第56話 岐路 ②
「叔父に、協力者がいるとしたら、誰だと思う?」
刃は下ろしたが、おれの手には依然として剣が握られていた。
「協力者……そうだね、貴方を陥れた張本人がマリウスだとしたら、当然、パルミニアでの貴方の動向を監視する必要がある。そのことは、私も考えてた」
アイラは薄く唇を噛んだ。考えをまとめるように少し間を置いて、続けた。
「私は、カレンシアとフィリスが、マリウスの協力者だと思ってた。でも――」
「もっと怪しい奴が、居るんじゃないか?」
「そうね、うん……テリアよ」
やはり、アイラも勘付いていたのだ。ジルダリアに帰るのを避け、パルミニアに戻ったとしても、テリアの庇護下にある限り、何もかもから逃げ切れるわけではないことに。
「おれは、このままテリアの手の平で、踊り続けるつもりはない」
「そんなの、私だって、そうだよ……」
だが、だとしてもどうすればいいのか、アイラでさえ判断しかねているのだ。ジルダリアに行けば王国名門騎士のエミリウス氏族が、帝国に残れば元老院議員の中でも、圧倒的な資金力と実績を持つカッシウス氏族が、それぞれ思惑をもって待ち構えている。もはや世界中のどこへ逃げたところで、彼らの手の届かない場所などないのではなかろうか。
「でも、ロドリック。これだけは約束できる。私は、絶対に、貴方を、裏切らない」
アイラは移ろわぬ瞳でおれを見つめた。奥には押し殺し損ねた不安が見て取れる。だが、これほどまでに、信実に満ちたアイラを、今まで見たことがあっただろうか。自分自身のことでさえ、風に舞う葉のように、軽々と流してしまうのに……おれを見つめるその目は、まるで子を守る母親のようだ。おれはとうとう剣を収めた。
「リンタキスは、単におれを殺しにきたって訳じゃなかったみたいだ」
おれも腹を括る時が来たようだ。今度こそ、心からアイラを信じるんだ。彼女はそれに値するすべてを、おれに示してきただろう。次はおれの番だ。おれはアイラの瞳に灯る疑問に答えるため続けた。
「すまない。今まで黙ってたが、リンタキスから、フィリスから預かった手紙を見せられた。そこにはテリアと叔父がグルだという証拠と、テリアが今までに行った悪行が記されていた。どうやらフィリスの調べでは、ポラフ姉弟を餌に、おれの行動を裏から操っていたのは、テリアだったらしい」
アイラが小さく頷くのを見て、おれは続けた。
「手紙の中には、叔父がテリアに宛てたであろう文面もあった。その文面だけを見るに、叔父はテリアに、シアをジルダリアに速やかに帰すよう、強く迫っていた」
「つまり、マリウスとテリアは、協力関係にあったかもしれないけど、現在もその関係が続いているとは限らないし、双方の目的が同じ方向を向いていたとも限らないってことね」
アイラは僅かな希望を感じたのか、表情を緩めた。
「今まで不安だったよね、ロドリック、話してくれてありがとう」
「感謝は行動で示すもんだ」
アイラが微かに笑った気がした。おれは近づき、彼女をそっと抱き寄せた。
「もっと早くに、こうしてもらうべきだった」
アイラはおれの背中に冷たい手を回しながら言った。
おれは、どうするべきだったのだろう。実際彼女を抱きしめたのは、愛情半分、残りは現実から目を背けたいという気持ちからだった。少なくとも抱きしめている間は、彼女の瞳に映る死の予感から目を背けることができるし、耳元で互いの吐息を確かめている間は、警鐘を鳴らすエーテルの囁きを、無視することができた。
しかしさすがアイラだ。おれの心音から、微かな筋肉の震えから、彼女はおれよりも、おれのことを理解する術を心得ているのだろう。
「もしかして、今、エーテルの囁きが聞こえた?」
おれは何も応えなかった。ただ彼女がどこへも行かないように、回した腕に力を込める。
「大丈夫だよ。未来ってのはすべて決まりきった一本道じゃなくて、無数にあるものなの。エーテルの囁きが聞こえる人を、私は他にも知っているけど、逆らったって必ずしも破滅の道に向かうわけじゃない。それに私は、そんなに簡単に死ぬほどやわじゃないし、なんなら貴方のことだって、守るくらいわけないよ」
「いつまでも、守られるだけの男だと思うなよ」
強がりも、むなしい。何度もおれを救ったはずのエーテルの囁きを、今ほど憎らしく感じたことはなかった。
「一緒にパルミニアに帰ろう。テリアのことは私に任せて。必ず、彼女も私たちと同じ土俵に引きずりおろしてあげる。それまでは、テリアに従う振りをするの」
おれはアイラの首筋に冷えた鼻先を押し当てながら、弱弱しく頷いた。
「そうと決まれば、早くニーナとカレンシアに事情を説明しないと、あの子たち、貴方のこと、街はずれの海岸でずっと待ってるよ」
アイラが身をよじらせた。月が翳り、強く吹いた潮風にランプの灯が眠りについても、おれはまだ、この手を放すつもりはなかった。
「もう……」
根負けしたアイラが鼻にかかるような吐息を漏らす。
「ねえ、私、誰かに自分のこと、こんなに知ってほしいと思ったの、初めてだよ」
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