第37話 ヴンダール迷宮 第6層 二日目 ③
早くに父親や兄を亡くしたおれにとって、叔父の存在は正に父親同然だった。本家の家長であり、なおかつ優秀な騎士でもあった叔父は、いつだっておれの憧れの人で、導き手でもあったのだ。
ただ、おれが叔父に懐けば懐くほど、母は複雑な表情を浮かべるようになっていった。自らが愛した男の、生きた証が消えてしまうような気がしたのかもしれない。だが金銭的にも社会的にも、叔父が我が家の庇護者であるという事実には抗いようもない。結果、母は亡くした夫と叔父を相補的に捉え、ことあるごとに二人の偉大さをおれに謡うようになった。
しかし、幼いながらもおれには分かっていた。手を伸ばせば届き、呼びかければ応じる叔父と違い、いくら叫んでも父や兄たちはもう二度と、おれの前に姿を現すことはないのだと。
「どうした? 怖いのか」
葡萄園に立ち込める朝霧の中、どこからか聞こえた唸り声におれがおののくと、叔父が前を向いたまま話しかけてきた。
おれは何も答えなかった。正直に怖いと言えば失望されるような気がしたし、だからと言って強がってみせるには、おれはまだ物言わぬ兄たちの姿を脳裏にこびり付けたままだった。
「ロドリック、よく聞け」
一歩も前に進めなくなったおれに対し、叔父は声を潜めながら語った。
「今、向こうから声が聞こえただろう? 声の主はなんでもない野生動物が、葡萄を盗み食いしようとしているだけかもしれないし、見たこともない妖精種が、俺たちを食い殺そうと狙っているのかもしれない」
深刻そうな顔をした叔父の指を目で追って、おれは身震いした。霧の向こうに、何か得体の知れない大きな影が、今も揺れ動いている気がした。兄たちを八つ裂きにした妖精種が、おれのことを迎えに来たのだと。
「だが、ここで怯えているばかりじゃあ、状況は好転しない。つまり、こういうとき、どうすればいいかわかるか?」
かぶりを振るおれの頭を撫でながら、真剣な顔つきから打って変わって、にやりと唇を歪める叔父。
「確かめに行くんだよ」
叔父はそう言うとスタスタと唸り声が聞こえた方向へ歩き始めた。おれはその腕を掴んで恐る恐る付いてゆく。青々と茂った葡萄の木々を掻き分けると、おれたちの存在に気が付いた唸り声の主が、葉擦れを立てた。
「ほらな」
叔父はいつの間にか剣を抜いていた。切先に居たのは服の乱れた一組の男女だった。おそらくは奴隷か何かだったのだろう。叔父は葡萄園の所有者として、男女の勤務懈怠を咎めると、簡単に罰を与えて解き放った。
「大した事なかったろ」
呆気にとられているおれに、叔父は先ほどとは違う、暖かな笑みを向けた。
「実際、直面している現実のほとんどは、こんなもんさ。不必要に怖がる必要なんてない」
父や兄の一件から、消極的になっているおれを何とかしてやろうと、叔父なりに考えてのことだったのだろう。
「ロドリック、お前はこれから先、様々な場所へ行くんだ。南はアルヴニアから、北はセプテリアまで、誰も行かなかった場所へ行き、誰も見つけられなかったものを探せ。先代のロドリックも、四騎士の中では唯一、ジルダリアに骨を埋めなかった。ロドリックの名を継ぐエミリウス家の男は、ずっとそうして生きてきたんだ」
しかし、その言葉に、おれは酷く落ち込んだのを覚えている。
今でこそ、自由な生き方を尊重してくれる叔父には感謝しかないが、当時は暗に要らない存在として厄介払いされようとしているのだと、自らの人生を、そしてロドリックの名を呪いもした。おれはただ、母親や叔父と静かに暮らしていければいいと思っていた。
「顔を上げろ、ロドリック」
叔父はおれの頭を撫でながら、遠くを指して言った。
「エミリウスの男は前を向くんだ」
朝霧はまだうっすらと、遠くそびえる山々を覆い隠してはいたが、これから晴れるのだという予感はあった。山の向こうにはいくつかの都市があり、その更に先には帝国領が広がっている。
「お前はあの山の向こうで死ぬ。パルミニアの地下深く、古の王たちの墓場でな」
おれは耳を疑った。
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