第44話 風と閃光 ⑤

 しかし、先ほどとは一つだけ違うことがある。


 それはソニアがおれの存在を知っていることだ。戦いに臨む前の打ち合わせの際、カルファが念のためにとソニアを同席させたのだが、その行動がここにきて功を奏した形になった。


 おれが窓から飛び出した瞬間、ソニアが僅かに残った魔力で、カルファの亡骸から流れる血液を、矢のように固めてフィリスに飛ばした。

 亡骸からでもその特性を引き出せるかどうかは賭けだったが、どうやらおれたちはその賭けには勝てたらしい。


 カルファの先天属性は水、そして弟子であるソニアも水。その親和性の高さゆえに、カルファの持つ特異な性質を維持したまま、フィリスの障壁に血の矢が直撃した。


 カルファは決して優秀な魔術師ではなかった。彼の師匠は超がつくほどの有名人だったが、その弟子の中で大成しなかったのはカルファのみだった。魔力量も並、魔術の構築センスも平凡。偉大なる師の教えを以てしても、凡庸な魔術師にしかなれなかった理由は、ひとえに彼の持つ特異な性質の中にこそあった。


〝停滞〟


 彼の起伏が少ない性格も、ゆったりとした魔術構築も、第2成長期に伸びなかったその魔力量も、この一言で説明がついた。

 そして数年前、カルファ自身がそのことに気付いてから、彼の魔術はこの辺境とも言える都市国家の中で、人知れず化けた。

 フィリスがおれやソニアではなく、カルファを優先的に殺したのも、その魔術を警戒してのことだったのだろう。


 しかし、カルファの魔術はまだ死んでいない。


 カルファの血液がフィリスの障壁に触れた瞬間――風が淀んだ。


 おれは体重すべてを剣に乗せ、フィリスの頭上へと振り下ろす。


 フィリスはおれに視線を移すが、もうその障壁におれを弾き飛ばすほどの風力はない。カルファの亡霊が、死してなお、愛する弟子を守ろうと、フィリスの細剣に手を伸ばすのが、おれには確かに見えた。


「さすが私の見込んだ男。よくここまで仕込んだわね」


 は? フィリスの声が耳元で聞こえても、おれには何が起こったのか、すぐには理解できなかった。


「今のはちょっとドキドキしたわ。それでも、貴方とベッドを共にした夜ほどでは無かったけど」


 フィリスの笑い声が聞こえる。まさか、避けられたのか? おれは剣を地面に叩きつけた姿勢のまま、首筋にどうしようもない恐怖が滴るのを感じた。

 ひんやりと首に触れるそれが、細剣の切先だと気付くまでに、そう時間はかからなかった。


「何故だ……」


「何故って、何が?」


「おれが死ぬ理由を教えてくれ」


 その言葉に、フィリスが愉悦を帯びた吐息を漏らす。


「分からない? それは貴方が、私より、弱いからよ」


 切先に力が入る。これまでか……最後の運試しに、剣を振り上げて足掻いてみようかと思ったその時――。


 フィリスがため息と共におれから切先を離し、自らの背後に向けた。


 直後、肌を焦がすような熱線が、小路の奥から迫ってきた。

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