第32話 ヴンダール迷宮 第4層 光の中で ①
「無事だったみたいだな」
イグを抱えたスピレウスが、乾いた笑みを浮かべていた。
「無事なわけないだろ。体中ぼろぼろだ」
おれは文句を言いながら二人に借りていたアーティファクトを返す。当然のことだがイグの手は治っていない。もう夜が明けたため祈りで治すこともできない。おれの視線に気づいたのか、イグも力なく肩をすくめると、残った手でアーティファクトを受け取った。
「ニーナとカレンシアは?」
「奥で寝てるよ」
「ヴァンパイアはどこ行った?」
「箱の中に戻ったんだ。あいつは毎晩必ず、夜明けが来る前に箱へ戻るからな」
スピレウスは長いため息の後、絞り出すように続けた。
「さあ、箱は砦の最上階、エッポの執務室だ。行こう」
断る理由はいくらでもあったが、決着をつけたいのはおれも同じだった。
おれは建屋の奥で寝ている女どもを起こし、もう一度砦へ向かうことにした。
※※※
「砦が落とされたあの晩、命からがらキャンプに逃げ帰った俺たちは、その数日後には遠征に出ていたメンバーと合流し、再度砦へ向かった。皆予想はしていたが、生きている人間は一人も残っていなかった。ただ、廃屋のように無茶苦茶になったエッポの執務室に、ひと一人がすっぽり入りそうなサイズの箱がぽつんと残っていた。それがあれの成れの果てだってことはすぐに感づいた。どう処遇するか話し合った結果。とりあえずその日は少し離れた建屋に拠点を作り、数名の精鋭だけが拠点に残って様子を伺うことにしたんだ」
砦の階段を上りながら、スピレウスが昨晩の続きを語った。
「破壊は考えなかったのか?」
「当然考えたし、何度も試した。何日か見張っていれば、ヴァンパイアが箱から出てきて生物を襲うのは夜の間だけだと確信が持てたし、おそらく昼間は活動できないのだろうということも予想はついた。だから昼間のうちに箱をぶっ壊せれば勝機はあると、だが……誰も壊せなかった。それどころか、箱は重すぎて移動させることすらできなかったんだ」
「それで、結局キャンプと共にこの東区画も放棄することにしたのか」
「そんなところだ。なんせこの区画に留まる限り、嫌でもそのうち奴と顔を合わせることになるからな」
「危険を取り除けそうになかったってことか」
「それもあるが、一番は気持ちの問題だ。エッポの存在は俺たちにとって、それだけ重要だったってことだ」
「ただのお飾りだと思ってたが」
フォッサ旅団のリーダーだったエッポという男とは、実は一度だけ剣を交えたことがあった。詳細は省くが、利権関係のちょっとした揉め事でフォッサ旅団と抗争になりかけた時、男同士の決闘をエッポが申し出てきたのがきっかけだった。
おれとしてもクランとしても、もちろんギルド側も大手クラン同士の全面抗争という結末は望んでいなかったため、これは迷宮探索事業に携わる多くの人間にとって願ってもない申し出だった。
もちろんおれは最大クランの副リーダーという立場上、絶対に負けるわけにはいかなかったため、クランぐるみでいくつもの保険(つまりある種のイカサマ行為だ)を用意していた。
しかし、そんなもの一つとして使う必要がないほど、エッポは凡庸な探索者だったのだ。
「あんたの言わんとしていることはわかる。確かにうちのリーダーは、あんたやフィリスなんかを筆頭とする、化物じみた強さを持つクランリーダーじゃなかった。でも、だからこそ俺たちはエッポを尊敬していたんだ。何ひとつ特別な力を持ってなくても、諦めない心さえあれば、あんたらみたいな化物が集まるクラン相手にも、引けを取らないクランが作れるんだってな」
スピレウスは言った。誇らしげに見えるその表情には、どこか寂しさが漂っていた。
フォッサ旅団の団結力と、仲間意識の強さの秘密はこれだったのか。それならこれからのフォッサ旅団の行く末はどうなってしまうのか。おれはかける言葉も見つからなかった。
「さて、着いたぞ。あとは、手順通りに頼む」
スピレウスは言った。
「本当にいいのか? もっといい方法が見つかるかもしれないぞ」
「いいんだ。これ以上、彼を苦しめたくない」
「そうか」
おれは窓から差す光で鈍く輝く黒い箱の前に立った。
箱の大きさは丁度おれの背丈と同じくらい。こうやってみると、まるで棺のようにも見えた。
どんな攻撃でも傷ひとつ付けられなかった魔法銀の棺か……この中でヴァンパイアが夜明けから身を守っているだなんて、昨日の姿からは想像もつかなかった。
おれは担ぐように剣を構え、装剣技を発動させる。
こんな形で昨日の続きを――いや、あの日の決闘の続きをすることになるなんて。人生ってのはつくづく分からないもんだ。
なあ、お前だってそう思うだろ? エッポ。
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