第38話 ヴンダール迷宮 第4層 王宮 中央棟 ③

「何のつもりだ……デイウス」


 黒髪の散切り頭に鋭い眼光を蓄えた、長身の男がそこに立っていた。

 羽交い絞めにしたニーナの首にナイフを押し当て、心底嬉しそうに笑う姿から察するに、相変わらずおれに対する憎しみは一切薄れていないようだ。


「彼女を離せ」おれは言った。


「離せだと? てめえ、自分の立場わかってんのか!」


 デイウスは描写するのも憚られるほど口汚く怒鳴ると、ニーナを掴む手に力を込めた。


「わかった。わかったよ、おれの負けだ。すまない」


 おれは剣を床に置いて言った。デイウスは酷く興奮しているように見えた。周囲を取り巻くエーテルの動きがやけに不自然だ。おれはニーナと一緒に居たはずのカレンシアのことを思い出し、とたんに不安が押し寄せてきた。まさかとは思うが、こいつカレンシアのことを……。


「安心しろよ、もう一人の女も、ちゃんとてめえの前でめちゃくちゃにしてやる」


 おれの心を見透かしたようにデイウスが言った。その口ぶりだと命は無事なようだ。


「しかしまさか、こんなところでまたてめえに会えるとはなあ」


 デイウスは空いた手でニーナの体を弄りながら言った。おれが下層へ近づきたくなかった理由のひとつがこれだ。幸いにも前回はカレンシアの黒い魔術の効果で助かったが、今日はそうもいかない。


「なあ、1年前の続きと行こうぜニーナ。前はいいところで邪魔が入っちまったからよ」


「おれの女に触るな。もう片方の目玉も潰されたいか」


 唇を噛み、俯くニーナの顔を見て、ついカッとなってしまった。割り切った関係のつもりだったが、長く一緒にいるとどうにも情が移ってしまう。


 おれの反応に、デイウスの目の色が変わった。比喩ではなく、文字通りの意味だ。

 約1年前、クランを去るときにおれが潰してから、デイウスの左目にはずっと義眼が詰められている。その義眼がアーティファクトに変わったのは、半年ほど前のことらしい。


 よほど強力なアーティファクトだったのか、それから数か月もしないうちに、デイウスは燈の馬の副リーダーにまで上り詰めたというのだから驚きだ。しかし、強い効果を持つアーティファクトというのは、総じて相応の反動というか、対価を必要とするものだ。才能に恵まれた人間なら魔力を用いてその対価とすることも可能だが、デイウスにそれほどの魔力は無かったはずだ。


「その負け犬を黙らせろ!」


 動物の咆哮にも似た怒号によって、おれは数名の男たちから頭や腹をしたたか殴られて、地面に押さえつけられた。


「よく見ておけよロドリック、お前の大事なペットが泣き叫ぶ姿をな」


 おれはさるぐつわを咬まされ、顔を上げさせられる。


 ニーナはおれを見ていた。助けてとも言わず、泣き叫びもせず、じっとおれの目を見る。そして覚悟を決めたかのように口を開いた。


「デイウス、私ね、貴方のこと、実は最初から大嫌いだったの。話はいつも下品な話題ばかりだし、自分より弱い相手にしかたてつかないし、何よりいつも、口が臭いわ」


 ニーナの声は震えていた。


 デイウスは無言でニーナの首根っこを掴み組み伏せると、血走った目でナイフを振り上げた。


「ロドリック、ごめんね、愛してる」


 ニーナの声が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る