第36話 ヴンダール迷宮 第4層 王宮 中央棟 ①

「行ってどうするのよ」


 幅広の階段を上り切ったあと、息も切れ切れのニーナがおれの裾を引っ張った。


「おれは先に行く、二人はフォローを頼む」


「何よそれ、答えになって――」


「文句なら後でいくらでも聞いてやる」


 カレンシアの件も含めてな。


 おれはニーナの言葉を遮り、腕を振り払うと、微かに聞こえる怒号や叫び声を頼りに更に走る速度を上げた。


 ここはおれの庭みたいなもんだ。吹き抜けの手すりに足をかけて空中廊下へ飛び移り、複雑に入り組んだ王宮の2階を駆け抜ける。声は段々と近づいている。しかもこの先は行き止まりだったはず。


 案の定、窓のない薄暗い部屋に人だかりができているのが見えた。昔は捕まえた敵対クランのメンバーや、反抗的な探索者を拉致監禁するために使っていた場所だ。


 おれは今しがた駆けつけた仲間の振りをして、人だかりの中に突っ込んだ。

 荒れ狂う水面を掻き分けるように、次から次へと人を押しのけ、最前列を目指す。

 勝鬨とも取れる残酷な男たちの雄たけびが、おれから血の気を奪い、視界の端から光を攫う。おれは足を止めた。


 前列の男たちは、大盾で身を包み、その後ろから別の者たちが槍衾を突き立てていた。


 穂先は赤く染まり、太刀打からぽたぽたと血が伝っている。


 もう勝負は決しているのに、男たちは何度も何度も、繰り返し槍を突きなおした。そのたびに革袋から空気が抜けるようなかすれ声と、肉から血が噴き出すような、水っぽい音が耳をつく。


 嘘だ。


 だれか、誰かに嘘だと言って欲しかった。


 これはたちの悪い夢に過ぎず、起きたらおれはまだ、ダルムントと酒を飲み明かしている夜の途中で、明日からシェーリと一緒に迷宮へ向かうと告げるダルムントを、止めるチャンスを得られるのだと、誰かが耳打ちしてくれるのではないかと、そんな妄想に逃避しようとすらしていた。


 息の根が止まったことを確信したのか。押さえつけていた大盾と共に、槍がゆっくりと引き抜かれた。

 おれは、足元まで伝う血の源流を追うように、崩れ落ちる男女に視線を伸ばす。


 誰だ?


 その顔を見て、おれは安堵と共に更なる混乱に陥る。

 男もほうも女のほうも、おれの知っている顔ではなかった。


 人違いか? それならダルムントとシェーリはどこに居る? 


 どちらにせよ、このままここに居続けるのはまずい。おれはゆっくり後ずさると、人だかりに身を翻した。


「おい、お前誰だ?」


 その時、何者かがおれの肩を掴んだ。おれは振り向かず、手を振り払うように先を急ぐも、途端に背中が騒がしくなった。


「捕まえろ! そいつもグルだ!」


 誰かが叫ぶと、混乱は波紋のように広がった。この状況に乗じて逃げられると思ったが、勘のいい男数人がおれの前に立ちはだかり、疑いのまなざしを向ける。


 咄嗟に右へ切り返し、通り抜けようとするも、そこにも同じような奴がおれを通せんぼしていた。当然ながら左側もだ。


 観念するように足を止める。気がつけばおれはすっかり囲まれていた。

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