第55話 岐路 ①

「まだ、ここに居たんだ」


 そろそろ出発しようと外套の襟を立てたところで、後ろから声をかけられた。おれはやにわにランプを掲げると、揺れる光で声の主を捉えた。


「来たのが私で、驚いた?」


「こんな夜更けに、背中から突然話しかけられれば、誰だって驚くさ」


「単に驚いたってだけじゃない顔、してたけど?」


「気のせいだろ。それより、こんな夜更けに、何か用か?」


「それ、こっちの台詞だよ」


 自分の行為を棚に上げたようなおれの言い分に、アイラは呆れたように笑い、乾いた笑みを張り付けたまま、目を少しだけ伏せた。


「もしかして、これから出発するつもり?」


「……なんのことだ?」


 心臓が脈打ち、体に緊張が走る。取り繕うように平静を装ったが、自然とおれの体は左足を下げていた。気づかれていたのか? まさか、だとしたらいつから?


「街はずれの海岸に用意した船、なかなかいいじゃない。あれならジルダリアまで行けそうだね」


 おれは何も応えず、じっとアイラの様子を観察していた。敵意があるようには見えない。周囲のエーテルにも、不自然な動きは見られない。アイラは続けた。


「ニーナも演技派だね、まるで貴方と喧嘩別れして、離れるために奔走しているように見せかけて、実際は貴方とジルダリアに逃げるために動いていたんだから」


「だとしたら、どうする? テリアにでも言いつけるか?」


 おれは既に緊張を隠すこともなく、臨戦態勢とも言える状態に入っていた。この距離なら、アイラが魔術を生成するより先に、おれの装剣技がアイラの障壁を破る方が早い。


「そうだね、どうしよっかなあ」


 アイラはそのことを分かっているのか、呑気な表情を浮かべたまま、あろうことか、更におれとの距離を縮めてきた。おれは思わず外套で隠していた剣を抜いた。手に持っていたランプが地面に転り、光が暴れる。


「私が泣いて、行かないでって懇願すれば、考え直してくれたりする?」


 むき出しの剣身に、アイラは自らの命を差し出すように、首を近づけていた。


「君はそんな女じゃないだろう、そもそも一度はおれの元を離れて、どこの馬の骨とも知らない男と、突然出ていったんだ。今更おれがどうしたって君には関係ない」


「まだあのときのこと根に持ってるの?」


「当然だ、すべての歯車が狂いだしたのは、君が居なくなってからだった」


「違う、貴方が変わってしまったから、私は居なくなったの」


「おれが……変わった?」


 アイラの言葉を反芻しながら、おれは彼女が去った頃のことを思い返していた。あのとき、何があったっけ? おれは何をしていた?


「おれの記憶が欠損しだしたのは、そのときからだってことか?」


 アイラは曖昧に首を振った。


「違和感を感じたのは、もっと前、貴方が第7層から帰還して、ジルダリアに帰って、戻ってきたころから」


「燈の馬を、追放された直後か?」


 おれは拙い記憶を辿る。あの日、探索に失敗し、燈の馬を追放された時、休養もかねてジルダリアに帰ったのは覚えている。久しぶりにシアに会い、進捗状況を叔父に報告して、一週間ほど滞在したはずだったが。


「そうよ。ジルダリアから帰ってきた貴方に、ふと違和感を感じたの。ニーナは四六時中貴方と一緒だったからか、却って気づきにくかったみたいだけどね」


「どこに違和感を感じた?」


「貴方、焦っていたの。第7層に行く直前までは、何かに追われるように、迷宮に潜り続けてた。でも、ジルダリアから戻ってきた貴方は、妙に清々しいっていうか……飄々とした雰囲気だった」


 気が付けば、おれは剣を下ろしていた。アイラが転がったランプを拾い上げ、石碑を照らした。やはり何も記されてはいない。


「燈の馬から追放された貴方は、皇帝派のフィリスと縁を切ったことを理由に、元老院派だった私に助力を求めてきた。他にも放浪していたダルムントを誘い、ニーナを燈の馬から引き抜いて……私はてっきり、貴方は新たにチームを組み直して、もう一度、迷宮の深層に挑むつもりなんだって思ってた。でも、貴方はジルダリアに帰る前にはあれだけ固執していた深層に、なぜだか見向きもしなくなっていた」


「その原因がジルダリアにあると?」


「そう。そして私が貴方の元を離れたのは、ジルダリアで貴方の身に何が起こったのか、確かめるためだった」


 アイラはまるで記された碑文を読むかのように、石碑を見つめながら続けた。


「王都テルムにある貴方の自宅や、関係しそうな施設をいくつか回ったの。知り合いの魔術師の協力もあって、あとちょっとで真相がわかりそうだったけど、結局マリウス・エミリウスに邪魔されて、それは叶わなかった」


「叔父に?」


「ええ、協力してくれた知り合いは、マリウスに殺された。私は何とかパルミニアまで逃げ帰ったけど、結局貴方の異変に関する正確なことは、分からないままだったってわけ」


 おれは馬に跨り、槍を片手に戦場を駆ける、叔父の姿を思い浮かべた。老いてもなお、衰えを知らない正真正銘の戦士の姿に、おれですら身震いした。


「推測になるけど、私はやっぱりマリウス・エミリウスが、貴方たちに何かをしたんじゃないかって思ってる」


「目的は? 叔父がおれを陥れる理由がない」


「理由はあったんじゃない? 覚えてないだけで」


「つまり君は、叔父が何らかの目的をもっておれとシアの記憶を消し、パルミニアに送り込んだって言いたいのか?」


「そうだよ。だから、貴方は絶対にジルダリアに帰っちゃだめ」


「叔父に直接問いただしたほうが、話は早い」


「マリウスがちゃんと答えるとは思えない。それどころか、すべてがまた、振り出しに戻っちゃうかもしれない」


 アイラはかぶりを振りながら、おれを見つめた。


 おれには、アイラが嘘をついているようには、どうしても見えなかった。それに彼女の主張は、フィリスからの手紙の内容とも合致する。


 しかし、フィリスの手紙にはもう一人、注意すべき人物が記されていて、アイラの行動はまるで、そいつの肩を持っているかのようにも見えた。

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