心火
第26話 軽率と軽薄
「もし負けてたらどうしてたの?」
ギルド本部のアトリウムでおれを待っていたニーナが、腫れあがったおれの頬に手を伸ばしながら言った。さんざんシェーリやカレンシアにあてこすりを言われたあとだ、おれはもううんざりしていた。
「半日早く昇降装置で帰ってくることになっただけだよ」
現におれたちに負けた燈の馬の連中は、昇降装置で優雅に逃げ帰ったんだ。衆目の中キャンプでやり合うってのは探索者としては御法度の行為だったかもしれないが、お互いの生命に配慮しながら決着をつけられるという面では悪くなかったのかもしれない。
「もういいわ、説教は後でたっぷりしてあげる」
ニーナはおれの怪我の具合や、他の班員の状態を具合を確認しつつ続けた。
「神殿の祭壇を一つ確保してるから、早く行きましょ、今なら全員日の出までに間に合うわ」
「いや……」
おれは一瞬カレンシアに視線を移してしまい、すぐにそれが間違いだということに気づいて取り繕うように言った。
「おれはいい、大した怪我じゃないし。疲れたから部屋で休んでおくよ」
「ダメ、臓腑が傷ついてる可能性だってあるの。後で気付いても遅いんだから」
おれの腹づもりに気付いているのかいないのか、ニーナは引き下がるつもりはないようだった。
「兄貴は今すぐカレンシアさんとしっぽりしたいだけなんですよ」
日ごろから人の感情の機微に無頓着なドルミドが、とうとうフォッサ旅団の中で触れてはいけないとされる、おれとニーナとカレンシアの関係に切り込みを入れてしまった。
周囲の空気が凍り付き、おれは心臓の音が外に漏れていやしないかと、冷や汗をかくほど高鳴っていた。
「あ、いや……今のは、なんていうか、比喩表現ってやつで」
ドルミドが周囲の反応から自分のしでかした事態に気付きごまかそうとする。この反応から分かるとおり、全くの朴念仁という訳でもないところが、逆にドルミドの扱いを難しくしているのだ。こいつは軽率ではあるが、軽薄ではない。金輪際二度と口を開くなと罵るには性根が良すぎた。
「怪我、治すから……」
ニーナは喚いたり、泣き叫んだりするではなく。ただ静かにそう言った。それが余計に凄みを感じさせて、おれは黙って従う他なかった。しかしカレンシアは違った。
「前、ロドリックさんとニーナさんがどういう関係なのかお伺いしたとき、お二人とも何もお答えになりませんでしたね?」
「貴方には関係ないでしょ」
カレンシアの質問に、ニーナが低い声で答えた。
「いいえ、関係あります。だって私、ロドリックさんと寝ましたから」
おれはもうどこかへ消えてしまいたかった。ニーナが光のない空虚な瞳でおれを見つめる。おれは自然と目を伏せた。
「へえ……それで? どうするの?」
いったいニーナは誰に問いかけているのだろうか。誰も何も答えない。張り詰めた雰囲気に耐えられなくなったおれは、顔を上げて誰かこの場を収めてくれそうな奴が居ないか目で探る。
ダルムントはアトリウムの柱に寄りかかったまま目を硬く閉じて、まるで石像のように動こうとしない。スピレウスは何故かこのタイミングで、掲示板に貼らているどうでもいい記事を目で追って我関せずを貫こうとしている。ソニアは軽蔑するような視線をおれに向け、レンはまだシェーリの件で傷心していた。
「私は、ロドリックさんの力になりたいんです」
おれが戸惑っているうちに、カレンシアが何かしらの決着をつけようと動いた。
「貴方記憶喪失なのよね? もし記憶が戻って、自分が別の男と結婚していたことを思い出したらどうするの?」
「そんなこと、ないです……」
「どうしてそんなこと言い切れるの? 何も覚えてないんでしょ」
ニーナの声が震えている。
「理由はわかりません。でも、ロドリックさんと出会ったのは、偶然じゃないことは分かるんです。ずっと昔から彼のことを知ってるような、一緒に居ると、胸が高鳴るのと同時に、懐かしさに安堵するような……」
「私だって、リックと一緒にいるとき、いつもそう感じてるわ」
そう言ってニーナがおれを見た。思うところは山ほどあるだろうが、その感情が頬を伝ったり、声に現れたりすることはなかった。感情的になりやすい彼女にしては珍しいことだが長い付き合いだ、表に出さなくても彼女の心がどれだけ傷つき、翻弄されいるのかは、淀んだ瞳の奥を見るだけで、痛いくらい伝わってくる。
「ニーナ、まだおれのこと、治してくれるか?」
おれは彼女を選ばざるを得なかった。
「さあ、やってみないと、わかんない」
「カレンシア、すまないが今日は――」
おれの言葉を聞き終わる前に、カレンシアが顔を押さえて出口の方向へ駆けて行った。
「あ、ちょっと待って」
慌ててソニアがそのあとを追う。
「そろそろ、神殿に、行かないか?」
ひと段落しそうな頃合いを見計らって、スピレウスが生傷だらけになった班員らを案じるような口調で言った。
「ニーナ……」
ダルムントがニーナの肩に手を置く。
「わかってる。大丈夫」
そしてニーナはダルムントの手をそっと引き離すと、おれの隣にピタリと寄り添い言った。
「私、怒ってないから」
どう見ても怒っているように思えた。
「貴方はもう、私の側から絶対に離れられないから。だから怒ってない」
その言葉は、ここでおれがカレンシアを選べば、他の班員の治療も行わないという脅しからくるものなのか、それとも優秀な治療師を手放すような真似はおれには出来ないという意味なのか。ニーナの意図を明確に推し量ることは出来なかった。しかし、暗喩とは思えないほどの重みを感じたのも事実だ。
「そうあるように努力するよ」
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