第21話 危局 ⑤

 何が起こったのか分からなかった。


 宙を舞っていた体は、蝶のごとくそのまま空へと舞い上がってくれればいいものを、結局のところ人間は自然の摂理には逆らえない。

 葡萄酒入りのカップが夜更けと共にテーブルから落ちるように、新たな一日の前に月が海へ沈むように、おれの体も衝撃と共に地面にしたたかと叩きつけられることになった。


「ロドリックさん!」


 受身を取り損ねて地面にのたうち回っているおれに、カレンシアの悲痛な叫びが辛うじて届く。ハッと空を仰いだときには、目の前に巨大なブーツの底が迫っていた。

 這いつくばるように地面を転がると、さっきまでおれの顔があった場所に大男の足が踏み下ろされ、土埃が舞った。


 舌打ちが聞こえ、大男と目が合う。


 おれは咄嗟に腕を上げて顔を守る。

 助かったと思ったのもつかの間、次は腹を蹴り上げられて。おれはハルパストゥムのボールのように地面を飛び跳ねながら転がった。


 呼吸が止まり、押し寄せてくる吐き気と冷や汗に耐えながら何とか立ち上がるも、おれはまだ状況が上手く呑み込めずにいた。


 何故こうなった? 大男の左拳を避けながら、腹をぶん殴ってやったところまでは覚えている。


 しかしどのタイミングでおれは窮地に陥った? おれの何が悪かった? いや、どの攻め手をんだ?


 相手は先ほどと同じようにガードを固めてジリジリと詰め寄ってくる。おれはその分だけ後ろに追いやられていた。


 相手はおれのことを知っていて、こうやって対峙する覚悟も決めてきていたのだ。おれはそのことに、もっと注意を払うべきだった。


 おれは浅く息を吸い込み、大きく吐く。


 呼吸で痛みを少しだけ紛らわせたあと、後ろに下がるのをやめた。


「ダルムント! やれ!」


 そして叫んだ。


 同じ轍を踏むつもりはない。


 おれは大男が後方に気を取られた隙に、腰から取り出した小ぶりのナイフを振りかぶった。

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