第61話 エピローグ ②
「もう、ほんと昔っから、危なっかしいんだから」
そう微笑むアイラの眼差しは、どことなく母という存在を思い起こさせた。おれがまだ幼い頃に亡くなった母親。生きていれば、今でもこんな風におれをおちょくって慈しんでくれたのかもしれない。あるいは唾を飛ばしながら罵っていたのかも。どちらにせよ居なくてよかった。
おれは体制を立て直すと、乱暴にアイラの手を振り払い、ため息と共に近くのスツールに座り込んだ。ケツが生暖かい、こいつ、さっきまでここに座ってたのか。部屋が妙に懐かしく感じたのも、アイラの姿を認識できなかったのも、きっと何かの魔術がこの部屋に仕掛けられていたのだろう。それにおれはまんまとひっかかった。いや、おれだけじゃないな。
「もう、ごめんって、不貞腐れないでよ」
おれは何も答えなかった。言いたいことは山ほどあった。だがなぜか質問の回数は限られているようにも感じた。いくつかの疑問に答えたら、アイラはまたどこかへ行ってしまうのではないか? だから何から尋ねるべきか、おれは慎重に考えを巡らせていた。
「おーい、聞いてる? 怒らないでよ。良かったじゃない、決闘には勝てたんだから」
「君が横やりを入れたんだろう? 最後、カレンシアだけではフィリスのアーティファクトを突破できなかったはずだ。どうしてカレンシアに肩入れした? フィリスは君にとっては同門出身で、しかも元同僚だろ?」
「別に、フィリスとは昔から、そんなに仲いいってわけでもなかったし」
「だからって、こんなやり方でフィリスを陥れる理由にはならない。フィリスは帝国でも有数のお抱え魔術師だぞ、正々堂々打ち倒したならまだしも、こんなやり方、帝国が黙っちゃいない」
「普段は悪ぶってるくせに根は小心者なんだから。大丈夫、こんなの黙ってれば、ばれないもんだよ」
アイラは窓際に立ち、広場を眺めながら続けた。
「なんせカノキスはお偉いさんを守るのにかなりの集中力を割いてたし、ほかの魔術師も私の部屋を認識すら出来てなかったし」
言いながら、キルクルスのリーダーが居た柱廊を指した。
「気づいていたのはアイツと、フィリスくらいのもん」
おれは目を見開いた。キルクルスは百歩譲って味方だと考えても、当のフィリスにばれてしまったのはかなり不味いんじゃないか? だがアイラは見透かすような目でおれを嗤った。
「フィリスは何が起こったのか、もう思い出すことはないよ」
そう、それがカレンシアの使う、黒い魔術の効果だ。薄々はおれも感づいていた。そしてアイラの言葉を聞いて、それは確信に変わった。
「最初、カレンシアに会ったとき、君が彼女を殺そうとしたのは、それが理由か?」
「まあ、そうとも言えるかな」
「だったらいよいよ、おれには君って人間が理解できないな。突然いなくなって、図ったように現れたと思ったらカレンシアを殺そうとして、なのに今日は命を救った。いったい何が目的なんだ? 君はおれの知らない何を知ってる?」
「さあ? 私も全部を分かってるわけじゃない。でも、ひとつだけ自信を持って言えるのは、私はいつだって君の味方だってこと」
「説明になってない」
おれはスツールを壁際に動かすと、壁にもたれるように目を閉じた。もう何も聞きたくないし、考えたくもなかった。
「カレンシアの正体、そろそろ貴方も感づいてるんじゃない?」
「まさか君も、彼女がシアだって言いたいのか」
目を開いても、これは夢ではなかった。アイラはそのまさかだと言わんばかりに、眉を上げた。
「フィリスは人の内包する魔力を見る。そして魔力ってのはひとりひとり、全く違う色合いをしてるんだって。カレンシアとシアが別人なら、フィリスはそれに気づけたはずよ」
「だからフィリスの発言を信じろってか? 仮に彼女の言うように、カレンシアとシアが同一人物だとして、どうしておれはそのことに気づかなかった? どうして王都に残してきたはずのシアが、迷宮内を一人でさまよっていた?」
むきになるおれに、アイラが困ったような表情を浮かべる。
「それは、きっともう思い出せないわ」
「どういう――」
そこまで言って、おれは気がついてしまった。あの黒い魔術……おれに使っていたとしたら? そして自分自身にも使えるのだとしたら? カレンシアに記憶がないことも、おれがそれに気づけなかったことも、つじつまが合うような気がした。
「分かっちゃったみたいね」
おれは額に手を当てて、じっと床の木目を見つめていた。どうにもうまく、考えがまとまらない。記憶がないのは、カレンシアだけじゃなかったのか? おれはいつシアを呼び寄せた? なぜシアはその記憶を消す必要があった? 考えれば考えるほど、自分が自分じゃないような気がして、この思考さえ信じられなくなっていく。
「でも、大事なのはそこじゃない。少なくとも私にとってはね」
アイラはゆっくりと近づき、おれの頭に手を乗せた。ひんやりとした手のひらが心地よく、少しだけ気持ちが安らぐ気がした。
「ずっと望んでいた相手が、すぐ近くに居たのよ。何が不安?」
「すべてが」
「幸せじゃないの? 貴方の大好きなシアが傍に居たのに?」
おれは力なく、首を横に振った。
「それが答えよ。私がカレンシアを生かした理由」
アイラはかがんで、おれの顔を両手で掴むと、ぐいっと自分の方へ向けた。
「貴方が求めたものが手に入ったはずなのに、なぜか貴方は求めた幸福とはかけ離れた場所に居る。なぜそんなことになったのか、どうして道を間違えたのか、その理由がきっとあるはず」
「どうすればいい?」
「真実を知る方法は一つだけ。もう一度、第7層へ行くの。貴方が1年前、第7層まで行ったとき、本当は何が起こったのか、何を失って何を得たのか、それを確かめるためにも、もう一度、迷宮の下層を目指すの」
アイラの瞳は希望だらけだった。おれはそれに応えられるのだろうか。おれは本当に真実を、受け入れることができるのか?
「大丈夫、貴方は一人じゃないよ。今度は皆で一緒に、行くんだからね」
「君も来てくれるか?」
「もちろん。今まで離れててごめんね。ここからは、最後まで一緒だから」
最後までか……おれはアイラの冷たい手を握り返しながら、シアのことを思い出そうと必死で記憶を手繰り寄せていた。何度やってもカレンシアとは重ならないそのシルエットに、結局どこまでも失望していくしかなかった。この失望から抜け出すには、アイラの言うとおり、もう一度、第7層へ行くしかないのか。それとも、アイラもまた別の目的があって、嘘でまかせでおれを利用しているに過ぎないのか。
「私は、何があろうと貴方の味方だよ」
おれの心を覗いたかのように、アイラはおれの耳元でつぶやいた。
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