第25話 危局 ⑨

「すんません」


 無人の隠れ家を前に、ドルミドが申し訳なさそうに頭を下げた。


「こればっかりは仕方がない、次へ行こう」


 しかしここにも居ないとなると、あの二人は既に燈の馬に見つかり、攫われてしまったのではないかという懸念も生じてくる。南区画の隠れ家は残り一か所、しかも場所は中央区画に直接通じる大通りの近くだという。


「燈の馬と鉢合わせるかもしれませんね」


 レンが言った。


「キャンプ外で、しかも人目のないタイミングなら、戦闘になることも考えられる」


 おれは全員に対し覚悟を決めるよう言った。場合によっては殺し合いに発展する可能性もある。


「戦いになった場合、カレンシアは遠慮なく魔術を使って戦え。ただし相手集団にフィリスが居た場合は全員でキャンプまで逃げるぞ」


 おれの口からまさかそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。カレンシアが疑問を呈した。


「そのフィリスって人、アイラさんより強いんですか?」


 カレンシアの魔力に関しては、特訓と称して記録を取っていたアイラから一部報告を受けている。約ひと月近い特訓の最終日近くには、単純なエーテル支配戦ならカレンシアはアイラを押し始めていたらしい。それもあってか、カレンシア自身も魔術で他者に後れをとることはないという自負があるのだろう。


「強い。少なくとも今の君では絶対に勝てない」


 しかし、フィリスは本来こんな僻地に居てもいいような魔術師ではない。帝国でも屈指の使い手というのは勿論だが、何より対魔術師戦におけるあの女の強さは異常だ。踏んでいる場数もカレンシアとは天と地の差がある。


「いいか、とにかくフィリスとの戦闘は避けるんだ」


 おれは全員に対して言った。ドルミドたちも例外ではない、近づけば勝てるといった魔術師の常識を、あの女はいとも容易く覆すのだ。


 おれの脅しとも取れる忠告のおかげで、南区画最後の隠れ家への道程は非常に遠いものとなった。第4層の街並みが事細かに記された地図を片手に、ドルミドとレンがなるべく人目に付かないルートを選びながら先導する。


 最後の隠れ家に到着したのは、もうあと数時間で第4層の明かりが消えようかという頃合いだった。


 息をひそめ建屋に近づくと、2階から微かに人の気配がする。だが少し様子がおかしい。

 シェーリとテオは既に捕らえられ、中で燈の馬の連中がおれたちを待ち伏せしているのかもしれない。

 おれたちはそのリスクに備え、開くと鈴が鳴ってしまう扉とは別に、数人が隣の建屋から屋上伝いに侵入することによって、挟み撃ちの状況を作ることにした。


 屋上から入るのは身軽なおれとドルミドの二人、ダルムントが扉を開けたのと同時に隣の建屋から飛び移る手筈だった。


 おれとドルミドは構えて、鈴の音を待つ。


「落ちるなよ」


 おれは声をひそめて言った。屋上から屋上の幅は大体2メートルほどだろうか、隠れ家のほうが若干高いことを差し引いても、余裕をもって飛べる距離だ。


「兄貴こそ、無理しないでくださいね」


 ドルミドが顔を引きつらせながら笑って見せた。フィリスが居た場合はシェーリとテオのことは諦めて逃げることになっている。そうなった場合の殿はドルミドの役目だ。


「そうだ、兄貴――」


 ドルミドが何か言いかけたときだった。


 ――チリン。


 小さく鈴の音が響いた。


 おれとドルミドは助走をつけて、隠れ家の屋上に飛び移る。跳躍の飛距離は十分、着地も無事成功、おれは間髪入れずに装剣技で屋上の床に穴を空け、中を覗き込んだ。


 見えたのは驚いたように目を見開くテオと、小さな悲鳴をあげ、抱き合うようにして体を隠すシェーリの姿。


 念のため捕捉すると、どちらも服が――かなり乱れている。


「お前ら、そういう仲だったのか……」


 ドルミドがゴクリと唾を吞みながら呟いた。何が行われようとしていたのかは一目瞭然だった。


「テオ……」


 少し間をおいて階段を駆け上がってきたダルムントが、テオの姿を見て肩を落とした。


「そんな、僕らの、シェーリちゃんが……」


 続いて入ってきたレンも、シェーリの露わになった肩口を前に、嗚咽を漏らし始めた。


 混沌と化す周囲を余所に、おれはシェーリの乳房を覗き見れやしないかと、無意識のうちに目を凝らしていた。


「じろじろ見ないでよ、このスケベ親父!」


 しかし、あまりにも露骨過ぎたのか、あっという間に悪事はバレて、周囲の視線が一斉におれに集まった。


「なんだよ、おれはリーダーだぞ? 文句あんのか?」


「はい、私はあります」


 開き直ろうとするおれに、やけに冷たいカレンシアの声がすぐ近くまで迫っていた。

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