奴には当然の報いだ。


「しばらく安静にしてれば、目を覚ますと思うよ」


 白々しくアイラは嘯いた。


「ええ、ありがとうございます。本当に、感謝いたします」


「感謝はいいから、この装置の、起動の方法、私たちにも教えてよ」


「もちろんです」


 イグはヴンダールの体を丁重に床に下すと、義手の方を前に出しながら言った。


「大枠はイリーニャ派の高弟であられるセインティクス殿の推論によって成り立っています。セインティクス殿の観察によると、この迷宮に仕掛けられた魔法則の多くは、ある条件を満たした場合、カレンシア様の魔力と何らかの共鳴を起こすことが多かったとのことです。その共鳴の原因と法則を解明できれば、人為的に迷宮の魔法則を起動させることもできるのではないかということでした」


「ということは、セインティクスは迷宮の根幹法則を解明したってことか?」


「いいえ、それを行うには、時間も労力も足りませんでした。なので私たちはあなた方に運命を託す以外に、別の方法で保険を掛けておかねばなりませんでした。それが、これです」


 どういうことだ……困惑するおれを横目に、アイラは何かに気が付いたかのように、イグの義手をまじまじと覗き込んだ。そしてイグの斜め後方に立っているカレンシアと見比べる。


「え、まさか、この義手……模倣してるの? 他人の腕を?」


「そのような魔法則のアーティファクトだと伺っております。他人の腕を模倣する義手、したがって今は、カレンシア様から採取した血液を媒介に、カレンシア様の腕を模倣しています」


 それを聞いて、アイラは信じられないと言ったようにため息をついたが、魔術師の矜持など持ち合わせていないおれは、不謹慎ながら初めて出会う不思議なアーティファクトに、興味を隠せなかった。当のカレンシアは、憤るべきなのか、おれの興味を惹けていることを喜ばしく感じるべきなのか、複雑な面持ちをしていた。


「つまり、今のお前は、カレンシアと同じ魔術が使えるってことか?」


「そう簡単なことではありません。しかし、この迷宮を少しの間、騙す程度のことであれば、この義眼を併用すれば可能でした」


「要するに、この装置を起動させるなら、カレンシアにやってもらうのが手っ取り早いってことね」


 アイラは言った。イグは、おっしゃるとおりです、と頬を緩ませた。

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