第49話 帰路 ④

 迎えの馬車が来たのは、ニーナの部屋で遅めの朝食を取った後だった。


「はあ、本当の話だったのね」


 薄く開けた窓から、集合住宅の前に並ぶ馬車と、大量の奴隷の姿を確認するや否や、ニーナは深いため息をついた。


「ドマノ港へ旅行? どうしていつもこんなに突然なの? 私、何の用意もしてないわ」


「だから昨晩、言ったじゃないか」


「いつもの冗談だと思ってた!」


 ニーナは古い背嚢を引っ張り出し、ふくれっ面で化粧品やら衣類やらを詰め込み始めた。なんだかんだと文句を言いながらも、ちゃんと付いて来るつもりらしい。おれはニーナの華奢な背中を抱きしめながら言った。


「必要なものはすべて、テリアが用意してくれてる。おれたちは手ぶらで構わないんだ。なんなら財布だって必要ない」


「どうだか」


 ニーナはおれを振り払うと、金庫に隠してあった装飾品を次から次へと、腕や首につけていく。


「まさか、出ていくつもりか?」


「旅行先で貴方のことが嫌いになったら、いつでも離れられるように準備してるだけ」


 てっきり昨晩のうちに仲直りできたと思っていたおれは、ベッドの上に腰を落とし、台風のようなニーナの怒りが、ただ過ぎ去るのを待つしかなかった。


「ロドリック、準備のほうはどうですか?」


 扉が控えめに叩かれた。次いで聞こえたのはイグの声だった。


「こっちは、まあ、もうすぐ、かな?」


「そろそろ出発しませんと、夜までの到着に間に合わなくなります」


「すぐ行きますから、ちょっと待っててよ!」


 ニーナが苛立ちを抑えきれずに叫んだ。部屋中の貴重品を、まるで日頃の怒りを発散させるかのように、次から次へと背嚢に放り込み、そして最後はその背嚢をおれの足元に放り投げた。


「さっさと持ってよ! 出発するんでしょ!」


 おれは慌てて背嚢を拾い上げると、脱兎のごとく部屋を出た。

 階段を駆け下り、馬車や荷馬車の周囲で慌ただしくしている奴隷たちを縫って、路肩に止まっている4頭建ての、最も豪奢な馬車へと飛び乗る。


「あれ、ずいぶん荷物、多いね」


 馬車には先客が居た。アイラだ。興味津々の目でおれが持ってきた背嚢を眺めている。


「アイラさんの隣に置いたらどうですか」


 その向かいにはカレンシア、おれの背嚢をアイラの隣、空いた座席の上に置くよう促すと、自らは僅かに横に詰め、おれが座り安いように広く空間を作った。


「大丈夫ですか? なんだか、疲れてます?」


 おれがビロード張りの背もたれに体を預け、額に滲んだ冷や汗を拭うと、カレンシアが心配そうに顔を覗き込んだ。


「まずまずってとこだ」


 一息つくと、急に喉が渇いてきた。周囲では、荷馬車に積み込む物資の最終確認を行っているのだろう、騒がしく、まだ出発までには多少の猶予が残されているように感じた。

 おれは馬車の扉を開けた。そこらを駆け回っている奴隷を呼び止めて、葡萄酒でも持たせようかと思ったのだが、それは叶わなかった。真っ先に目が合ったのは、集合住宅の玄関から出てきたばかりのニーナとだったからだ。


 彼女は小走りで、馬車までやってくると、キャビンの中を不機嫌そうに一瞥し、おれのところで視線を留めた。


「私の座る場所は?」


 言わんとすることは容易に理解できた。馬車は4人乗り、そのうち1席は荷物で塞がれている。


「分かった、分かってるさ、どけばいいんだろ」


 おれは席を立った。名残惜しそうなカレンシアの瞳を感じると、一瞬荷物を投げ捨ててやろうかとも思ったが、これ以上ニーナの機嫌を損ねる勇気は無かった。おれは大人しくキャビンから降りた。


 外は物珍しさに足を止める通行人も相まって、中々の騒ぎになりつつあった。探索者が多く詰めるこの集合住宅群に、これほどの奴隷と馬車が集まることは滅多にない。

 近くの街路樹に留められている、いかにも神経質で速そうな馬たちが、もう駆け出したくて地面を何度も搔いていた。おそらくは警ら用に準備した馬だろう、その脇にイグとダルムントが立って、何やら話し込んでいた。


「やあ、ロドリック、これで全員揃いましたね」


 おれに気づくとイグが手を上げた。


「女どもに、馬車を追い出されちまった」


「やはり、3人同時に関係を持つというのは、貴方でも難しいことでしたか」


「どうすればいい? 奴隷と一緒に荷馬車に乗るのはごめんだぞ」


「その心配は要りません。もちろん、馬は乗れますよね?」


「当たり前だ。おれを誰だと思ってる」


「それなら一緒に馬で行きましょう。ダルムント様も、それで構いませんか?」


 ダルムントは頷いて、繋がれている馬を見た。


「一番でかいやつは、俺が乗る」


 馬の気持ちを考えても、それが無難だろう。さて、だとしたらおれはどの馬に乗ろうか。


 落ち着かない馬たちと、積んでいる鞍の質感を見定めていると、ふと視線が馬車を引く馬に留まった。ひらめきが、降りてきた。


 おれは足早に馬車に近づくと、御者台へ飛び乗った。手綱を掴んでいた奴隷が、目をぱちくりさせている。


「交代だ、お前は荷馬車で休んでいていいぞ」


 おれの気遣いに、奴隷は目を見開いたまま何か喚いていたが、訛りが酷くて、全く聞き取れなかった。仕方がない。おれは丁重に奴隷を御者台から蹴り落とすと、イグがよそ見している隙に、手綱を振るった。


「お嬢様方、しっかり捕まってろよ!」


 4頭立ての馬車が嘶きを上げ、走り出す。


「ロドリック! 待ってください!」


 イグがおれの蛮行に気づき、喚き声を上げた。集まっていた通行人が、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。


「先に街の外で待ってるぞ! お前らも警備隊が、賄賂の臭いを嗅ぎつける前に街を出ろよ!」


 おれは大通りに出たのを確認し、更に手綱を振るった。

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