第51話 帰路 ⑥ 

 カッシウス浴場を通り過ぎようとした辺りで、ようやくダルムントと、騾馬に引かせた2台の荷馬車が追いついてきた。麗しい女性たちは、その頃には旅路を存分に楽しむ方法を心得たようで、天井の帆をすべて開け放ち、身を乗り出して景色を楽しんだり、近年稀にみる暖冬の陽光を味わったりして、各々自由気ままに過ごしていた。


 おれはというと、既に御者ごっこに飽きが訪れ始めており、今更ながらイグとダルムントに倣って、素直に鞍に跨っていれば良かったと後悔し始めていた。

 景色が大きく変わったのは、アーリオの丘を下りきった頃だった。街の喧騒は遠のき、街道の脇には収穫を終え、ややすっきりとしたオリーブの木々が目立ち始めた。


「雪が、降ったのでしょうか」


 カレンシアがいつの間にか、キャビンから身を乗り出し、御者席に座るおれの隣に体をねじ込もうとしていた。


「危ないぞ、落ちるなよ」


 おれは手を貸して、カレンシアを引き上げる。


「ここは、ちょっと寒いですね」


 御者台に座るとカレンシアはフード付きの、毛皮のコートを頭まですっぽり被って笑った。暖冬とは言え、パルミニアの冬はジルダリアに比べると幾分か寒い。しかし、だからといって積雪するほどかというと、そんなことはなかった。


「ちなみにあれは雪じゃない、肥料だ」


 カレンシアが雪だと勘違いしたものを指して、おれは言った。それはオリーブの木の根元に撒かれた肥料だった。この時期になるとオリーブ農家は、牡蠣殻を砕いた白粉の様な肥料で、オリーブの根元を彩り出す。さながら名残雪ってところか。おれの説明を聞いたカレンシアは、目を輝かせた。


「当然ですけど、迷宮の外にも、世界は広がっているんですね」


「未だに果てが見つかってないくらいには、広大なんだとさ」


「へえ、それじゃあ、ずっと一緒に、いろいろなところを旅しても、飽きることないですね」


「そうかもな」


 おれはオリーブ畑の間を、真っ直ぐに伸びる街道を見つめた。この道はドマノ港に着くと、そこから更に南と北に進路を分ける。北は北方諸国、南はジルダリアまで続いている。どちらへ向かったとしても、カレンシアはおれに付いて来るつもりなのだろう。だとしたら、いつまで目に映る世界に、希望や喜びを抱いたまま、向き合っていける? 彼女だけじゃなく、おれ自身もだ。


「冷えると体に悪いぞ、そろそろキャビンに戻れ」


「はい」


 くしゃみをしたカレンシアを気遣って、腕を支えながらキャビンに戻すと、転がるようにキャビンに飛び込んだ彼女と入れ替わるように、イグが御者台に馬を寄せてきた。先ほどまで顔色が優れず、しがみつくように馬に跨っていたが、ようやく調子を取り戻したらしい。


「どうですか、娘たちの調子は」


「上々だ。そっちこそ、もう大丈夫なのか?」


「ええ、ご心配なく」


 そのアーティファクトのせいだ。片目は惜しいが、命には代えられないだろう。その言葉が喉まで出かかったが、今更イグの覚悟に水を差すような真似をするのも野暮だと感じ、おれは言葉を飲み込んだ。


「休暇が終わったあとの、探索計画はどうする?」


 代わりに出てきたのは、仕事の話だ。休暇中に仕事の話とは礼儀に欠けるが、そもそも休暇を取りたいと言い出したのはおれのほうなのだから、問題ないだろう。


「第6層の亡霊は、現状魔術でしか対抗できないという主張に関しては、おおむねテリア様も理解しておられます」


「つまり、リンタキスの代わりが務まるくらいの魔術師は用意できると?」


 半端な魔術師では足手まといになるだけだ。現在フォッサ旅団に所属している魔術師の中で最も腕が立つのはソニアだが、それでも第6層の亡霊を相手に、障壁を維持できるかというには疑問が残る。となると、どこからそれ以上の魔術師を手配してくる?


「人材の用意は既に出来ています」


 イグは澄ました表情で言った。


「そりゃ誰だ? 少なくともおれの知る限り、探索者でアイラやカレンシアに匹敵する魔術師なんか居ないだろう」


「何をおっしゃいます。いるではないですか、ロドリック、貴方も良く知る人物です。交渉は既に成立しています」


 その口ぶりに、一瞬フィリスの顔がよぎったが、彼女が今更パルミニアに戻ることはないし、ましてやおれの味方に付くなど考え難い。だがほかに思いつく相手も居なかった。


「心当たりがないな」


 しばらく考えて、おれは首を横に振りながら、降参の意を示した。イグは相変わらず澄ました表情のままだが、おれが全く答えられないのを見て、少し満足気に顔を引き攣らせた。これが今の、奴にとっての笑顔だった。


「ハリード様ですよ。キルクルスのリーダーの。テリア様のお力添えで、協力してくださることになりました」


「ハリード……そうか、そういうことか」


 おれは燈の馬との全面戦争のときに見た、得体の知れない魔術師の姿を脳裏に呼び起こした。あのとき、あいつは確かに〝鳥花ストレリチア〟を使用していた。あれが見掛け倒しのものじゃなければ、もしかすると第6層突破の糸口を掴めるかもしれない。


「私も含めて、カッシウス家に残された時間は、それほど多くありません。テリア様のためにも、そしてロドリック、貴方自身の為にも、必ず迷宮を踏破しましょう」


 イグはそれだけ言い残すと、先導役に戻るため、脚を入れて馬を走らせた。おれは何も応えられなかったことに呵責を感じながらも、今からパルミニアに戻るつもりにもなれなかった。

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