第7話 淑女の思惑 ⑤

 屋敷を出ると、傾き始めた陽がオドコスタの監視塔に近づき始める頃合いだった。


 パルミニアは短い夏の後、堰を切ったように秋の気配が押し寄せてくる。

 陽の入りは日を追うごとに早くなり、大通りに植えられた街路樹は一斉に黄色く染まる。郊外に出れば熟した葡萄の香りが鼻をくすぐり、首を垂れる麦穂の輝きが目を留める。

 夏の蒸し暑さがまるで嘘だったかのように、過ごしやすい日々が人々の心を豊かにしていく。


 しかしそんな実りの中にあっても、おれの心は今揺らいでいた。それはテリアのせいでもフォッサ旅団の幹部どものせいでもない。今、目の前に立っておれを見つめる女が原因だった。


「どうした? こんなところで」


 集合住宅の入口前の階段に座り、今にも泣きそうな顔を上げていたのはカレンシアだった。


「待ってました」


「誰を?」


「そんなの、わかってるくせに……」


 カレンシアの腫れぼった目から、つうっと涙が伝う。おれはいたたまれなくなり、その気持ちを隠すように更に冷たく応じてしまう。


「おれに用があるなら、次のクラン会議の時にでも申し出てくれ」


 逃げるように、彼女の真横を通り過ぎようとしたとき、ズボンの裾を引っ張られておれは思わず階段の手すりを掴んだ。


「危ないだろ!」


 しかし、カレンシアは座った場所から一歩たりとも動いていない。手も膝の上で握られたままだ。ただ一つ、瞳の色がヘーゼルから深紅に変わった以外は……。


「どうして、私のこと避けるんですか」


「別に、避けてなんてない」


「嘘です、フォッサ旅団の人たちと一緒に地上へ戻って来てからずっと、私のこと避けてるじゃないですか!」


「考えすぎだよ」


「理由を教えてください。私が婚約者だと騙ったから? それともあのフィリスとかいう女のせいですか? それともニーナさんに私との関係がバレたから?」


「ニーナは関係ないだろ」


 おれの態度に、カレンシアは呆れたように鼻で笑って続けた。


「もしかしてまだ隠せてると思ってるんですか? 最初から、貴方が私を抱いたあの夜から、ニーナさんとも同じことしてるんだって知ってましたよ」


 おれはばつの悪さを誤魔化すため、眉間に手を当て目元を隠した。


「それでも、私にはもう貴方しか居ないんです。何も覚えてないし、どこにも行く当てなんてないし、貴方についていく以外に、自分がやるべきことなんて思い浮かばないんです」


 そして、その言葉でおれはとうとう、自分がどうしようもなく情けない男になっていたのだと気が付いた。


 カレンシアがシアと同一人物? 他人の空似? そんなことカレンシアを遠ざける理由になどならない。たとえエーテルの囁きが彼女を良しとしなくても、そんなの知ったことか。


「お願いします、気に入らないところがあったのなら直すから。だから……昔みたいに一緒に居て……」


 おれは頭の中でシアのことを思い出そうとしてみるも、何度やってもその姿は目の前のカレンシアと重なってしまう。まるで、自分の中でシアが消えてしまい、カレンシアに思い出を塗りつぶされたような感覚すら覚えた。


 きっとおれは、こうなることを恐れてカレンシアを遠ざけてたのだろう。だが、人間ってのは弱いもので、堅い決意も侵されたくない思い出も、目の前の欲望にはあっさり負けてしまうものだ。


「そういえば、新居に移ったんだろ?」


 アイラとの特訓の後、カレンシアはニーナとの同居を解消し、一人で暮らしていた。


「はい……」


 カレンシアは小さく頷いた。


「案内してもらえるか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る