第72話 ヴンダール迷宮 最下層 ③
イグが体に埋め込んだアーティファクトは、おそらくすべて、この時のためのものだったのだろう。これまで多くの探索者らが持ち帰ってきた迷宮の情報と、それを土台にしたイリーニャ派との共同研究によって、〝これ〟を起動させるのに必要な条件を、予め当たりを付けておいたに違いない。
おれは急いでイグを蹴り飛ばした。脇腹にいいのが入ったイグは、数歩よろめいて、その場に突っ伏した。
「ひ、酷いじゃないですか」
イグはのたうち回りながらも、呼吸の合間にへらへらと笑っていた。なぜなら装置は既に稼働し、止まる気配は無かったからだ。
「いったい何をしようとしている?」
おれはイグに馬乗りになり、恫喝した。
「生き返らせるのですよ、偉大なる閣下を」
「閣下だと……お前、まさか」
おれは動き続ける装置を見た。精巧なガラスで作られた、巨大な容器に赤い塊が溜まっていくのが分かった。
「ロドリック、どうする?」
やっと追いついてきたカレンシアと共に、アイラがおれの脇に立ち、装置に向かって杖を構えていた。
「止めろ! 装置は破壊するな!」
おれがアイラを止めようと、イグから目を反らした瞬間、イグが腰を跳ね上げ、おれの股から抜け出した。
「貴方だけ、エゲルの恩恵に預かろうなど、我々が指を加えて黙っていると思いましたか?」
イグが装置の元へ、よろよろと歩きながら言った。
「私の番が終わったら、貴方も好きな人間を生き返らせたらよろしい、その女にしたように」
おれは無意識のうちに、カレンシアに視線を向けていた。目が合うと、彼女はいつものように優しく微笑んだ。だが、本当にその瞳をおれを見ていたのか? そしておれこそ、彼女を彼女として、いつも見ていたのだろうか。
装置が甲高い音を立て、ガラス容器から煙と共に、ドサッ、と何かが倒れる音がした。
「ヴンダール様!」
装置から出てきたのは、まぎれもない、テリウス・カッシウス・ヴンダールその人だった。
テリアと似たすらっとした背の高い風貌、帝国の元老院議員だけが着ることを許される紫色のマント、おれの記憶の中にある最後の姿よりも、ずいぶん頭髪が黒々としているが、それでもその男が、かの偉大なるヴンダールであることに、疑いの余地を挟む者はいないであろう。
「閣下! 私です、分かりますか! 閣下!」
イグは縋りつくように、ヴンダールを抱きかかえた。しかし、ガラス容器から吐き出されるようにして出てきたそれは、懸命なイグの問いかけにも、一切反応を示さず、目を閉じたままだった。
「どうして……そんな」
イグが嗚咽を漏らす。
アイラがなるべく刺激を与えないように、ゆっくりと近づき、イグに抱きかかえられたヴンダールの様子を確かめると、おれに駆け寄り、耳元で囁いた。
「呼吸も、鼓動も、一切してない」
イグはヴンダールの体を揺さぶったり、背中や胸を叩いて、なんとか目覚めさせようとするも、どうにもならないと悟ると、更に嗚咽を漏らしながら、こちらに助けを求めた。
「頼みます、誰か、手を貸してください!」
イグのことは、はっきり言って好きではないし、こうなるまでの過程も鑑みると、助ける義理など無かったが、他人事だと簡単に割り切ることはできなかった。カレンシアも同じ気持ちだったのか、真っ先に駆け寄って、できうる限りの蘇生処置を試みた。
魔術でヴンダールの体を温めたり、心臓を揺らしたり――そのどれもが何の効果も示さなかった。
しかし、そのひたむきな姿勢が、ひとりの魔術師の心を突き動かしたようだ。
「私がやってみる。これで無理なら、そもそも最初から、それは生きてなんかいなかったと思ったほうがいいよ」
アイラだった。
「それで構いません。お願いします」
イグは祈るように床に頭を擦りつけた。
「じゃあ、ロドリック以外は、遠くに離れて。これからすること、見られたくないから」
アイラの言葉に、イグは戸惑った。
「耳と目を塞いでおきます。近くに居させてください」
「条件が飲めないなら、私は何もしない」
イグはまた嗚咽を漏らしたあと、許しを請うようにアイラを何度か見上げたが、最後にはアイラの気が変わる前に、横たわるヴンダールを心苦しそうに見つめながら、しぶしぶその場を離れた。
「カレンシア、貴方も」
「はい……」
カレンシアですら、例外ではなかったようだ。
「おれも、そこらで花でも摘みに行ったほうがいいか?」
ううん、アイラは首を振った。
「貴方はここに居て」
「わかった」
おれはヴンダールを挟んで、アイラの向かい側に腰を下ろした。
「これが私の魔術の本質、貴方にだけ見せるから」
そういうと、アイラは杖を両手で持ち、コツン、と地面に打ち立てた。
それは歌のようだった。小さな声で、囁くように詠唱を紡ぐ。長い長い詠唱だった。
それは誰かの叙事詩のようにも思えたし、ただ愛を歌う叙情詩のようにも感じられた。
辺りは不思議なエーテルに包まれていた。今まで多くの魔術師を見てきたが、こんな間近で、ティティア派の奥義である〝呪歌〟を見たのは初めてだった。
数分ほどかかっただろうか、いやもっとかもしれない。最後に
「これが、私の魔術の本質。そして私がここに来た、本来の理由」
アイラは言った。
「命を司る魔術か――」
そういった使い手が存在するとは聞いていたが、まさかアイラの魔術の本質がそうだったとは。普段使っている魔術は、単に熱を操っているのではなく、これの応用だったのか。
「しかし、おれに知られて良かったのか?」
「言ったでしょ? 貴方に、私の全部を知って欲しいって
アイラは照れたような、それでいて寂し気な顔でおれを見つめたあと、杖の先端を、ドスン、とヴンダールの心臓がある部分に突き立てた。
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