第38話 ヴンダール迷宮 第6層 二日目 ④

「おい、しっかりしろロドリック、俺がわかるか?」


 頬を叩かれ、おれは飛び起きた。


「リンタキスか……?」


 目の前に居たのはリンタキスだった。周囲は未だ霧に包まれており、おれは奴の言っていた注意事項のことを思い出し、しまったと口をつぐんだ。


「心配するな、呪歌は解除されない」


「やっぱり、注意事項ってのは嘘っぱちだったか」


 おれは失望して見せたが、魔術師が進んで自らの魔術のタネを明かすわけがないとは思っていた。


「そういうな、悪意があって騙そうとしたわけじゃないんだ」


「だったらどうしてこんなことに? 他の皆は無事なのか?」


「霧の中で仲間たちがはぐれるのは、お決まりの展開だ。だが心配いらない。呪歌が続いている間は仲違いでもしない限り無事だから安心しろ」


「合流する方法は?」


「霧が晴れたとき、大切な者は思ったより近くに居たのだと気付くもんだ」


「そうか、だったらおれは好きにさせてもらう」


「まあそう急ぐなって、もう少しだけ話をしようぜ」


 リンタキスは立ち上がろうとするおれの肩を掴んで止めた。


「なんだ? 恨みつらみなら後にしてくれ、もし愛の告白だったのなら今のうちに丁重にお断りしておく」


 おれはリンタキスの手を引き剝がすと、触られた部分を丁寧に払いながら言った。


「馬鹿なこと言うな、俺はただ、あんたがフィリスと、なぜ敵対したのか知りたかっただけだ……」


 リンタキスはバツが悪そうに目を伏せた。おれはこの男から突然フィリスの名前が出たため、少なからず驚きを隠せなかった。まさかリンタキスはフィリスの関係者だったのか? おれと二人きりになったのは私怨によるものか? だとすると、下手なことは言うのは避けた方が良さそうだ。


「あれはあくまで燈の馬とフォッサ旅団の問題だ。少なくともおれ個人は、フィリスのよき友人のつもりだった。その気持ちは今でも変わらない」


「だったらなぜ友人としてフィリスに加勢してやらなかった。あんたがフィリスの味方になってやっていれば、フィリスは負けたりすることはなかった」


「そうかもな、だがそのフィリスの命を救ったのもおれだ。決闘で殺されそうになったフィリスの助命を乞い、帝国にその身柄を引き渡した。お前にはわからんかもしれんが、深い仲にある男と女ってのは、時おり喧嘩もするもんだ。それでも最後はかならず元の鞘に戻る」


「その言葉、フィリス先生が聞いたら喜ぶかもな……」


 リンタキスは微かな笑みを浮かべたが、その瞳はもっと複雑な心境を映していた。フィリス先生と言ったか、聞き間違いではないとすればこいつの正体は……。


「お前、もしかしてフィリスの弟子か?」


 リンタキスは小さく頷く。おれは奴をまじまじと見つめた。風貌はどうみてもおれと同年代ってところだが……フィリスはそれよりも上ということか、女の年齢ってのは見た目じゃ分からないもんだ


「先生は、俺が二十歳の頃から全く変わっていない」


 視線に気づいたリンタキスが、誰の名誉のためにか知らんが補足した。


「お前と決別して、帝国へ帰ってきた後もだ。何も変わってなんかいない」


「そうか、元気でやってるならよかった」


 期待と違うおれの態度に、リンタキスは張り詰めた空気を抜くようなため息をつくと、諦めたかのように首を振りながら、懐から何かを取り出した。


「フィリス先生からあんたへ、これを預かっている」


 それは一通の手紙だった。差出人はもちろんフィリス。


 魔術で固めた蝋は、おれが手紙に触れたとたんひとりでに外れた。

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