第45話 ヴンダール迷宮 第4層 王宮 一触即発 ③

「カレンシアねえ……ギルドの報告書を読ませてもらったけど、どうせ政治的な問題で別人の振りをさせてるだけでしょ? でも私の前では無駄よ。貴方もそれはわかってるはずじゃない」


 おれは何も答えられなかった。フィリスはエーテルだけじゃなく、人間の魔力を見ることができる。そして一度見た魔力は忘れない。おれは振り返ってカレンシアの寝顔を確認することも、ニーナの怒り狂った瞳を見ることも出来ず、ただ得体のしれない恐怖が身体の自由を蝕んでいくのを感じていた。


「何のことを言ってるのか、分からない」


 声が震えているのが、自分でもよく分かった。フィリスはため息を吐いた。


「まあいいわ、デイウスのことは謝罪します。でも燈の馬の縄張りで大暴れした貴方たちをこのまま帰すわけにはいかない」


 後ろでざわめきが起こった。


「手荒な真似はしたくない。黙って拘束させてもらえると助かるわ」


 フィリスは細剣の柄に手をかけた。彼女の剣は杖でもある、魔術師としては珍しいタイプだ。おれは抵抗する気も起きなかった。右手の方向からは留守番部隊の一部が追い付いてきていたし、おれの魔術はフィリスと相性が悪い。なによりおれの頭は、カレンシアの――いや、シアのことで一杯だった。


「誰が誰を拘束するって?」


 絶体絶命の最中、後方から知った男の声がした。

 心をどこかに置き忘れてきたかのように呆けているおれを、現実に引き戻そうとその声の主は続ける。


「ロドリックはおれたちの新たなリーダーだ。やるってんなら全面戦争を覚悟しろよ」


 凄みのある発言に、たじろぐ燈の馬の面々、おれは振り返った。数十人を超える完全武装の探索者がおれたちを守るように輪を広げていた。


「あらスピレウス。最近見ないと思ったら、ずいぶんと突拍子もない計画を立ててたみたいね、ロドリックをフォッサ旅団のリーダーに? それもテリアの策略かしら?」


 武装集団を率いていたのはスピレウスだった。どこから集めてきたのか、人数だけならここに居る燈の馬のメンバーより多い。それでも、フィリスは顔色一つ変えなかったが。


「え? お前、フォッサ旅団のリーダーだったのか?」


 一触即発の緊張状態を崩したのは、小男の空気を読まない一言だった。


「ダメだよ、今は黙って皆の話を聞く時間なの」


 テオがすかさず小男の口を塞ぐが、それすら既に逆効果となった。

 フィリスはクスクス笑い、スピレウスが咳払いで部下の粗相を戒める。


「とにかくだ、あんたに残された選択肢は二つだけ。俺たち全員が死ぬまでここで殺し合いをおっぱじめるか、お互い何もなかったことにして引き下がるか」


「そうね――」


 フィリスはおれとスピレウスを交互に見た。


「今日のところは止めておくわ。でも覚えておいてロドリック、フォッサ旅団と燈の馬がいがみ合って一番得をするのはキルクルスよ。あの新興クランの後ろ盾が誰なのか、よく調べて置いた方がいいわ」


 フィリスはそれだけ言うと剣の柄から手を放し、部下に下がるよう命じた。

 十分距離が離れたのを確認して、スピレウスも部下を下がらせる。


「行こうロドリック、これで貸し借りは無しだぞ」


 スピレウスがおれの肩を叩きながら得意げな顔で言った。


「あんな嘘ついてどうするつもりだ? フィリスは黙ってないぞ、きっと次のギルド定例会で追及される」


「嘘じゃない。あんたがこれからリーダーになってくれるのならな」


 おれは肩をすくめた。


「あまりこういうやり方は好きじゃない。それに、それだと貸しがまた一つ増えただけになるぞ」


「ああ、それで構わないさ。これからフォッサ旅団全員であんたに借りを返していくよ。それでいいだろ? リーダー」


「どうだかな……」


 おれはまだ気乗りがしなかった。なぜならダルムントの行方は分からないままだったし、フィリスの言葉は胸に突き刺さったままだったからだ。


 おれは目を閉じて、シアがおれに見せてくれた様々な表情を一つ一つを思い出してみる。

 だが何度思い起こそうとしても、瞼の裏にはカレンシアの顔が映るだけだった。

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